2009年12月31日木曜日

ブログの孤独 つづく

「ラアーラア、ラーアラーア」飲み暮らしているうちに、年が変わろうとしている。反省はあるが、反省はしない。抱負といわれても特に無い。


日付の変わった頃に起き出して、飯を仕掛け、だし汁をとり、高野豆腐を煮た。酢ゴボウ、酢レンコンは後で作ろうか。とりあえずは、姪っ子(といっても二十歳をとうに過ぎたレディーなのだが)が食いたいという「餅ピザ」の用意をしよう。頭の中ではもう作り始めている。
餅をチンで少しく柔らくして、フライパンにオリーブオイルをたらし、(一人当てはふたつ、みっつだろうか、)餅を放り込んで、ヘラで押しながら炙る。餅と餅がくっついて一枚のピザ生地になれば、あとは、いろんな具を載せてオーブンで焼くだけだ。コツといえば、出来るだけ薄く餅を延ばすこと、それと時間があれば、カリカリにやいた方が香ばしいことぐらいか。

ひとなみに、年末年始をキネンして、歌会をしてみてもいいか。やんごとなき方面の方もすると聞く。

年末篇

「おなじ未(ひつじ)年の友に//きみは日記を焼いたりしたことがあるかい おれはあるんだよ、五十になった頃の秋だ 天城の尾根で三冊のノートを捨てた 生きたくも死にたくもない変な気持ちだった  過去との断絶、そんなことは不可能だ 紙切れはなくなっても記憶は残るからね それでもノートはできるだけ遠くへ投げたよ センチメンタルだと笑われるかねえ  「風立ちぬ、いざ生きめやも」 戦争前に覚えたこの言葉を戦争が叩き潰した おない年に生まれて先に死んだやつの顔 悪を知らなかったあの顔が忘れられるものか 生きてゆくとはそういうことだろうかねえ おれがおりてきた薄(すすき)の尾根道も長かったよ」

年始篇

「きのうはあすに//新年は、死んだ人をしのぶためにある、 心の優しいものが先に死ぬのはなぜか、 おのれだけが生き残っているのはなぜかと問うためだ、 でなければ、どうして朝から酒を飲んでいられる? 人をしのんでいると、独り言が独り言でなくなる、 きょうはきのうに、きのうはあすになる、 どんな小さなものでも、目の前のものを愛したくなる、  でなければ、どうしてこの一年を生きてゆける?」

いづれも中桐雅夫詩集『会社の人事』晶文社1979年より写した。尚、本編の縦書きを横書きにした、行替えは一字あけ、二字あきは大きな行替え、題と本文との間に//を入れた。
彼は数年後1983年に死亡、「生きてゆく」ことをやめ、「しの」ばれる側に移った。

もう少し続けてもいいか。
と書いて晩年の彼がどんなに進歩したかを書こうと思ったが止めた。詩論、評論には多少の理屈が必要だ。「理屈と飯粒はどこへでもつく」のだ、新年早々うんざりしたくない。

2009年12月30日水曜日

言葉を集めて つづく

・ 「カガム」


方言にはない、分厚い辞典にも無い、ここら辺りだけの言い方なのか。メモには「悪事をはたらき、警察に捕まること」とある。字を当てるとすれば、「屈む」だろうか。「掛かる」「罹る」などの否定的言葉の語感が影響しているのか。

言葉を集めて つづく

・ 「セビョウ」


畝俵。これだろう。一畝(一反の十分の一)あたり一俵(60キロ)の米が取れること。地力の無い棚田では不可能に近い。方言には無いようだ。平地の田でも化成肥料の普及して以後ではないか。コンスタントに「セビョウ」を超えるようになったのは。

言葉を集めて つづく

・ 「ホンムラ」


本村。だろう、方言ではない。同じ村組織(行政上の単位・大字(おおあざ)がそれに当たるか、)に属しながら、地理的には少し離れている分村からの言い方。

少し、話をすべらせてもいいか。

本家・分家・新家(しんや)という言葉は、今でも違和感なく存在している。65年前の敗戦を契機として、廃止された「家制度」の名残だ。

「家」は血縁を元とし(養子という裏技はしばしば用いられたが)何百年にも亘り、生産集団・財産管理(相続)・婚姻(血縁の管理)など社会を形作ってきた基礎的な単位だった。一方、支配する側からも、有効便利な単位であった事は想像できるだろう。今でも、町内会の基礎単位は個人ではなく「家」だ。付け加えれば、この仕組みの最大の特徴は「個人」が存在しないというところにあった。

これを、無くしたのだから、革命的な変化だった、この上からの「革命」は何故必要であったか、教科書にあるような「封建制の一掃」の為など御託なのである。理由はただひとつ、何処へでも移動可能な、どのような職種も選択できる、(したがって飢える自由もまた手にすることのできる)いわゆる「自由な労働者」を生み出すためだった。「スラム」も「年越し派遣村」も65年前に用意され予測されたことなのである。

「家制度」を廃止した後始末は、まだ付いてはいないのだ。「家制度」を歴史の脈絡の中に眠り込ませる、この複雑で困難な仕事は全く新しい政権の仕事になるだろう。このこと。

2009年12月29日火曜日

言葉を集めて つづく

・ 「ヒデリグサ」


稲のことである。メモには「稲のこと、日が照ればよく育つ」とある。方言辞典にも「ほんにのうや」にも記載は無い。いささか自嘲気味のこの呼称はどうして生まれたか、考えてみたい。言葉は移ろいやすく、やがて空に消えて行くものだけれども、理由無く生まれたりはしないものであろうから。

こう書きながら、ムカムカして来たのは、二日酔いのせいばかりではない、さっき聞いたニュースで「ミッション」の連発を聞いたからだ。これは、宇宙ステーションに関してだったのだが。どうして「計画」とか「任務」とか「目標」とか「企図」と言わないのだろうか。そういえば、マスコミが「ミッション」を連発するようになったのは、たしか、親ブッシュが湾岸戦争(1991年)を始めた時だった。今から考えれば、「ゲーム感覚の戦争」と「ミッション」はセットになっていたのだ。以後事あるごとに、アメリカに関して、知ったかぶりをする連中はこの言葉を使う。いったい、このクニはいつまで青い目コンプレックスを持ち続けるつもりなのだろうか。

話が、それている、「瑞穂の国」の「瑞穂」の話に戻そう。つれあいのおとうさんは生まれてこの方、おそらく一年も稲作りから離れた事はなかろうが、彼は言う「日照りの年で、水が無く、稲が枯れる場所があっても、全体としてはその方が収量は多い。」と。南の国生まれのこの植物は、昨今の異常高温は別にしても、圧倒的な日照を好むのだろう。だから、曇天降雨の多い、つまり水の多い年は不作になるのだ。「ヒデリグサ」は「日照りを好む草」の意だ。

ちょっと、話をすべらせてもいいか、この島国で念願の米の自給がやっと出来たのはいつだと思われますか。統計は1960年(S35)と伝える。今から半世紀前の事であることに驚かれるだろう。しからば、それまでは、どうしていたのか、食う方(人口)を調節していたのだ。コケシ、ウバステ、の話はおとぎ話ではない。私の作る田に水を供給する溜池は古老の話では1930年代に完成したという、我々は、食うが為に(養うがために)あらゆる知恵と努力を重ねてきた。「ヒデリ」の年に水を得るために、そして、より多くの田を得るために。歴史上、米が余って困った事など一度も無いのだ。今の「米余りの話」も眉に唾をつけてみた方がいい。

以後は、私の仮説だが、このクニの不幸は、1900年頃に始まった帝国主義の時代に、その上に、歴々と続けてきた、食うためのエネルギーが不幸にも合体し、その侵略性(攻撃性)を増長させて、1945年に至る無謀な行為を行わしめたのではなかったか。

食える事の喜びと、食うための行為のせつなさは、おそらくヒト人類からしばらくは離れる事はあるまい。あなたは、今日の食卓の為にどれだけの命を始末しましたか。

私が、飽食正月のアレコレを好きになれぬのは、以上の理由にある。

2009年12月27日日曜日

何を食らうか つづく

「茶粥」


前回「さて次は、茶粥を炊いてみよう」と書いた。これは、約束だ。しかし、律儀に約束を守ろうとすれば「鬱」になってしまうのは分かっている。マニュフェストだって反故なる世だ。止めておけの声がしている。危険を冒して続けてみよう。

茶粥は「コーツト」の祖父さんの常食だった。今から思えば、飯と茶粥のふたつを、ひと昔前の我が家は同時に炊いていたのだった。

じいさんの子、我がオヤジは20年ほど前死んだが、ワガママな男だったと思う。一椀で飯と茶粥を食いたいと「ご飯に粥」とおふくろに差し出す、で、渡されたのが、茶粥の上に飯が載っていたりすれば、烈火のごとくに怒っていた。「ご飯に粥と言ったはずだこれは粥にご飯だ」と。子の私はコダワリは受け継いでいるが、ここまでではなかろう。どうだろうか。

さて、なんの詮索もなく、茶粥を食う地域を思い浮かべれば、瀬戸内地域と考える、東の端は奈良であろう。「ほんにのうや」の郷には茶粥は無いようだ。検索すれば、茶粥の風習を部落問題と結びつける向きがあるがこれは見当違いと考えた。細長い瀬戸内地域を東から西に伝わったものか、西から東になのか、解からない。

いずれにせよ、茶粥はうまいのだ、散々飲み疲れて、ズタ袋のようになった体に、冷えた茶粥を流しこめば、飲みつつある時にはあんなに宥せなかった事々が、氷解してゆくようである。

前置きが長くなっている。そろそろ、炊きにかかろう。材料は、米と、茶葉、と水。まず、水5カップに茶葉を入れて炊く、茶葉は「焙じ」、でも「緑」でも「混ぜて」もいい、少し濃い目に出したい。葉は取り除く、どんな方法でもいい、違う鍋を用意して茶漉しに茶殻を受ければ良い。さて、沸騰したお茶にカップ1の米を入れる(洗おうと洗うまいとお好きなままに)ここから、強火の火を落とす事なく、混ぜに混ぜて欲しい、次第に米がふっくらとしてくるはずだ、10分も過ぎれば、混ぜているヘラに米粒を拾って食ス、まだ少し芯があるか、あとは、好みの硬さまで煮る、(火を止めた後も余熱で柔らかくなる事を計算にいれて下さい)目処は15分まで。

熱々に、冷たい塩辛、漬物、塩昆布。私の中の隠されていたナショナリズムが呼び覚まされるようだ。冷たくして掻き込むのもいい。

何を食らうか つづく

「飯を炊く」


さて、毎日やっているのは、飯炊きだろう、料理の事を「飯炊きをする」「今日は飯炊き係」と言ったりするではないか。

年の瀬は、日々のメニューを考える者には、あまりの多様な食材にトマドウ季節でもある。

私は、メニユーの発想ままならぬ時は、なにはともあれ、米を洗い、飯を仕掛ける。それから昆布とイリコで出汁をとる。食わず済ませるという選択はない。

人生とは何か、生まれて生きて死ぬ。食って飲んでクソしておしまい。いろんな纏め方はあるけれど、つまるところ、おいしいものが食いたいのだ。

では、うまいものとは何か、炊きたての飯、焼きたてのパン(もしくは焙りたてのパン)を超えるものはなかろう。

さて、飯を炊いてみようか。何で炊くか、つれあいはその昔、実家で飯炊きの係だったという、以下は彼女の炊き方の証言。「羽釜に米を一升程入れ洗ったら、水は手のひらを米の表面に当てて手首の骨のポコッと出ているとこまで入れ、クド(かまど)に架けて下から薪で炊く、適当に。炊けたら下の薪はどけて、蒸らす。すると、お焦げができていて、これが楽しみだった」
他の事は忘れても、「お焦げの味」は忘れないらしい。

私は、羽釜もクドも持ち合わせてないから、鍋で炊いてみよう。鍋は少し厚手がよかろう、三合の米を洗い水は三カップ(600cc)入れて、米が水を吸った頃、火を入れる、沸騰したら、弱火にして15分で止める。適当に蒸らしておしまい。五分程か。早めに蒸気を飛ばさないとベチャッとした飯になるぞ。お焦げが欲しければ、できるまで火を入れつづければ良い。しかし、羽釜のお焦げのような上物はなかなか出来ないのはしかたない。諦めよう。羽釜とクドではないのだから。

ついでに、「茶がゆ」も作ろうか、いや、これは次回にしよう。

2009年12月26日土曜日

ブログの孤独 つづく

愚か者は何を考えるか。尻はまだ痛いものの、自転車もまた良いと思った。数日前タイヤ三本を替えた成功体験もある。止せば良いのに、ボロボロになっていたママチャリのタイヤを替えようと思い立った。22インチのタイヤを買った。片足ケンケンで替えにかかるとこれがはまらない。どうしても不可能なのだ、こんなことは有り得ない、と何度もはまっていたタイヤとはまらないタイヤを見比べた。すると、ほんの少しはまらぬタイヤのサイズの小さい事に気づいた。インタネットで検索してみれば、同じインチ表示でも自転車のリムのサイズには、数種あるとある。なるほど、タイヤ交換は諦めたが、またひとつ、明らめることができた。

それにしても、タイヤは交換部品の主要な物だろう。規格を合わせる作業は大変だろうが、それがなければ不便もまた有るだろう。自転車のタイヤを自分で替えようとする好き者は別にしても、例えば、パソコンの世界ではどうなっているのかしら。と心配になってきた。

2009年12月25日金曜日

ブログの孤独 つづく

ロマンチックのゆくへ

こちらは、うんざりするほどロマンチックなのだ。すでに遠い昔に市場経済の軛(クビキ)より逃れてクラゲの如くに浮遊している無能物に過ぎない。しかし、だからといって多少の矜持も持ち合わせていたい。

珍しく、「忘年会」に誘われた。当日、バスで出ようとすると、バスが無いのである。子が学校に通っていた頃、乗り遅れたくせに家に帰って、「バスが無い」と言っていた事を思い出した。「バス紛失事件か」とからかいつつも送ってやった事もあったな。その頃に較べてずいぶん便の減っているのを改めて発見した。感心ばかりもしていられない、どうするか、思案の後、自転車で行くことにした。目的地まで17キロはある、私如きでも、工業高校に行っていた時には18キロを毎日往復していた。やってやれないことはなかろう、天気もいい。ママチャリのタイヤに空気も入れた。

さて、道をチンタラ漕いでゆけば、前から来る顔見知りの目が車の中で点になっている。ざまあみろ、人生至る所に驚きありだ、常識なんか捨ててしまえ。しかし、この三十年、面の皮は厚くなったが、尻の皮は薄くなったみたいである。半分もゆかないうちに尻が痛い。息も荒い、頭痛もしてきた。ベンチを見つけ一休みした。気絶したヒキガエルみたいにノビていたら、近くで二十歳ぐらいの若者二人が親しく話をしているペチャクチャと。聞くともなしに聞いていると、意味が掴めない、集中して聞いても意味が取れない、心臓発作かしら、とも思った。野垂れ死にかと覚悟した。だが、変調していたのは認識系の方だった、日本語であるとの認識を捨てた途端に中国語が私の耳に入ってきた。
それにしても若者の会話のリズムは万国共通なのだと感心した、映像で見る若いムスメの少しく眩し気なハニカミが如何なる民族でも共通である様に。そして、この列島には日本語以外の世界が思いの他多様にあるのだと思い至った。

目的地に着いてみれば、始まりには少し時間がある。実に久しぶりに昔住んでいたあたりをさまよってみた。此辺の私の中のイメージは、三十年の間に少し膨らみ、実際の街は少し縮んだ様だ。「あゝおまへは何をしてきたのだ~と、吹き来る風が私に云う」(中原中也「帰郷」最後の部分)を思い浮かべたりした。

「忘年会」の事は、書かぬが良かろう。ご迷惑をかけました。年をとれば次第に円熟してくるヒトもいれば、年齢と共に緩んで堪え性の無くなるヒトもいるのだ。わたしはどうやら。  (以下略)      

2009年12月23日水曜日

機械いじりの楽しみ つづく

このところ、料理をしていない。料理をせずに何をしていたか、タイヤを替えていた。三本替えた。三輪車ではない、一本は運搬車の、後の二本はカブのそれである。


運搬車のは、稲刈りの時にパンクを見つけた。いくら半端百姓とはいえ、稲刈り最中にパンクを直す暇はない、空気を入れ入れ誤魔化してきた。チューブレスだから、数年前のパンク時にチューブレス用のパンク修理のゴムに接着剤を塗ってパンク穴に押し込んで直したが、それの寿命がきたらしい。水をかければ、そこからジクジク空気が漏れている。タイヤ屋さんに聞けば、そんな時にはチューブを入れて誤魔化す手もあるという、費用も三分の一くらいで済みそうだ。しかしながら「貧」とはいえコチラはコダワリ系男子、七千円を奮発してタイヤを手に入れた。見てみればF1のタイヤみたいで、そのままで立っている。さて、このタイヤのキモはホイール(これは鉄)とタイヤ(これはゴム)との密着にある。これが無ければ空気は大気に帰る。それで、やはり硬いのである、密着が蜜なのである。まるで保守政党と財界みたいに。怒鳴ったり、宥めたり、して最後は人類の知る最強の潤滑剤、水を用いてホイルからタイヤを外した。組み付けはバラシタ過程の逆をやればよろしい。水の力を借りれば簡単だ。ちなみに、サイズは16x7.00。幅16センチ、ホイール径7インチ。

カブのタイヤも替えた、これはチューブ入り、自転車から始まって、もう40年も替えに替えてきた、技術的に問題はない。しかし、マルマル一日かかった。どうしてか、タイヤではなく前ブレーキのワイヤーが錆付いて(固着して)動かぬを直していたからだ。数時間かけて、深夜におよび、ワイヤーの再生を試みたが、日付が変わり、オリオン座も頭上を越して西に傾いた頃、諦めた。翌日、千七百円を奮発して新しいワイヤーを購入した。カブのヘッドライトの部分(内部)を見たヒトはどれくらいあるかしら、これ以上は無理というほどにワイヤーや配線を詰込んでいるのだ。この間を通し終えるに何回吼えたことか。

機械いじりの楽しみは、自らの思考方法を確認できるところにある。まづ、何処が問題なのか、なぜそれを問題と思うかから始まり。次に、問題解決に至るまでの「アタリ」を付け、作業を始める。しかし、(誰の責任でもない、自らに起因する)思い込み、勘違いは作業のあらゆる段階で明らかになる、それを力技で乗り越えるか、それともからめ手から攻めてみるか。ひとつを解決れば、すぐに次の課題がそこに待っている。

さて、これで「おしまい」と見ればそこには、他人からみれば、前と変わらぬ運搬車、前と変わらぬカブがあるだけなのだが。

2009年12月22日火曜日

何を食らうか つづく

シチュー


「ほんにのうや」の郷から貰って帰ったのは、白菜だけではない、食パンを義姉に貰った。目醒めた寝床で、シチューを思い至った。食うためには、寝床から出なければならぬのは千年の昔からの習いだ。エイヤッと掛け声をかけて起き出した。

少しく深い鍋に肉(今回は豚もも肉)を入れ、炒めた。その間にタマネギ、ニンジンを切り放り込む。肉が鍋に付く様なら、火を止めて10秒もすれば剥がれるだろう。ジャガイモも入れよう、少し小ぶりに切って、レンジにかけた、シチューの中のいもはゴロゴロしてない方がいい、それにトロミにもなる。さて、タマネギがしんなりしてきた、バターを入れ、小麦粉を入れる、それから木箆(へら)でまぜる。小麦粉に火が通るまで。火は弱めがよかろう、底に付こうとする輩を剥がしながら、数分でやり終えて、火の粗方通ったジャガイモを入れて、牛乳を入れる。ドバットでもチョットづつでも。トロミが付いてくればシチューだ。トロミが強いようなら、水を足せばいい、私は余っていたイリコと昆布のダシを入れた。塩気は塩コショウでも固形ブイヨンでもチキンのそれでもいい。まだ試した事は無いが、醤油もいいかもしれない、キムチ鍋の素はどうだろうか。

食パンを炙り、少し深めの皿にシチューを入れ、食らおうとすれば、我が祖先モンゴリアンより遠く離れて旅して来った気分だ。

それにしても、我々は何時まで、故郷の親兄弟からロハ(タダ)で食料を手にするつもりなのだろうか。それを許す構造は、破綻しているというのに。故郷の父母は老いて、無償の愛、愛の無償性を表現することは早晩不可能になるだろう。あなたは故郷からの援助から離れて何年になりますか。

2009年12月21日月曜日

何を食らうか つづく

白菜漬け


さんざん、餅つきの邪魔をしたあげくに、「ほんにのうや」の郷で白菜を貰った。昨日は、揚げと炊き合わせて食った。使ったのは三分の一だ、外側からちまちま剥いで使ったものだから(書き忘れているが、この白菜煮はつれあいの作だ、何をやっても豪快にかたづけて、こちらを見ては「ちいせえ」などと言うのに、こういうことはチマチマやるらしい)丸ままの様子に残っている。しばらく眺めた後、浅づけを作ろう、と思い至った。根のところに包丁で指の入るほど切れ目を入れて半分に割く、その半分にまた切れ目を入れて四分の一、八分の一、このくらいでこらえておこうか、大きいボールにそれを入れ、上から塩を振る、少しく強目がよかろう、もしも辛ければあとで洗えばいい。その上に同じぐらいの大きさのボールを置いてそれに重し(水)を入れれば後は幾ばくかの時が調理してくれる。上のボールから水がこぼれれば、その方が早めに漬かるかもしれない。
さて、浸透圧というのか、その威力はたいしたもので、6時間も経てば、白菜の上に水分が載って来ていた。もうソロソロ食い頃、と見た。ものの白菜を裏返し重しを掛け直したのは、私の「ちいせい」所なのか。いずれにせよ、料理の不安と苦痛と楽しみは続くのである。それは、まるで「人生」のようではないか。

2009年12月20日日曜日

何を食らうか つづく

お好み焼き


目が醒めて、今日は何を食らうか、考える事も迷うこともなかった。お好み焼きと決めていたから。決めたのは、今年の夏だった。

数日前、畑からキャベツをひとつ持ち帰った。8月に種まきをして、9月に定植した後、ろくな世話をしないものだから、草に巻かれそうになっていたものだ。包丁を入れてみるとまだ充分に巻いてはいない、しかし、これでよろしい、半年をかけた夢が実現する。

荒い千切りにしたキャベツをボール一杯に作り、それにタマゴを三つ割りいれた、小麦粉も入れて牛乳も入れて、手でガッサガッサ混ぜた、あまりに軟らかいようなら小麦粉を足したらいい、でも心配なほど軟らかいぐらいがいいようだ、タマゴが繋ぎの役目をするから。さて、フライパンを熱くして、油をしいて、生地を入れる、その上に豚バラでも載せるか、イカもいい、今回は牡蠣があったのでそれを載せた。返せる程に生地に火が通ったら、ヨッコラセと裏返してこれからじっくり火を通す、つまり、蒸し焼きにするのだ、おおなんと残酷な事よ。

お好みソースと好みでマヨネなどかけて食らう。カツブシを載せると揺ら揺らして面白い。餓鬼につましさなどないのだ。 

ブログの孤独 つづく

2009年12月19日の完璧な日記


「ほんにのうや」の郷の餅つきに参加した。表紙の写真がそうである。これは豆餅。洗ったもち米の上にこれまた、さっと洗った黒豆を載せ蒸らす、蒸らし上がると、餅つき器でつくのである。出来上がりに塩を入れておしまい。濛々たる湯気に巻かれて、塩加減はどうか、いま少しか、いやこれぐらいでいい、とさんざん写真の餅をつまんでは試食した。
外は、雪もよう。掘りごたつに浸かり、餅を食い、酒を飲んで、それで一日は朧に暮れていったのである。


2009年12月19日土曜日

言葉を集めて つづく

・ 「テレテイル」


メモには「熟れている。スイカをきってみたらテレテいた」とある。日の光をしっかり浴びて照れている、だろう。しばらく、記憶の中を探ってみたが、スイカ以外に使う事はなさそうだ。それはそれで、いいのである。言葉とヒトとは一期一会でいいのである。

ブログの孤独 つづく

「国民の声」


言葉の端々に茶々を入れ、混ぜっ返す輩はしばしば誠実に欠ける。それは、解かっているつもりだ。だが、しかしである、このクニの現首相が「天の声」ならず、「国民の声」を聞いたと言うのであるから、興味津々なのである。新聞を続けて読めば、なんのことはない、例の小沢氏が、「国民の声」を代弁したということだ。その声を「聞いた」というのである。

ところで、小沢氏が代弁するところの『声』は、悪名高い「陳情一元化」の帰結であるらしい。

1.仮に、人格Aが人格Bに何事かを伝えようとする時、人格Cが現れて「私が代弁する」と言い出したとしたら。「其れは良き事也。」と手放しで認める者はまれに見るお人好しである。人格Cにせよ、代弁者Dが現れれば拒否するだろう。こんなマンガが罷り通っているのだ。

2.視点を変えれば、「国民の声」は多面的なのである。時に、矛盾をもそこに含んでいる。それが、常態なのである。「国民の声」という言葉でひとくくりにする感性は、凡そ政治家に向かないだろう。「劇場型政治」の悪しき流れは少しも衰えていないのではないか。


今年、09年夏、総選挙のあと、無責任な巷スズメどもが「政権交代?・政権交換じゃないの」と囀っていたが、どうやらそれがホントになろうとしている。交換ならば、「返却する」事も想定されるものの、「どこに」なのだろう、時は不可逆なのである。

2009年12月17日木曜日

言葉を集めて つづく

・ 「シロモノ」


人物。ヒトと物。メモには「~のようなしろものじゃけえ」と使用例があり、「悪い意味で使う」とある。元は物に対する評価であったのだろうが、次第にヒトに対する評価の使用が増えたのだろう、今ではもっぱらヒトに使う。直接に言わぬ方がいい、言ってもそんなシロモノにはカエルの面に小便なのである。
方言では「物」を指し示す例が多いようだ。
「シロモノ家電」のような業界用語もあるらしいが、こう見えても、忙しいのだ。師走なのである、残念ながら遊んでいる暇はない。

2009年12月16日水曜日

ブログの孤独 つづく

「内閣の助言と承認」


「3条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。」

これが、日本国憲法第3条。全文だ。民主党小沢氏は「君は憲法を読んだことがあるか」と、記者を睨みつけた。なるほど、象徴天皇の国事行為は内閣が決める。文句あるか、憲法にも書いてある。勉強して、顔を洗って出直して来い。彼はこんな調子だった。これは昨日のことだ。さんざんマスコミは流しに流した。ところが、今日になって、共産党が、この発言に、イチャモンをつけた、「小沢氏は憲法第7条も読んだらどうか」と。

 「第7条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。

1.憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。

2.国会を召集すること。

3.衆議院を解散すること。

4.国会議員の総選挙の施行を公示すること。

5.国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。

6.大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。

7.栄典を授与すること。

8.批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。

9.外国の大使及び公使を接受すること。

10.儀式を行ふこと。」

これが、日本国憲法第7条。全文だ。確かに、今回問題になった、政府が招いた中国からの客に会うことは、この中には無い。

さて、小沢氏の論理と共産党の論理は矛盾しているのである。(誰が辞める辞めないなどの次元の話に転化して)済んだことだ、なあなあでいこうや、みたいな空気になっているが、決着をつけて欲しい。なぜなら、小沢氏にしても、共産党にしても、他ならぬこの法の下でその立場を保障されている存在であるからだ。ここには、なあなあの入り込む余地はないのである。いや、有っては法の有効性そのものが疑われてしまうのである。次は、小沢氏が反論する番だと私は思う。
確かに、世の中は理屈だけで出来ているわけではない。しかし、明らかな理屈の矛盾は決着が必要なのである。次に進むためにも。

私は以後の展開に期待している。
よせばいいのに余計を付け加えれば、改憲論者たちが、「天皇の政治利用だ」と息巻いているが、それならば、彼らの想する新憲法草案から「天皇」に関する条項をすっかり抜いてから、言うがよろしい。

言葉を集めて つづく

・ 「サスノボオ」


メモには「天秤棒・モロトの木で作る」とある。おそらく、自分で作ってみたくなって、「ラエ」の先生に聞いたものだろう、モロトは大きくはならないが丈夫な木だ。凸凹の無いようにきれいに磨いて、肩に当たる部分は幅広がいいから、断面はできれば楕円にして、両端に滑り止めの突起を付けた、実にシンプルな農具。鎌、鍬、鋤、など遥かに歴史を旅してきた農具の中で、すっかり姿を消した物のひとつ。(他に「フゴ」があるがこれはまたの機会に)「サスノボオ」は物を運ぶための道具だから、水を運び、藁を運び、土を運び、石を運び、およそ人力で運べる物は何でも運ぶ、糞尿だけを運んでいたわけではない。この道具の優れているところは、ヒトの歩けるだけの巾があれば、どこででも使えること。軽四トラックが入る道がないと、百姓は出来ないなどと、ふやけたことをいう時代には、無用の物となった。さて、この道具はそれぞれの地域で、それぞれの職種で様々に呼ばれていたと想像される。『ほんにのうや』には「六尺棒」とあり、分厚い辞書には「おうご」というとある。

ここまで書いて、時代劇には登場していると気づいた。あれです。魚屋のほらあれが(ここから名前が出てこない)。

2009年12月15日火曜日

言葉を集めて つづく

・ 「ヤケノヒカンパチ」

「やけのやんぱち。」なのである。やけっぱちになってそう言っているわけではない。真面目なのである。「ラエ」の先生は不肖の弟子の私のように言葉で遊んだりしない。言葉はただただ、事柄や気持ちを伝える道具なのである。おそらく、先生は、7文字の収まりのいい数では、この自棄(やけ)は表現しきれないと考え、8文字にしてやっと相応しいところに落ち着いたのだろう。ところで、先生だけかと思っていたら、ちらほら、使う人物はいるのである。たとえば、「コタをカク」の女史。どうやら、ネイティブ地元はそう言い暮らしてきたらしい。

常套句は慣用度の高いほど、元々の気持ちから離れて行く。言葉は常にそれが妥当な攻撃力(衝撃力)を持っているか否か、検証される運命にあるのである。いまどき、常套句を疑問も無しに連発しているのは、言葉で飯を食っているところの、マスコミ(テレビ・新聞)、役人、政治家ぐらいのものなのである。

2009年12月14日月曜日

言葉を集めて つづく

・ 「ボニホットイテ」

メモには「放っておいて。いそいで。」とある。「ウロウロしょうったらボニホットイテ行かれた」(ぐずぐずしていたら置いていかれた)のように使う。ボニは強調の言葉だろう、ブン投げる、ブッ飛ばす、クソ暑い、バカでかい、のように。こうしてみると、「ハ」行が多いな。そういえば強調方言にも、ボッケー、ボーレー、デーレー、モンゲー、バンコ、と「ハ」関係が多い。この事について、これ以上詮索すると面倒だから、これは置いておいて。「ボニ」はどういう言葉(字)から来ているのか、しばらく、傍らを眺め考えた、ひらめいたのは、「傍(ボウ)」だ。「かたわらにおいておく」これではないか。わが故郷はどうやらやっている事はえげつないことでも、言葉においては古式ゆかしく、折り目正しくあるらしいのだ。

2009年12月13日日曜日

ブログの孤独 つづく

デザインのこと


これは、ソバ猪口である。世話になっている、写ってはないが酒が入っている。最初は5個程あったが、次々に割れて(落としたのはほとんど私)これだけになった。早朝に限りなく近い深夜、ネコ供も引き払い、新ためて模様をながめた。「模倣に模倣を重ねているうちに、オリジナルから遠く離れてここに至ったのであろう」と想像した。「そうとしても、思い定めて、抽象に変化しょうとする思いも無いようだ」と考えた。こうしてみれば、「日々の暮らしを彩る物、いや、我々そのもの、もこのソバ猪口みたいなものではなかろうか」、と思い至った。本当に新しいもの(オリジナルデザイン)は、100年に一度現れればいい。さて、一眠りしよう。

2009年12月12日土曜日

ブログの孤独 つづき

紫蘇(シソ)のこと


シソは青いものと紫のものがある。どちらも前の年の種が落ちていれば、放っておいても生えてくる。それを苗にして、一列にでも二列にでも何列にでも作ればいい。ただ、注意することは作り過ぎぬこと、丈はヒトの肩までになり、虫も病気も寄り付かず、おまけに丈夫ときているから、持て余すことになる。シソは香りのものだから、何にでも混ぜ込んだらいい、汁に飯に肉に梅干に。

さて、春に芽吹き、夏に茂り(その葉をもらい、散々食い散らかした)、秋に葉を落とし、冬にすっかり枯れてパリパリの枝と茎だけになったシソを片付けた。四つ目鍬で倒していると、夏に楽しんだシソの香りがあたりに漂う、シソはいつまでもシソなんだ、と妙に感心した。香木はその香りを何百年も保つという、話を思い出したりした。

2009年12月11日金曜日

ブログの孤独 つづき

ネズミ騒動始末記 つづき


時ならぬ、騒ぎに階下におりてみれば、我が家の廊下でネズミに出会った、それも傍らにネコを従えて。私には威丈高を常とするつれあいが「ヒャー」と言って逃げまわっている。あんなに浮き足立って「ザマアミロ」と思うが、どうしたらいいものであろうか。何処で何を食ってそんなに大きくなったものか、こいつはネズミのイメージをはずれて大きい。「どこからでもかかっていらっしゃい」と身構えている様子だ。ネコを見れば、規格はずれの大きさにおじけがついたものか、目を細めて眠ったフリなどしている。犬猫に加えネズミを飼うわけにはいかない。しばらく前から天井裏を駆け回っていたのはこいつだったのか、そこにそのまま居ればいいものを。金バサミを持ち出して、エイと摘んで捨てた。(ネズミもこのくらいになれば、金バサミをカリカリと齧る)
眠ったフリのネコは、「ようやったな~、偉いな~」とつれあいに頭を撫でてもらったりしている。

とりあえず、平穏は戻った。二階でこれを書いている。と、いつもは下から大声で用事を済ませるつれあいがめずらしく上がって来る。「何事だ」と聞く前に、「犬が仔を生んどる」と言う。さて、どうしたものか。

2009年12月10日木曜日

言葉を集めて つづく

・ 「ショウヤク」

やはりこれは方言なのだろうか、それももっぱら百姓の用いるところの。分厚い辞書にはない。『ほんにのうや』にもない、『方言辞典』には「処理する、整理する。」とあった。この説明では靴のうえから足を掻くような気持ちだ。具体的に書いてみよう。農作物を収穫する、土や枯れた葉や髭根はまだ付いたままだ。これを持ち帰り、「ショウヤク」しておいて、と家の者にたのむ、すると土は落とされ、不用の葉は外され、髭根はむしられるのである。つまりちょうど、八百屋の店頭に並ぶ野菜のようになる。この行為が「ショウヤク」なのである。思うにこうした、「整える」作業が廃れぬうちはこの言葉は身近からは無くならないだろう。
それはそれとして、どういう字を当てればいいのか、検索してみれば、岡山辺りでささやかに流通している言葉らしい事は解かったが、字までは解からない。「整約」「要約」「集約」「総約」「性約」「処約」と当ててみても、どれもいまひとつだ。解からないとしておこう。

ショウヤク、ショウヤクと頭の中で牛の如くに反芻していると、数学の教師が黒板に数式を書き並べ「ここまでをショウヤクすると、こうなります。つぎに~」と説明していたような気がしてきた、これは「証約」「小約」「抄約」だったのだろうか。方言の「ショウヤク」はこのイメージに近いような気がする。
それにしても、数学の記憶が言葉づかいの記憶だけだ、というのはいささか寂しい。

と、書いて半日。「嘗役」はどうかと思い至った。農作物栽培において、土と水と太陽による養い役は収穫によって終わり、後は手のみの役(約?)が始まるのである。

2009年12月9日水曜日

言葉を集めて つづく

・「アラツカ」

実(まこと)にものを知らぬという事は辛いことではある。「糟糠(そうこう)の妻」を「アラツカの妻」とつい最近まで読んでいた。いつから間違えていたか、おそらく、つれあいと連れ合って後だろう。年月を数えることもはばかられる。

ところでこの「アラツカ」は方言なのである。『ほんにのうや』には、「あらつかな」の項目に「荒っぽい、粗野な。」とある。「何事にも雑であること」がその意。「荒」ではなく「粗」が相応しいだろう。分厚い辞書にはアラツの項目に「放つ」とあるがそれでも大勢は変わらない。家には、時として「粗つ神」が居たのかもしれない。私にはボーットした記憶しかない。

2009年12月8日火曜日

ブログの孤独 つづく

「脱官僚依存政治」

呼ばれもしないのに、騒ぎがあれば顔をのぞけて一言口を挟む人物を「イッチョカミ」と云うらしいが、どうも私もそうらしい。民主党の新しいルール「陳情一元化」をめぐって、「イッチョカミ」してみよう。
最初から、調子が低くてゴメンナサイだけれど、残念な事に私は国に「陳情」した経験が無い。まして官僚ではないから、「陳情」を受けた経験も無い。したがって、これまでの自民党的陳情システムの弊害がまずピンと来ない、現場を知らないのだ。
一方、「脱官僚依存政治」を目指すという民主党が、そのためには「陳情一元化」がどうしても必要であるとする論理も今ひとつピンと来ない。「官僚依存」しないで政治をやりたいのはいいとしても、「窓口はひとつだけ」、というのは揚げ足を取るようで恐縮だが、あまりに「官僚的(お役所的)」発想と思われる。

さて、私の「窓口はひとつ」の経験を述べてみよう、相手は「市」だ。苦情、要望、お願い、言葉はあれこれでも「陳情」だろう。「市」に直接連絡すると、時としてしばしば、「町内会を通して」。と言われる。町内会を通してもいいが、いまひとつ市に届くものかどうか解からない不安がある。おまけに、直接「市」と交渉したりすれば、越権であると町内会の機嫌が悪い。「窓口はひとつ」は私にとって何もいい事は無かった。これが、私のささやかな「陳情一元化」の経験である。(単なる任意団体の町内会を、行政の末端機構のように扱うのは、「役所の手抜き論」を超えた問題がある、これについては、またの機会に)

これ以上書くことは無い。ただ一言付け加えれば、今、議論を呼んでいる、「事業仕分け」「陳情一元化」が彼らの弱さの表現で無い事を祈るのみだ。パホーマンスの成功体験を持つ者はまた、偽りのパホーマンスに躓くものだ、二度目は喜劇として。帝国で80年、ついで世界最強国の属国となって65年、人口1億2000万を擁し、世界でも指折りの工業国である国家をコントロールする難しさは想像を超えるものがあるとしても。

言葉を集めて つづく

「方言」

これは方言である、とか、方言ではない、とか散々書き散らしてきた。敗戦に至る記念の日(1941年12月8日、このクニの愚かな支配階級がアメリカ軍真珠湾基地に攻撃を仕掛けた記念の日、見方を変えれば、帝国から現在のこのクニの在り方に変化した画期の最初の記念の日)朝風呂に浸かって、鼻歌マジリに居ると、「世に言葉は無数にある、それをこれは方言これは違うと仕分けする基準は何だろうか」と思い始めた。私は手元の『ほんにのうや』『方言辞典』に載っているか否か、で決めている。それはそれで、イイとしても、普遍的方法ではなかろう。風呂につかり、あれこれ考え合わせ風呂から上がり調べてみたが、どうやら、正解は無さそうだ。よし、これで、もっと気ままに、言葉の仕分けができるぞ、と考えた。「いい加減な事を言うな」という輩には「いい加減でない基準は何だ」と言い返してやればいいのだ。

ところで、方言といえば、「地域における言葉の特徴である」のは、そうとしても、たとえば、特定の集団にも独特の言葉がある。これらを方言としてもいいのではないか。こうしてみれば、どうやら、永田町方言、霞ヶ関方言もありそうだ。

2009年12月7日月曜日

何を食らうか つづく

焼きソバ
レタスの間引いたのが、スーパーのカゴ一杯に出来た、どうして食らおうかと考えた。牛ならばの其のままを三口でたいらげるが、いかんせん、こちらは、資格を疑われつつも、ヒト人類だ。冷蔵庫を漁れば、イカの刺身の残りとやきそばの麺がある、これでいく。
中華なべに少しの油をたらし、麺をカリカリに炒めた、(どうも、焼きそば麺は、いったん水分をとばして、それに野菜の水分を入れた方がいいみたいである)上にイカをのせて、クルット反転させる、「ジュー」と音がして、しばらくはそのままにする。冷静になれば、料理は残酷な行為の繰り返しなのだ。10秒もすれば炙りイカになっている、さて、今度はレタス。中華なべから溢れるほど放り込んで、また反転、「ジャー」と水気がとんでいる、前後に揺すったりして、しんなりするまで待とう。その間に、お好み焼きソースを用意した、これを麺に絡ませて出来上がり。あんなに嵩高かったレタスは一握りにしおたれている。歯応えもいい。
後で思うに、これは小麦粉抜きのお好み焼きではなかったか。

ブログの孤独 つづく

09.12.7完璧な日記


午前5時起きだす。晴天であろうか、外は暗闇。耳を澄ませば、風音あり。枕を下に、なにを食らうか考える。イワシの干したのが軒下にある。昨日20センチ位の鰯をスーパーで見かけて買った。活きは良さそうだ。干し物にした。手で頭を取り、腹をヒトさし指でこそげ、親指を腹の尾の側から入れて、スーット頭のあった所まで滑らせる、こんどは頭の方から尾びれに向かい背びれのところまで深く親指の腹で背骨を探りながら尾まで行く。包丁はいらない。それで開きをつくる、塩を適当に溶かした水を平たい器に作り、それに、(洗おうと洗うまいと、勝手だ、)開いたイワシを漬ける。漬けるのは、30分でも、3時間でも、一晩でもいい。ただし、漬けた時間と、入れた塩の具合により、辛い甘いは決まる。それから、干す。風があって、いちどきに表の水気を持って行ってくれた方が旨いようだが、こればかりは、天気任せだ。

焼いてみれば、メザシ程の塩気であった。

料理は「勝手流」でやっている。思い返せば、子の小さい時の保育園で「食べ物の好き嫌いをどう直すか」の論議の席。「お願いしてまでも、食べてもらわないでもよろしい」と発言して冷笑と沈黙を作った時から、「勝手流」は始まっていたのか。私が、食いたい物を食いたいのだ。それ以外に人生の目的があれば教えて欲しい。

(以下略)

2009年12月6日日曜日

ブログの孤独 つづく

09年12月5日の完璧な日記


午前4時過ぎ、起きだす。今日は何を食らうか、枕を下に考えた。大根で何か。卸して?干して?炊いて?よし「おでん」を作ろう。土曜日だし、家の者も終日いる。食べる時も定まらぬ事だし作っておけば、あとはストーブの上で温めておけばいい。「おでん」は大根の食感とスープを味わうための「メニュー」だ。

スープは鶏ガラ。生姜、ニンニクの切れ端を入れてコトコト炊く。ついでに昆布、イリボシも入れてみようか。その間に、皮を剥いた大根を輪切りにして面取りをする、コンニャクはホークの先で筋に傷を付けて、牛スジ、昨日掘ったジャガイモも入れよう、練り物は竹輪でいこうか。具の連中を下ゆでして置いて、出来上がったスープと合わせ、大根とジャガイモに火が通れば出来上がり。塩気は「おでんの素」でも放り込んでおけばいい。それよりも、大根に味を染ませるためには、いちど冷まして置いた方がいい。朝飯にはやきそばを作る事にした。炒め物は、材料を強い火でイジメに苛める、(以下、略)。

新聞の折り込みをながめていたら、つれあいが通りかかる「あんたの好きなソーセージが248円」と教えてやると、「チィーセー」と私のシミッタレを一言でカタズケル。そのくせ、次に通りかかった時には「どこで?」と聞いてくる。彼女は食い物に極端に弱いのだ。

午後は、畑に行く。レタスを間引いていると、「ザー」と西風が吹き始めた。音のする山の方を見れば無数の木の葉が真横に東に流れている。風の音は空気が物に当たって擦れる音であるが、この時期のこの音は独特である。飛び去る木の葉同士が擦れあう音も混じっているのだろう。紅葉もおしまいに近くなれば、ほんの少しの風でいちどきに、葉は落ちるものなのだ、その昔、タマネギ苗を植えていると、突然、滝のように木の葉が落ちてきて驚いた事を思い出した。

「光」は対象物に当たってはじめて、その姿を現す。今日の私の意識もまた幾つかの対象物に遭遇したようだ。

2009年12月5日土曜日

言葉を集めて つづく

・ 「トマヲフク」


メモには「肥が良く効いて、茂りすぎているようす」とある。方言である。しかし、方言辞典には無い。「フク」は「噴く」あるいは「吹く」だろう。「トマ」は何か「苫小牧」の「苫」だろう、「すげ、かや」のことらしい。「苫を噴く」。とここまで書いて、自信が無い。これは「ラエ」の先生が使っていた言葉。意は明らかなのだが。

2009年12月4日金曜日

言葉を集めて つづく

・ 「ブッツケテ」


メモには「全面的に」とあり、用例として「ぶっつけて草が生えとる」とある。方言でも、古いことばでもない。ただし、「衝突させる」という意ではなくて、「容赦無しに発散する」の意(草が隙間無しに容赦なく生えている)。「感情を~」、「気持ちを~」ぶつけると同じ用法。ところで、「ぶっつけ本番」の意は、どちらなのであろうか。

ブログの孤独 つづく

・ 「オリオン座を」


犬と共に夜の散歩に出ると、建て込んだ昔ながらの家並みの道で「オリオン座を」見上げた。屋根越しの「オリオン」は全体をいちどきに見渡せない程デカイ。東方に星座を追って歩けば土手沿いから山越しに見える「オリオン」はいつもの大きさに戻っている。こんなのを「目の錯覚」と言ったりするのだろう。そこに実際にある物でさえ、こうだから社会現象の見え方は「認識の錯覚」に満ちているだろう、と考えた。
(つづけて考えたことを以下に記す。)

ところで『差別』もその「錯覚」のひとつだろう。最近の新聞記事から、ふたつ例を挙げてみよう。
ひとつは、「同和問題」。「結婚約束破棄」は「人権侵害」であると公務員が処分されたと記事にあるのは、近しい者の教えるところによれば身分差別に起因したことらしい。新聞に載るだけまだましとも言えるものの「人権侵害」としか書けないのは、この問題の深刻さを物語っているだろう。
もうひとつは「思想差別」。マンションに共産党のビラを配ったということで、最高裁で有罪(住居侵入罪)となった。これが仮に他の政党であったらこういう結果になったであろうか。通報、逮捕、起訴、そして控訴、といくつものハードルを乗り越えて最高裁に至る経緯をみれば、単なる法の解釈と運用の問題ではない「共産党だから差別されて当たり前」という、政官業中枢の成文化されていない意志をそこにみる。

いずれのケースも、差別される者を萎縮させることになる側面があることはいなめない。結婚(婚約)をためらわさせ、ビラ配りをためらわさせるだろう。
しかし、たとえそれが為政者にとって今のところ有益なことであるとしても、差別を放置している為政者は、やがてこの差別のメカニズムに自らが苦しめられる事になるであろう。これは歴史の教えるところである。

ここまで、考えたところで、家に帰りついた。「今日はどうしたものか、おとなしい」と庭に座った犬どもが思案の私を見上げている。

2009年12月2日水曜日

言葉を集めて つづき

・ 「アメツユモラサズ」つづき


11月30日に「あめつゆもらさず」を書いて後、どうもスッキリしない一日を過ごした。「天駆ける~」、と言ったりするじゃないか、「あめ」は「天」を含んでいるような気がしてきた。「あめつゆ」をほんの少しずらして「あめつち」とすれば「天地」である。天地もらす事なしに。こうではなかろうか。「いっさいがっさい」「細大漏らさず」の意は変わらぬにしても、この方が落ち着きがいいようだ。「天地を網羅して」とまでは行き過ぎとしても。
それにしても、我等が先輩の造語力には敬服するほかない、雨露と天地を掛けてなを意は同じである。この言葉は「ラエ」の先生から聞いた。

余計を付け加えれば、マスコミで「天下り」を「適材適所」などと擁護する論調もみられるが、ほとんどがそうでないから問題なのだ。百のうちひとつの例外を挙げて、九十九もそうだとするのを詭弁と言うのではなかったか。

2009年11月30日月曜日

言葉を集めて つづく

・ 「アメツユモラサズ」


雨露漏らさず。メモには「隙のないさま?隠し事のないさま?」「正確にある様子。キチンとしているさま。」とある。当時、このことばを聞いて、混乱しているらしい、「さま」が伺える。今になって思えば、「細大もらさず」とか「一切合財(いっさいがっさい)」のことである。と、どうして書かなかったのかと、その方に興味がある。「ことばの衝撃力」が、どうやら私に脳震盪を起させたらしいのだ。「雨」も「露」も漏らす事無しに、野良ですごすことは不可能であるから、この言葉の衝撃力は生まれるのだと愚考した。

言葉を作る力は、どこから生じてくるか、それは、「多様」な生活様式からであろう。「画一」は言葉を萎えさせる。あなたはどう思われますか。

2009年11月29日日曜日

言葉を集めて つづく

・ 「ツチゴエ」


「土肥」。方言ではない。農業用語にもない。強いて言うなら、百姓言葉(農業から業を外した農の言葉)である。メモには「堆肥のこと、液肥との区別か」とある。

ここまで、書いて思い直して「土壌肥料(ドジョウヒリョウ)」を検索したら「学会」まであるのには驚いた。しかし、「つちごえ」は「つちごえ」なのだ、いまさら、「どじょうひりょう」みたいなニョロニョロ、ネチャネチャした言葉を使いたくはない。誰にも理解されないにしても。

2009年11月28日土曜日

何を食らうか つづく

「メニュー」             
日々、家庭(あえて家とは書かない)には、放っておけば直ちに飢える犬、猫、ヒトが属している。それらが何を食らうかは、日々の喫緊の課題なのである。食い物の種類を「メニュー」と西洋言葉で言うことにして、「メニュー」をどう決めているか、どう発想しているか。に私は興味がある。いや、ここ数十年、(ハタチのころ自らの食い物の調理を始めてからは35年か、その間、ひとりからふたり、さんにんからよにん、ごにんからろくにん、メンバーは入れ替わり、数の増減もある)「メニュー」のことを考えない日は一日たりとも無かったはずだ。こんな身近の「テーマ」を思考の表面に取り出さなかった、己の不明を悔やんでいる。

さて、あなたは、この根源的で深刻な「テーマ」をどう扱っているか、扱ってきたか。この問いに答えることは楽しい、食い物のイメージが頭の中を錯綜するから、そしてこたえは驚くほど多面的なのである。

言葉を集めて つづく

・「オウドウ」


メモには「無謀」とだけある。『方言事典』には「大胆・横着」とあり、『ほんにのうや』には「生意気・大胆不敵」とある。だいたいそういう事だろう。方言である、薄い辞書にも、分厚い辞典にも無い。
何が「オウドウ」にあたるかは、自ずと社会における立場によって違うだろうと考えた。繊細可憐なこの私でさえ「オウドウ」者と思うヒトが居るだろうし、また、私が「オウドウ」なやつと思う無礼者をそうは思わぬというヒトもいるのだ。こんな簡単なことが解かるまでには、ヒトはいささかの苦節を経ねばならない。

2009年11月27日金曜日

ブログの孤独 つづく

生きていれば、悩みは尽きぬもの。と知ってはいるが、ブログに「コメント」が来ないのは、少々悩む。知り合いに、「野良通信」見たかと聞けば、「おお、なんか、書いていた」とか、そわそわとして話題を変えたり、とか、そんな具合だ。「読め。」と言えば、「そんなに人気者に成りたいのか、」と軽蔑のまなざしである。どうすればいいのか。

2009年11月26日木曜日

ブログの孤独

「土の中の純」
いまさら、こんなことで百性が驚いていては、職業詐称と言われても仕方ない。でも私は、土に育った、ダイコン、ジャガイモ、等、野菜に包丁を入れる度に、その身の「純」なことに驚く。泥の中に生きながら、その身の中に、外部を入れぬその、メカニズムに不思議を感じる。
時は可逆ではない、すべて存在する物は、時につれて、交じり合い、化合しあい、時には核融合もして、平均に複雑に至る過程である。科学はそう教える。しかし、その法則さなかにあって、泥の中に「純」を創り出すこの現象を「命」と呼ぶのであろうか。

今の、若いヒトは経験がないかも知れぬ、私の育った頃の飯にはよく、石(砂粒)が入っていた。「ジャリッ」ときて、そのあたりを舌先でさぐり、見つからなければ、そのまま飲み込んだものだ。これは収穫の過程で混じり込んだもので、米ひとつぶの中に砂が入ることは無い。

言葉を集めて つづく

・ 「カゼガツク」


「風邪をひく」とメモにある。説明はいらぬだろう。方言なのかどうか解からない。咳と熱がある、喉も痛いとくれば、「風邪がついた」のである。どんな迷医でも先ず、風邪を疑うだろう。それにしても、どうして、風邪に限って「ひく」と表すのか。「つく」の方が、用例も多い、尾行がつく、運が付く、気が付く。分厚い辞書の「逆引き」を見れば20や30はあるようだ。歓迎するものも、しないものも、来たりて「付く」のである。と書いて、「風邪にさばられる」と言っていたような気がするが、それは私だけの錯覚なのか、と考えた。「ひく」と「つく」の事を考えていると熱が出てきそうだ。風邪の季節です、互いに根などつめたりせずのんびりゆきましょう。戦争はいま少し先の事になりそうだから。

2009年11月25日水曜日

言葉を集めて つづく

・ 「イカナコトニモ」


メモには「どうこう言ってみても」とあり、使用例として「イカナコトニモよう雨がふる」とある。方言かと言えばそうではないみたいだ、しかし、使っているかと言えば、ほとんど聞かない。「狂言」の舞台では使っていそうである。つまり、昔の言葉なのだ。私は耳にして、メモにとったが、この言葉は、絶滅危惧種(例えば朱鷺)だったのであろうか。
この言葉は、私の百姓の先生の口癖。先生は当時の若者がそうであったように兵隊に取られニユーギニア戦線に送られた。幸い?病を得、九死に一生を得た。何処から船に乗せられ帰国したのか。どうか、インターネットで探してください、パプアニユーギニア「ラエ」を。 この話はまた機会があれば書いておきたいと思っている。私にその能力があれば。
それにしても、やれ「グローバル」だ、などと言い言いして、クニは国民を威しに掛かっているが、70年前から、このクニは、じゅうぶん「グローバル」であったのである。
「なんにも知らん、子供みたいな者が死んでいった、いまはテンノウヘイカの悪口をいっても手が後ろに回らん世の中」。グローバルなどと言う、流行言葉を理解しない先生の、体験記はそれから始まり、時にはそれで終わった。

2009年11月24日火曜日

何を食らうか つづく

四季の移り変わりは、いやでもやって来る。今秋初めてフロントグラスに降りてきている霜を見た。こんな時「また、のうのうと生き延びたな」と思ったりする。ところで、ヒトは誰でも、「これだけはやっておきたい」という事があるだろう、例えば「恋愛」。「運命の人」などと、目の玉にハート印をつけてみても、傍から見れば「偶然の相手」にしかすぎぬ、ようにも思えるのであるが。
私にも、「やっておきたい」事が現れた。土間の片隅に小芋が収穫してあるのを発見した。「豚汁」を作ろう。
幸い冷蔵庫には豚肉の切れ端がある、ゴボウ、ニンジン、シイタケ、コンニャクもある。さっそく、鍋の湯に刻んだコンニャクを入れて湯がきにかかると、ゴボウ、ニンジンも湯通ししてみようと思い立ってコンニャクの鍋にこれも入れる。別の鍋を出し、豚肉を入れ、酒をふりかけ、味噌を下味の付くぐらい入れて、炒めにかかる、適当にサット炒めたら、湯通ししたコンニャクたちを入れて、ガッサガッサ炒め合わせた、その上に湯を張り、小芋を入れて、煮る。アクが浮いてきたら、取り除いて、その間にネギを刻んでおこう、春菊もいいな。小さなボールを出してきて、味噌を適当に入れ、煮汁で溶いておく、小芋の煮えたを確かめて、ボールの味噌を入れれば出来上がり。「豚汁」は作りたてがうまい。温め直しは、味噌の香りが飛んで今ひとつの味だ。
それはそうと、今朝の霜で畑の野菜が甘くなったはずだ。さて今度は何を食らうか。

2009年11月23日月曜日

完璧な日記

09.11.23 の完璧な日記


午前三時すぎ、起き出す。さて、今日はなにを食らうか、冷蔵庫をみれば、アナゴの炙ったものがある。酒と砂糖と醤油でタレを作り、ネギを少々多目に刻んで、新米を仕掛けて、出来上がった熱々ご飯の上にサット炙り直したアナゴを(タレを充分絡ませて)、載せる、その上に少しく煮詰めておいたタレをサッと掛けまわして、ほんの少しご飯を載せたりしてもいい、ネギをその上から、いやネギは熱々の煙の上がるほどの油で一回ジュンとさせて~。いやネギは、タレと絡めてチンで火をとおすか、と考えた。
テレビをつければ、今日は祝日らしい、これでは、家の者は、てんでんばらばらに起きだしてきて、ご飯も冷め、ネギも香りがなくなるだろう。それでアナゴ飯はあきらめた。
しからば、アナゴの巻き寿司を作ることとした。米は去年のを使う、その方が粘りが無く、寿司にはいいのだ、かんぴょうを水で戻して、シイタケは戻しておいたのが有る。ホウレンソウがあればいいが、之は諦めて。かんぴょうとシイタケを煮、酢飯を作り、冷ましたところで、新聞が配達された。(取りに出れば、外は一面の完璧な霧)なにはともあれ、新聞に目を通し、ひと眠りして醒めれば、枕辺につれあいの気配がする。「今日は、巻き寿司を」と言うまでも無く、もう作って食った気配だ。腹を空かせた者と、満腹の者とのたたずまいは、霊長類ヒト人類には、おのづと解かるものなのだ。
「今日は、祝日らしいが、何のだ」と聞けば、やや間があって、「教えてあげようか」とまるで鬼の首でも取った如くに機嫌がいい。「キ・ン・ロ・ウ・カ・ン・シャ・の日」と歌うようにピシャット言う。まるで、「あんたには、関係ないことだけど」という調子で。確かに、土日も祝日も関係ない日々を暮らしているが、「何をぬかす」と言えぬのは、どうしてなんだろう。もっとも、つれあいは自慢かどうか知らぬが、「家の者は、金を稼ぐ事以外は、何でも出来る」と言っているらしい。(この美しき誤解はそのままにしておこう、私はやってみたい事をやり、やりたくない事はやらないだけなのだ)
ほどなく、つれあいは、巻き寿司を弁当に「勤労」に出かけた、さーてと、もうひと眠りするか。

2009年11月22日日曜日

言葉を集めて つづき

・ 「キタケ」


北気。メモには「中国山地で冬に降る霧のような雨」とある。もともとは「北から吹いてくる風」の意、だったのだろう。しかし、瀬戸内と違い、中国山地では、北からの風にはかならず、時雨(しぐれ)を伴うのだ。このメカニズムは、素人の私にも想像がつく、この列島は基本的に偏西風にさらされているから、日本海を渡って来る、湿った空気が山地に当たる、それが上昇し、霧となり水分を放出する。こうだろう。北に行くにつれこれは雪になるのだろう。
いや、このごろ雪は積もらないが、「私が小学生の頃は、」と、中国山地の水を飲んで育った、つれあいは言う。「朝起きてみて、雪が降っていたら、学校まで行くのに、親が前を歩いて雪を踏み固めてくれて、そのあとを、ちっちゃな子供の私たちは長靴で~、それでも、長靴の上から入った雪で靴下が濡れて、霜焼けに~」と。(こんな、具体的で、直接的な子育てがかつて、中国山地では展開されていた事に、私は、ある感慨を覚える)

つらら、霜柱、アカギレ、しもやけ、これらはみんな北に行ってしまった。彼らはどこまで行っているのやら。日陰の残り雪が懐かしがっている。

唐臼その後

さて、米を収穫した。私のような気まま百姓は、「食らうだけ」採れればいい、でやっているからもうダラケテいる。売るために作る人は、ほんとうは、これからが大変なんだろう。
去年までは、NKにいくらかを出荷していたが、今年はやめた、昨年のこと「カメムシで変色しているコメ粒が混じっている」と迷惑そうにするのでカチンときたのだ。NKなど農薬をタップリ吸わせた米を売るがいいのだ。ところで、変色粒にイチャモンをつけた職員はちゃんと農薬米を食っているのだろうな。
とここまで書いて、一昨年のことを思いだした、おととしも、あれこれイチャモンを付けたあげくに「籾種をNKから買わずに作るから、こんな事になる。」と言ってきた。おあいにくさま、その年は「あけぼの」から「あさひ」に品種を変えた年で、NKから種を買ったのだ。「伝票を見直してみろ」と言ってやったら、それきり返事がなかつた。どうやら、NKとは、このあたりから雲行きがあやしかったのだろう。百姓は「指導」しないと馬鹿ばかりやるものと思っているようなのだ、NKの連中は。食い残した米は、田圃に戻してやるつもりだ。
ところで、私のジイさんがコメを作っていたときには、たいてい、一年分の食い米は貯蔵していた。つまり、そうすると、新しく取れた米は、食わずにその前の年の米を食うことになるのだが、それは、凶作への備え、生き延びるための知恵であったのだろう。「おいしくなければ、食い物ではない、まして、虫食いのものなんか」という風潮はここ最近の流行でしかないのだ。こんな風評を流したのは、NKと農薬業界のたくらみである。とするのは穿ち過ぎであろうか。

2009年11月21日土曜日

言葉を集めて つづく

・ 「トシヲヒロウ」


メモには「年をとる」と書いてある。薄い辞書には無いが、分厚いやつにはある。方言なんかではない。年50を過ぎて、馬齢を重ねるにつれ、この言葉がちょうど、体に合った服を着たみたいに、ピッタリ我が思いを表してくれる。

ところで、年齢の数え方は、そんなに簡単ではない。このクニには「かぞえ」と「まん」がある。あなたは、どちらで身過ぎしているのだろうか。墓参のついでに、いくつで死んだかを見れば、「かぞえ」で記してあるのが多いようだ。さればとて、生きてある時は、「まん」を表明することで、身過ぎせよと「法」によって定められていると、さっき調べて解かった。いらぬお世話だと考えた。
そういえば、誕生日なるものがあって、身近の者のそれを、憶えていて、その日に忘れずに「何かを」というのは面倒だ。いや、「その日」を忘れていたら、もっと面倒な事になるだろう。年齢なんか、その場その時で自己申告にしたらどうなんだろう。芸能界みたくに。「生年月日」を市役所に届けることで、われわれは、「管理社会」にすでに所属しているのだ、これ以上管理されることはなかろう。

とここまで、書いて、そういえば「アーサー・ビナード」が詩かエッセイで「かぞえ」の不思議を書いていたのを思い出した。探しに行けば、積み上げた本は微妙に崩れていて、一冊抜き出せば、また、新たな秩序を求めてもっと崩れるだろうから、明らめた。で、この冬は本棚を作る事にした。本棚が出来たあかつきには、「ビナード」君の書いたものが、出てくるだろう。

それはそうと、「命」なるものはDNAとDNAが絡まって、ひとつの秩序が生まれた時から始まり、その秩序が解体(開放)される間の過程であるらしい。それでなんだろうか、どうもヒトは自らがどこから来ているものかを、明らかにしたがるものだ。いや例えば、それなしには、いてもたってもいられぬと、不幸にして、生き別れになった人が、親を探して彷徨う物語に我々は共鳴する。

2009年11月18日水曜日

何を如何して食らうか つづく

牡蠣ご飯のこと。
この前のカキは昆布とカツオで取った出汁があったので、それを沸かして、食うだけ、(二個か三個)をポトンと入れてクラットさせて、畑から摘んできた春菊を浮かべて食った。塩気はカキが持っているので飲む人が好みに合わせて醤油でもたらせばいい。酒をくらいながら、家族のぶんを作り、自分のものは、酒のあとに、最後に作る。ここだけの話だが、後になるほどカキのだしが汁の中に溶け出してうまいのだ。この食い意地が痛風を呼ぶのか。


さて、またカキを買った。フライにするか、どうするか、つれあいが思案の前を通りかかったので、カキは何で食いたいかと聞けば、ご飯がいいと言う。さればとて、炊けるように仕掛けておいた炊飯釜から水を捨て、鍋のカキに醤油を、今回は三合だから大匙2、(具が多いときは3)をいれ、酒を適当にふりかけて、身がぷっくりしたら火を止めて、さて何と炊こうか、サトイモは畑にあるが、堀りに行くのは面倒だ、牛蒡、ニンジンも刻むのがめんどうだ、と考えた、冷凍庫を漁ると、春の筍があった、これでゆこう。カキを炊いた汁を炊飯釜に入れ水を分量に張り、その上に筍をのせ焚きにかかる。鍋に残ったカキは炊き上がる寸前に入れればよろしい。その間にネギを刻んでおいて、蒸らしの終わった飯に混ぜ込んで、おしまい。

次の朝、炊飯釜を洗っていると、いつも少し油っけている釜がそうではない、油あげを入れるのを忘れていたのだった。しかし、うまかったからそれでいいのだ。料理なんてそんなもんだ。次回は入れようか。

2009年11月17日火曜日

言葉を集めて つづき

・ 「トウス」


「籾摺り」のことである。これを「トウス」と言わない人がいることは、最近知った。「ヨウス」と言ったりするらしい。『ほんにのうや』には「コナス」と言うとある。そういえば、つれあいは「ぐずぐずせずに、はようこなされえ、何時するんで」と角を生やしていたから、中国山地あたりではそう言うらしい。しかし、どうやら、「トウス」は「唐臼」から来ている歴史ある言葉らしいのだ。この島国が、「政府」「議会」などという言葉を知らず、「哲学」みたいな言葉も無い、むろん、大陸や半島を蔑視することも知らなかった、そんな時代に唐臼は籾摺りをしていたらしいのだ。なにしろ、唐から来たるところの臼であるのだ。

ところで、今日、その「トウス」をした、一人で。電気モーターを動力とするそのシステムは、15俵、1トン近い玄米を籾すりする。3時間で。ひとりで出来るようにシステムを組み立てたのは私だから、文句は言えないにしても、まるで「モダンタイムス」のありさまだった。ピーピー、ブウブウ、そら早くしなさい、と機械システムがせかしにせかす。この時代、機械の主人であることは、むずかしいことである。

言葉を集めて つづき

・ 「イジル」


メモには「操作する」と書いてある。辞書には「もてあそぶ」という意味、とある。メモのつづきには「タマネギの値段は市場がイジッテしまうから、ただみたいなもんだ」と書いている。この地域はタマネギの産地で、稲の裏作として大量に作っていた。現在はちらほら居るかどうかである。お名残としてか、タマネギ苗は自分で育てるという人が多い、私も育てている。「栴檀は双葉より芳し」、でタマネギ苗をいじっているとその香りは手や服に付いて心地いい。余計を付け加えると、市場では重さで取引されるから、肥料をたっぷり吸わせたブクブクのタマネギが流通するけれども、それらは腐りやすく、日持ちもしない。肥料を切って、小さく締まったものを作れば半年は持つ。

2009年11月16日月曜日

言葉を集めて つづき

・ 「ドテネ」


メモには「土手根?」として「どてのそば」と書いている。「ドテネ、ドテネ、」と口の中でこの言葉をころがしてみても、そういう事だろうと思う。方言ではなかろう。とそこらで私は、ここ数日、迷いのなかにいた。しかし、私のメモが正確であるなら、「そば(側)」の事を「ね」と表現することは、一般的ではない。調べてみたら「~の側」ということを、方言で、「ネキ」というとある。「どてのそば」は「ドテネキ」であり、「ドテネ」なのである。

2009年11月9日月曜日

言葉を集めて つづき

・ 「ズエル」


崩れる。山の斜面が滑り落ちている。以前に記した「モクレル」は山の斜面にある物が転げ落ちることだが、「ズエル」は土そのものの動静を指している、と考えた。「ズッコケル」とは隣りどうしだろう。

世相 つづき

昨日、テレビを見るともなく見ていたら「普天間」沖縄米軍基地をニュースでやっていた。轟音とともに、校庭をすれすれに飛ぶところの軍用機の映像は只事ではないと見た。インタビューに答えて女の先生が、「墜落してきた時、どうしたらいいのか、それが一番の心配」と言っていたが、どうしようもないであろう。言葉にならぬ悲鳴をあげる時が残されているのみであろう。国会が開かれているそうだが、この轟音の下でやればいいのだ。


ところで、それを見ながら、私は一篇の「詩」を思い出していた。1974年頃の10月28日、朝日新聞「文芸時評」欄で「丸谷才一」氏によって教えられたその詩。私の変色して分解しかけているノートより抜粋する。
「洗練された言葉の芸、『天野忠詩集』」という書き出し。
「昭和29年の詩集『重たい手』のなかの、人々がひょっとすると単なる反戦詩と見るかもしれない数編の詩の場合にもいささかも変わらないようだ。一例として、散文詩『拍手』では長くなりすぎるから『何故』をひく。

『そのとき 遠い空に鈍いひびきがふるえ

みるまに轟然とふくれあがり

そいつは

学校の屋根いっぱいのつばさとなった

中学生の読むリーダーの声がふっ消され

首を縮かめて みな息をのんだ

グアーッと莫大なひびきで いつものように

教室は揺れた



やがて

とぎれた生徒の言葉を補うために

先生はしずかな声で‘Why’と云われた。』」

以上で抜粋はおしまい。手練にかかると散文詩「拍手」を探しだして読みたくなるではないか。
余計を付け加えれば、次のページに私は「シンシア」の歌詞を書き写している。「なつかしいひとやまちをたずねて」「かえってゆくばしょないのなら」どうやら優れた表現の射程は思いのほか長いみたいだ。

2009年11月8日日曜日

言葉を集めて つづき

・ 「アダヤオロソカ」


メモには「かんたんには」と記している。それで充分であろう。「アダヤ」も「オロソカ」も方言ではなかろう。私の百姓の先生はこの言葉を連発していた。「あんたには簡単に見えるかも知れないが」という意味を込めて。

確かに、「都会で食い詰めたから。」「定年まで勤め上げたから。」「これからはこれが新しい。」様々な理由で田舎は、今、注目されているかも知れない。しかし、「時」はそんなに可逆的ではないのである。田舎は彼らが(彼らの先祖が)捨てた時とは変化しているのだ。まづ手頃なゴミ捨て場としてあなた達の故郷は利用されつつある。死語に近い言葉を使えば「総資本」との戦いを「戦いぬく」決意がなければ、あなたの頭の中の「故郷」は夢想に過ぎないだろう。
もしも、あなたが、田舎の生活を「満喫」しているとするならば。それは、あなたの、自覚していないところのあなたの裏切りによる他はないのだ。どうして、あなたは、欺瞞に満ちていると思うところの「都会」で「都会」の欺瞞の問題を解決しようとしなかったのであろうか。
裏切り者という罵声が私の肩にも遠くから聞こえている。

2009年11月7日土曜日

世相

世相を「新聞」に読む


09年11月、ある日の全国紙の地方版を要約。文責は私。

『・ 生まれて(3ヶ月)の赤子を虐待したと無職母26を逮捕

・ 交通事故、無職68を派遣社員36がはね、死亡

・ 労働現場事故、アルバイト作業員48が建設機械の下敷きになり死亡

・ 児童ポルノ法違反、フリーライター43を逮捕』

マスコミには幸せよりも不幸が載っている。それはしかたない事として、職業欄を見直して下さい。無職、無職、派遣、アルバイト、フリーライター。運命によって無作為に集められたこれらの事柄は、今、この社会が抱えている最大の問題「雇用」を物語っているだろう。
最もこれは最後が「フリーター」である。と書き写すまで思い込んでいた迂闊の私の独断であるにしても。

2009年11月6日金曜日

言葉を集めて つづく

・ 「マゼカエス」


「雑ぜ返す」。方言ではないようだ。メモには「さわがせる」とある。ボソボソと呟いてマゼカエス事はないから、声にしても、文字を擦り付けた文章にしろ、高調子である。観察してみれば、マゼカエス人はシャイでテレヤでニヒルでシニカルの傾向があるみたいである。たぶん、彼(彼女)は、その瞬間のその場の、その相手の一瞬の心の揺れがおもしろいのである。

こうしてみれば、すぐれた文学や学問や芸術はその要素で出来ているのである。

マゼカエスので困り者の人をどうか暖かく見守ってやって下さい。彼がすぐれた文学を生み出すことは無いにしても。

道具について つづく

「道具」について書いておきたい。この時代の道具についてであるから、主には金属についての偏愛を語ることになるだろう。金属は土から取り出し、また土に還ってゆくものだけれども、しばらくは、ヒト人類の傍らにあるものだ。

食らうために つづく

「料理」をする事について書いておこう。「食い物」をまづ料理しておこうと思う。食らう物に必要な要素を大切なものから三つ挙げよ、という設問をされたことは無い。しかし、仮定のそれに答えてみよう。あなたはどう考えるか。


 私の答えは

1. 安全であるか ―― いくら美味しくても毒は食えない。

2. 栄養があるか ―― ヒトはエネルギーを食い物から摂りいれる。

3. 美味しいか ―― 不味いよりもいい。

以上である。クニを挙げて「うまい物でなければ食い物にあらず。」と非国民なみの扱いに異議を唱えておきたい。

2009年11月5日木曜日

言葉を集めて つづき

・ 「ゾゾリ」


あるいは、「ゾゾロ」。97.8.22。日付から思うに、盆明けに、中国山地の方で聞いた(聞かれた?)ものだろう。メモには「わき芽の意、サトイモのゾゾリを取るかどうか」とある。

さて、この言葉が手近の辞書には無いのである。何かというと引き合いに出てくる「広辞苑」にもなし、インターネットの検索にも引っかからない。諦めかけて、古語辞典を引けば、あったのである。「ぞぞりこ-側子・里芋の親芋についた小さい芋。小芋。」とある。どうやら、サトイモにだけ使われる言葉のようである。

サトイモはその毛むくじゃらの容貌にもかかわらず、好む者が意外と多い芋である、物の本によれば、うそかほんとか縄文の頃からこの半島にいるらしい。サツマやジャガなどお里の知れた、新参者に比べてはるかに万世一系の歴史を誇り、なを好まれてもいるのである。

サトイモの皮を剥くと手が痒くなる、ヌルヌルしていやらしい、と料理を作る者からは煙たがられてもいるが、いったん豚汁の中に入ればそのぬめりがちょうどのとろみとなり、煮崩れそうで煮崩れぬその性格は、サツマやジャガの追随を許さぬ存在なのである。

ところで、辞書の「ぞぞりこ」のあとに「そそろ」があり「鷹が鳥を食べ終わって、その毛を吐き出したもの。」とあった。なを「そそろか」は「けば立ち、なめらかでないさま。」とある。小芋の毛むくじゃらの容姿は、「そそろ」に似ているだろう。「鷹」と「芋」との意外なつながりに私はおおいに興味をそそられたのであった。

2009年11月4日水曜日

言葉を集めて つづく

・ 「ドヒンギ」


メモには「囲炉裏(いろり)のまわりを囲っている木組み」とある。つれあいの故郷に行って(彼女にしてみれば帰って)つれあいの叔父から聞いた言葉だ。酒席だった。ドブロクの発酵が過ぎて、酸っぱい、でも飲みたい、飲んでそのあまりの酸味に「ドヒンギを掴んで、耐える」という話だった。叔父さんはそこには存在しない囲炉裏のドヒンギを鷲掴みにして、小刻みに揺すってみせた。
中国山地のヒトは「我慢」とか「辛抱」とかを生活信条とする向きがある。酒においてもをや、である。

調べてみれば、『ほんにのうや』の逆引き方言に有るのみだった。「いろりばた」の項に「ユリー、ユルリ、ユリーバタ、」そして「ドインギ」。私がこの言葉に出会ったのはこれが最初であった。そして最後であろう。もう実用の囲炉裏は見ないから。
「ドヒンギ」の叔父は代掻き作業の途中にトラクタの下敷きになって亡くなった。もう10年になるか。当時、調べてみたら、この県で、年に10名が農作業中の機械事故で死んでいた、全国にすれば×50であるかと、思ったことだ。百姓はそんなにのどかな仕事でもないのである。

言葉を集めて つづき

ミナクチ。つづき


さて、あなたは、こうして一枚の田に稲を植えることが出来るようになった。もし、この田を養うに充分過ぎる水が流れてくるとすれば、その水をどうするか。川に戻すか、否であろう。あなたは、今の田の下にもう一枚、田を作ろうとするはずである。苦労して引いてきた水がすぐそこにあるのであるから。もう、お解かりのように、こうして棚田構造は出来上がるのである。これこそが、また「里山」風景である。

余計を付け加えれば、棚田の上から下まですべてがあなたの所有でない場合、つまり一般的にはそうであるのだが、この場合、水の配分についての調整が必要となってくるだろう。日照りの年もあるのだ。成文化されていない水配分の法があらゆる棚田において存在する。調べたわけではないが、これは確かであろう。

言葉を集めて つづき


「言葉を集めて」に戻ろう。水口。
宿題があった。上の図を見ていただきたい。単純な仮定として、あなたが、この地形に田を作り水を引いてくるとすれば、川からだろう。しかし、すぐ近くの川は田面よりも常に低いのである(低いから川である)、これでは水は来ない。あなたは川をさかのぼり、田面よりも標高の高い地点を探し、そこを「水口」?とし、条件によればかなりの距離の水路を作るであろう。これが田にまつわる「里山」構造の簡単なデッサンである。

ブログの孤独

「種から種まで」
稲刈りを終えてみれば、5月に蒔いた種を、11月に回収したことになる。約半年をかけて。数えたことはないが、一粒の種は千粒には増えている。性懲りも無く、来春に種をまくとしても、999粒は食っちまえばいいのだ、そういう様にして、我々は時の狭間をさまよっている存在にすぎない。
それはそうと、百姓の栽培する物の中で「種」まで育てて食らうものは多くない、たいてい、茎を、葉を、根を、果実を食用にする。稲の他に何があるか考えてみてください。

2009年11月3日火曜日

ブログの孤独

「海のルール」
稲刈りはてんやわんやの事どものウチに終わった。20年数年前には新品だったコンバインは、ガタピシしながらも止まることなく動いた。50数年前に新品だった、私の腰に故障があったくらいで。さてこれから、一碗の飯になるためには、いま少しの工程がいる。「炊きたての湯気立つ新米飯」のイメージが萎えがちの心を毎年奮い立たせるのだ。たった一碗のそれのためにヘトヘトに突っ込んで行く。合理主義者ども笑いたければ笑うがいい、私はそういうようにして生きている。
それはそうとして、ブログらしくニュースに絡もう、24日、八丈島沖で遭難した漁船から三名が生還した、詳しい者によれば「奇跡」に近いことらしい。新聞によれば、転覆した船に4日間閉じこめられて、脱出を試みることなく留まった、とのことだ。私は考えた、助けがなければ、いづれは死ぬことは目に見えている、船を捨てての万分の一の可能性に賭けなかったその論理は何かと。それは「必ず助けが来る」という確信ではなかったか。それは仲間がそうなったら自分は何をさしおいても助けに行くという、論理の裏返しだ。そこには、「他人の不幸は蜜の味」「自己責任論」が蔓延している陸地とはまったく異なる「海のルール」があったのではなかったか。

2009年10月30日金曜日

ブログの孤独

「ちょうど」
稲刈りも終盤にさしかかった。毎年のことだが、田植えと稲刈りは、もう二度とイヤダと思うほどヘトヘトになる。これは多少の経験を積んでも変わらないようだ。つまるところ、食い扶持を手に入れる行為は片足ケンケン、鼻歌マジリにはゆかぬ。ということなんだろう。
ところで、昨日、籾を入れた袋を運んでいたら、ギックリ腰になった。つれあいは「あんたは」という「かんじんな時には頼りにならない」と。「なにを言うか」、と言えないのは、その昔、引っ越しの最中に足を挫いて、松葉杖をついていた記憶があるせいだ。つれあいを変えるようなことが出来れば、これは秘密の事柄にできるのだが。
それはそうと、このつれあいは、彼女が「毛深い友達」と呼ぶ、犬と猫を養っている。数は総計9。先日、数を数えたものか、「切りがよくない」と言う。10にひとつ足りぬらしい。「もう、ひろっちゃいけん」と言って止めにかかったが、しばらく後に「そういえば、ちょうど、だ」と明らめた。聞けば10番目に30年前に拾った私を入れたらしい。 
 

2009年10月14日水曜日

言葉を集めて つづく

・ 「ミナクチ」
水口。水面(みなも)と言い、水上(みなかみ)と言い、水底(みなぞこ)といい、水無月(みなずき)と言い、水俣病(みなまたびょう)と言う。それと同じ言葉ミナ。メモには「田に水を入れる入り口のこと」とある。あまりに身近で記録や記憶や詮索の対象になりづらい言葉なのだろう。『ほんにのうや』には記述がない、『岡山方言事典』には「堰口・関口」(この説明の方がムズカシイ)の事とあり、地域により「ムナトク・イダレ・ミトグチ・ミナクチ」と言うとある。これを読んで、そういえば「ミトグチ」と聞いたとも思えてきた。どちらであったのか確かめるすべはない、もう誰も使わないから。今では、「ミズノトリイレグチ」みたいな役人言葉が横行するのみだ。
しかし、こうして書き付けてみると、気になるところも出てくるのである。
1. なぜ、この言葉は瀬戸内地域で多様な変化を持って使われて来たのか、一方、中国山地では使用例がとぼしいのはなぜか。
2. 田に水を入れる仕掛けの中で、どの部分を指し示す言葉なのか。川の部分なのか、それとも田の部分なのか。
さて、それでは詮索してみよう。

と書き付けて、数日が過ぎた。斯く書く私も、「半端」と自称しても百姓の端くれ、5月に種を蒔き、6月に植えた稲の刈り取りがあるんでないの。と、キーボードを叩く私の肩を時の手が叩いている。しばらくは、モニタではなく稲を相手にすることとした。ヘラズの口をたたけば、ブログが来年の私の口を養ってくれる事は、掘っても無いのだ。
もう少しく、書いておけば、田、田圃、棚田、において水配分システムは説明が難しいこともある。かけて加えて、最近「里山」という、概念が流行っているが、水の配分システムこそ、その里山景観を造って来た。と私は思っていてそれを説明するには、忙しくては出来ない。では。

2009年10月10日土曜日

言葉を集めて つづく

・ 「アリガハヨウル」
「蟻が這ようる」。メモによれば「水のあった所が、干上がっているさま。池の樋を抜いとるから今頃は(池の土手では)蟻がはようる―ように使う」とある。
このクニで作ろうと、他の国で作ろうと、我々の体は農作物(米・野菜・肉・脂)で出来ている。土と陽はあっても、水がなければ作物は育たない。試みに翼を手に入れて鳥のように空の高みに昇れば瀬戸内には無数のため池が点在していることを知るだろう。
「言葉を集め」れば、「水」にまつわるものが多いことに気づく。そういえば、我々の体も大半は水で出来ているのであった。

2009年10月8日木曜日

言葉を集めて つづく

・ 「スバローシー」
メモには「うるさく言われる、やかましく言われる」とあり、『岡山方言事典』(文教出版)には「不機嫌。機嫌が悪い」とあり、『ほんにのうや』では、「不景気な、貧相な、陰気な、険悪な」とある。「不景気で、貧相で、機嫌が悪く、うるさくやかましく言われること」には事欠かないが。「スバローシー」とは言わなくなった。
ところで、『岡山方言事典』に、「スバローシーのもとの語形はスバラシー(素晴らしい)で」「これには意味の逆転がみられる。」と書いてあった。これはほんとだろうか、方言学では常識なんだろうか、皮肉を好むわたしは「スバラシー」と言いながら相手を否定する事は嫌いではないものの、われ等が祖先はそんなにスレていたのだろうかと思った事だ。
否定が生まれ定着する条件は、主体が安定して存在している必要があろう。われ等が祖先は「スバラシ」を連発していたのだろうか。わたしはむしろ、古語における否定の言葉、スサブ、スザマジ、スバリ=せまい、スバル=しぼる、などが方言化した可能性を追いたい。
それはそれとして、「スバロー」を追って「スバル」にいったら「昴」に出会った。昴はこれからの季節、しばらくは、夜空の真上にある七ツ星の星団である。これはどうやら「統(す)ばる」=(集まってひとつになる)からきているらしいのだ。この発見こそ、私にはスバラシイ。

言葉を集めて つづく

・ 「ガマ」
あな。穴。メモにこれを見たとき、沖縄の言葉を間違えて記したのではと最初は思った。1945年春、米軍上陸に際し、ガマ(洞窟)にこもった、住民に何が起こったか、そののちの沖縄の運命も含めて、このクニの有り様を象徴してあまりにも有名であるから。
ところがこの瀬戸内にもガマはあったのだ、「芋ガマ」として。さつまいもは寒さに弱いので、土間の隅に穴を掘り、すくも(=籾殻)を保温材としてガマの中で保管した歴史がある。いや、これは私ぐらいの年の者は記憶の片隅に残っている(少し湿ったスクモの匂い)。おそらく南の土地からサツマイモが伝播して来たとき、保管の方法とともに「ガマ」もやってきたのではないか。

言葉を集めて つづく

・ 「カザ」
におい。匂う。臭う。物の本によれば、かなり広い範囲で使われているらしい。「カザんでみい」「~のカザがする」と使う。目には見えず、音にも聞こえぬ、ものゆえ気づかないが、においは、我々の記憶の奥底に潜んでいて、思わぬところで呼び覚まされるものでもある。新居のにおい。青畳のにおい。藁束のにおい、においは記憶と硬く結ばれている。それはそうとしてどうやら、カザは風に近いようだ。においを発する本体よりも、カグという行いに傾いているように思える。
私は、犬との散歩を夜の日課にしているが、彼らの散歩は嗅ぐことに始まり、嗅ぐ事で終わる。夜空をみあげるのはヒトで、地面を見るのは犬だ。逆はまずない。

2009年10月7日水曜日

言葉を集めて つづく

・ 「サルマキ」
猿に囲まれること。付け加えることはない。瀬戸内に比べればはるかに、日常の中に猿、野生のそれとの交渉が、中国山地では在る。畑のものを失敬するに始まり、豆を束ねて干していると、両脇にかかえて持ち去った。とか、吊るし柿は、口にくわえて、他は綱ごとたすきがけにして持ち去った。とか、トウモロコシの見回りはヒトより熱心なのだとか。猿にかかわる話には事欠かない。おまけに、猿に囲まれて脅されることもあるのだ。それでもヒトの悪業にくらべれば、と思うのはまだ囲まれた事のない者のたわごとであろうか。

2009年10月6日火曜日

言葉を集めて つづく


・ 「シコロ」
97.4.30メモによれば「本屋根の下にとりつけた片屋根」とあり、稚拙な図(左図)も書き付けている。この言葉は聞いてのち、何度も聞き返し、指差しで説明されてやっと理解したと思い出した。『奥備中の方言 ほんにのうや』によれば。「シコロ」は「家のひさし」とある、これだろう。それはそうとして『ほんにのうや』には別に「いいかえてみたら-逆引き方言」の項が付録のようにあって、やらなくていいのに試しに、「ひさし」を見れば「ヤネジリ ノキバ」とある。?と、なった。この行き違いはどうしてなのか、タダのウッカリなのか、それとも「ノキバ・ヤネジリ」と「シコロ」は全く別のものを示しているのか。実際に私の出会った「シコロ」に立ち返ってみると、それは先に記したように本屋根の下に後から取り付けたトタン葺きのもので下の土間では農作業ができるスペースがあった。中国山地では季節により「キタケ」(北気?)と呼ばれる霧雨がある。これを防ぐ利便性が「シコロ」にはありそうである。辞典にあたると、確かに「シコロ」という言葉はあるのである。それによれば「かぶと・ずきんの左右・後方に垂れ下がって首筋をおおう部分」とある。ずいぶん古式ゆたかなる言葉だったのだ。つまり、屋根のつづきで壁より外に出た部分をひさし=ヤネジリ・ノキバと言い、屋根構造全体からみての役割分担として「シコロ」があると私は理解した。したがって、「シコロ」にも「ひさし」はあるのである、何処からがそうかは定かでないにしても。さてここで問題です。シコロは兜からきてひさしにたどりついたものか、それともひさしから兜にたどりついたものか。ちなみに「しころ」を漢字では「錏」と書くらしい。

付記 図を入れようとしたが、うまく行かなかった。ならばと写真を入れてみた。

言葉を集めて つづく

・ 「ハッポウオネ」で
97.4.18メモには「中心になって世話をやくようす。」とある。「八方尾根」であろう。この国は、広いというか、狭いというか、実際にそういう地名があるのである。「長野県の北西部、飛騨山脈後立山連峰の唐松岳より東に~」と物の本にはある。八方美人、八方塞がり、八方破れ、と八方にまつわる言葉は多いが、世話をやく様子をこう形容するのは一般的ではないようだ。高みに立って、四方に目配りしている様子がよく表現されていると思うが、贔屓目に過ぎるか。いずれにしても、最近は聞かなくなった。ところで、八宝菜との関係はどうなんだろう。

2009年10月4日日曜日

言葉を集めて つづく

・ 「タダカラソロソロ」
只からそろそろ。97.4.18メモには「値段をつけるとき、物の売り買いをするとき、使うことば。値打ちのない物にも使う。この耕運機は売っても、只からそろそろじゃからと使う」とある。
百姓は独立自営農民であるから、会社勤めとは違い、市場経済に直接に肌をさらしている。だから、物の値段がどんなルールによって決まるのかについては切実な問題なのだ。百姓のことはともあれ、物の売り買いなしにわれわれの日々の暮らしは成り立たない。
売るときは高い方がいい、買うときは安いほうがいい。このルールはすでにわれわれの血と肉となっているように思える。しかし、また、物には適正な値がある。というこのルールも我らの血と肉の中にはあったのである。(タダカラソロソロ。この言葉の中にそうであってはいけないよな~、のメッセージを読み取るのは私だけであろうか)
考えてみれば、ある物の背後にはそれを生み出す労働があった、とすれば、ある物の値にはそれに見合った労賃があったのである。言い換えれば、100円の安い物の後ろには100円に見合う労賃しかないのだ。それがルールです。と市場原理主義の神はのたまう。
今にして思えば、需要と供給ルールについての素朴な信頼はすでに市場原理信仰の域に入っていたのではないか。
と、神の「バイブル」メモをこっそり覗き見ればこう書いてあった。
『1.愚かなる民よ。すでに我々は、恣意によって起された戦争による恣意的需要に供給でまかなう時代に入って久しい。
2.愚かなる民衆よ。すでに我々は、扇動による欲望と、創られた不安による、架空の需要の求めに応ずる以外に生活を支えられぬようになって久しい。
3.目覚めよ。そこには、「儲け話」を「ビジネスチャンス」と言い換えて、口を拭っている、下衆な精神が跋扈(ばっこ)している。』
教えにしては、少し変だとメモの表紙を見直せば、[Bible]バイブルではなく[Bubble]バブルとある。なるほど。

2009年10月2日金曜日

言葉を集めて つづく

・ 「ハットウジ」
カメムシ。物の本によれば、中国山地では広く使われているらしい。瀬戸内では聞かない。しかし、「ハットウジ」は居るのである。畑の豆にたかり、田の稲にたかり、道端の葛にたかっている。夏の朝、畑から枝豆を持ち帰れば、それにまぎれているのはすぐに分かる。なにはともあれ、その臭いで。「カメムシがどっかにおるで」。先にあげた本には、興奮していないカメムシは匂わない「試しに鼻を近づけて~」、とあるが、御免こうむりたい。悪意に匂いがあるとしたら、こうだろうと思うようなそれだ。豆に集っているカメムシに殺虫剤をかければ、たちまち畑一面にカメムシの悪意が満ちてくるのである。稲にたかられると、米粒が変色するので、殺虫剤をかける向きもあるが、私は稲にはかけない、茶碗にせいぜい数粒のそれがあってもかまわない。豆にかけるのは、そうしなければ「豆」にならないからだ。
それはそうと、「八塔寺」という地名が近くにあるが、この虫とはどんな関係なのだろう。

メモについて ふたたび

メモの成り立ちについて書き加えておきたい。言葉、方言、地域特有の言い回し、どう書いてもいいが、空気のように偏在しているそれを、意識化しメモに記すことは、私がその言葉圏の外にいた、ということに他ならない。そして、研究のためでもなく、他者に知らせる目的もなしに、備忘としてそれを記した事は、他ならぬ私が言葉圏の中に棲息したいと願っていたからなのだ。
以上が、言葉とメモと私の相関関係図である。

ところで、言葉を擬人化しても何も生まれてはこないにしても、この言葉たちは、おそらく数百年の歴史を持つだろう、つまり、近代にまつわるあれこれ、「自動車、恩賜、コンクリート、民主主義、アスファルト、天皇制度、コンバイン、玉砕、満州の赤い太陽、プラスチック、戦車、演歌、バイク、ヘンジョウカ、ユンボ、帝国、転向、8.15、レーニン、汽笛、パソコン、産廃、師団、9.11、~~。」言い換えればわれわれの日常のほとんどはこのことばたちの後輩なのだ。「古きを温(たず)ね新しきを知る」ことはかなわぬ夢にしても、せめて、自らの醜さを鏡に映すぐらいはできよう。

2009年10月1日木曜日

言葉を集めて つづく

・ 「ゴタあな」
大きな穴。メモには「道にゴタ穴が開いた。と使う、ゴダ=無茶、の用法のひとつか」とある。しかし、大きい、ずいぶんと大きいだけのことを無茶苦茶とは表現しないだろう。無茶は比較できないものを表わす。『ほんにのうや』に当たると、「ゴウナ、ゴーナ」、があった、大きな、強いという意。「豪」であろう。道に豪な穴が開いている。

前々回、てこずった、「コタ」について、『ほんにのうや』に「コモクタ」=塵芥、の項を発見した。K女史の「まつごを掻きに」は薪を取りに行くのが目的であった。一方、「コタかき」の目的は、山の掃除にある。春、秋に茸が生えやすいように山を掃除するのだ。茸の収穫は百姓の大きな収入源である(あった)。「コタをかく」は「コモクタをかく」かもしれない。

言葉を集めて つづく

・ 「キモ」
気持ちのもち方。「胆力」のタンの部分。「キモがコマイ」は気が弱い、小心である。一方、気が強い。だいたんである。は「キモがフトイ」。こうしてみれば、大と太は字だけでなくうんと近い存在なのだ。先生には赤ペケを付けられるだろうが、大胆を太胆と表してもいいじゃないか。メモ(97.3.23)には「キモッタマかあさん。という用法と同じ」とある。

2009年9月30日水曜日

言葉を集めて つづく

・ 「コタをカク」
メモ(97.3.22)には「落ち葉や下草などを集める」とある。「コタ」についてもっと知りたいと思い、これまでやってきた手法で当たったが、メモ以上のことは何も解からなかった。
思い屈して数日を過ぎ、やっと気が付いた。その言葉の裏にどんな字があるのか、その言葉はいかなる意味構造の字から発生したものであるかは、明白である必要はないのである。「ある日ある所であるヒトにより、ひとつの言葉が発明され、その言葉が流通する」その時すでに言葉は成立しているのである。それでいい。そののち、メモを見た私が、「コタ」について「わかることができればこのことをもっと知りたい」と思う気持ちは、言葉へのレンアイ感情(しばしば常軌を逸した偏愛)からきているのだ。と思い定めた。
しかし、その後わたしは禁を犯す。このようなスタイルのブログを維持するためには、やらないほうがいいことがある。
1. 日常の暮らしを逸脱して、言葉を集めぬこと。言葉は汲めども尽きぬものであるゆえに、あっという間に私のもつ容量を超えてしまう。
2. ひとつの言葉の詮索(検索)は程々にすべきこと。手元にある辞書の類で済ませること。そうでなければ楽しみの範囲を超えてしまう。
3. その言葉を発した本人に、改めて意味を問わぬこと。言葉は変化してゆく物ゆえに誘導審問になるおそれがある。頼るものは、つたないメモのみ。
これを守っていれば、三郎(サブロウ)は候(ソウロウ)がすべった。などと言い出す事はなかろう。
1. と2.の禁を犯した。
1. は近くのK女史に「山に行って落ち葉を集めていた事、あれを、どう言っていたか?」と聞いた。答えは「マツゴ(松ご)をかきに」「熊手でマツゴ=松葉を掻いて、それから熊手でそれをたたいて、ひとかたまりにして背負って帰っていた。ウチはバンジョウが下手だったから、途中でマツゴがこぼれて~」「バンジョウ?それはなんで?」「あんたバンジョウも知らんの」という具合で、汲めども尽きぬ世界がそこにはあるのだ。ちなみに、持ち帰ったマツゴは焚付にしていた。松は油分が多いので火付きがいいのだ。
2. は図書館に行った。やさしい司書の女性はしばらく背中をみせて、あれこれ調べてくれた。最後に広辞苑を調べて「わかりません」とすまなそうで、こちらが恐縮した。
以上が「コタ」についての私の報告である。3.については禁を守っている。憶えていれば、今年の正月には聞いてみよう。

付記 後日思い立って「バンジョウ」を調べてみた。すると「バンゾウ」という言葉は熊手のことだとある。つまり、名詞バンゾウは、それを使ってする行為を取り込み、主にはそちらで使われていたわけだった。

2009年9月27日日曜日

言葉を集めて つづく

・ 「ダチュウ」
「道中」。あるいは、「途中」。97.3.21。これまでにも参考にしてきた、『ほんにのうやー奥備中の方言』竹本健司著 備北民報社。によれば、「途中」の事を、「トチュウナカ」と言うとある。「ダチュウ」などと忙(せわ)しなく、くるくる舞いしている瀬戸内に比べれば、なんと優雅なことか。生まれて、生きて、死んでゆくのがヒトの生涯の究極のデッサンならば、この命「トチュウナカ」と心定めて優雅でありたい。

2009年9月26日土曜日

言葉を集めて つづく

・ 「~ノダイハナイ」
~の代は無い。意は価値が無い。直すより買う方が安い「直して使う代はない」家電製品はかなり前からこうなっている。それはまた大量の投棄を意味する。合法のそれであろうと、不法のそれであろうと。
方言ではないが使われなくなった言葉。

言葉を集めて つづく

「ウスガミをハグヨウニ」
薄紙を剥ぐように。年90を前にKばあさんは、床に臥せっていた。見舞いに訪れた私が「どうですか」と聞いたら、「薄紙を剥ぐ様に良うなりょうる」と言う。少しずつ、ほんの少しずつ、回復に向かっているようなのだった。メモ97.2.2

言葉を集めて つづく

・ 「モチイト」
「モチート」とも言う、もう少しという意。おおむねよろしい(是とする)、しかし、もちいとこうしたらどうか、もちいとこうはならんか。と使う。たとえば、「もちいと安けりゃ、買うたのに」
方言圏の中では、難なく耳で捕らえることができるこの言葉も、圏外のヒトには難解なのだろうか。

ぜんぜん、別の話だけれど、この数日パソコンが故障していた。パソコンの先生から「いじっちゃいけん」と言われていたのに、突付きまわしたのが主な原因だった。進退窮まって、先生のところに持ち込んだ。一晩の入院で、このように不死鳥のごとく、復活した。さほど不調でもないものを、いじりまわして壊してしまうこの私の性癖を、ヒトは不治鳥と呼ぶがいい。いずれにしても、先生には忙しいところを大変な手間をかけてしまった。このブログをかりて、お礼を申しあげる。 読んでないか。

2009年9月23日水曜日

言葉を集めて つづく

・ 「ヤイトノフタヲスル」
焼処の蓋をする。「ヤイト」は灸(きゅう)のことである。メモには「つごうの悪いことを隠すようなこと」とある。あとが残るようなヤイトは姿を消した。おそらく、「蓋をする」の意は、ヤイトのあとをかくすようなまねをする、ということだったのだろう。灸の痕をつけたヒトも居なくなったし、もう聞くことはないだろう。

さて、「ヤイトの蓋をし」たり、「ヤイトをすえ」たり「すえられたり」、我々の暮らしを彩ってきたヤイトであるが、最近使われた例は、9月の政権交換の時に「有権者は自民党・公明党にお灸をすえた」があるようだ。いまどきの灸は痛くも痒くもなくほんのり熱いぐらいだそうだからなと思い、そういえば、この私も、「ヤイトをすえるぞ」と叱られたのはいつのことだったか。

言葉を集めて つづく

・ 「シンセツにする」
親しくする。仲良くしている。親密なあいだがらである。という意味。どう書くか解ったのはつい今しがたである。「親接」。このメモには、めずらしく日付があって、97年1月とある。ずっとこの言葉は「親切」と書くと思っていた。しかし、「弱い立場にある者の身になって~」という意とは違う、と調べてみた。分厚い辞書には、しんせつの項に「親切」「深切」「親接」があって、私が12年前に聞いたのは「親接」であったと知った。ほとんど使われないのはおそらく、同音異語に強力な暴れん坊「親切」があって紛らわしいからなのだろう。「あのヒトとは親接にしている」と使う。

2009年9月22日火曜日

言葉を集めて つづく

・ 「マウマウ」
・ 「ハウハウ」
それぞれに、「舞う」、「這う」、である。それぞれの意は説明するまでもないだろう。ところが、この既知の親しい言葉が、ふたつ繋がれば変身するのである。
「マウマウ」は向こうからやって来るヒトを形容する。あわてて、あせって、尋常を失って、困り事を抱えて。マウマウ相談に来たのだ。
「ハウハウ」は己に属す。楽々するのではない、なんとか、やっとの思いで、やりつつある。あるいは、幸運に恵まれてやり遂げたのだ。ヒトはどう思おうと。
したがって、例えば、「他者Aが、ある日マウマウ相談にきたことを、私Bは、ハウハウ解決した」のようになるだろう。
私には、教養なるものはない。であるから、形容している、動詞である、みたいなことは残念にして解らない。しかし、このコトバの変身にはココロ動かされるのである。マウマウもハウハウも近頃は聞かない、我々の失いつつあるものは、取り返しの付かないものであるのかもしれない。

メモについて

たびたび「メモによれば~」と書きつけている。メモの概要を記す。
1.言葉を研究するのが目的ではないから、数ページ前に書き付けたコトバをまた、新たに書き付けてもいる。つまり、見直しは無い。2.サイズは手のひらA6版。前記のように、聞きとめた順に記述している。3.記述の基準は、きわめて狭い方言圏に住む者が交わすコトバであるから、見聞、側聞したなかで、私が「へえ~」と感じ、意識に取り込んだコトバということになる。

このメモを基に、「言葉を集めて」は1.書き付けた順に記述している。したがって、重複は恐れない。2.また、記述してあるコトバを気分しだいで、省いてもいる。たとえば地名の「ミナギ・美袋」、メモには「漲る=みなぎる。水の勢いが盛んで、満ち溢れるさま」。たとえば「日照雨・ソバエ」、メモには「これは、安岡章太郎随筆集3、p290に出てくる。小さな国語辞典には無い。我々の地方では使う。軽い雨、パラパラと降る雨と言う感じで使う。雨であるのに陽が照っているのは『キツネのよめいり』という」とある。

2009年9月21日月曜日

言葉を集めて つづく

・ 「槌(鎚)よりも柄が重くなる」
 ツチよりもエが重くなる。 メモには、「主従の逆転の様。重さの比喩をつかって立場の入れ替わった様を表す。」とある。年月を重ねるにしたがって、子は親より、息子は親父より、妻は夫より、重くなるようなのだ。

2009年9月20日日曜日

言葉を集めて つづく

・ 「マク」
この言葉とは、町内の寄合いで出会った。もう20年も前の事になろうか。今でもそうだが、当時はさかんに産廃処理業者が、過疎の地域を狙って処理場を作っていた。都会や工場から出る、危ないもの、目障りなもの、臭いもの、つまり身辺に置いておけない物を大量に持ち込むのであるから、さすがに鈍な行政も地元住民の同意を業者に求めていた。地元にしてみれば、迷惑なだけの話だが、なかには金に転ぶ者もいたようだ。
協議が進むにつれ、協定文書の中に何を書き込もうと強面の業者がそれを守る意思のない事は、うすうす解ってきた。行政もあからさまに、協定書の有無だけを問題にしていた。そこで出てきたのが、この言葉「マク」である。「公正証書をマイたらどうか」。どういう字が当たるのか、「任く」か「設く」か「巻く」か、私には解らない。公証役場の辺りではこの言葉は、一般的なんだろうか。「金がかかる、誰が払う」の一言で、否決されたように記憶している。
さて、産廃処分場だが、あれからずっと、この地域の家々の上に騒音と臭いと煙を出し続けている。当時、寄合いに参加していた人々も大半が鬼籍簿に入った。
話はすべるが、農業関係のブログに産廃の話が出てこないのを、不思議に思っている。どうしてなのか、あなたはどう思われますか。

2009年9月16日水曜日

言葉を集めて つづく

・ 「オオゲンタイ」で
メモには「遠慮することなく」とある。どんな字が当たるのか、「おお」は強調だろうから、「けんたい」が問題となる。あれこれの辞典に当たってみた。『広辞苑』に「献替」があった、意は「目上の者に可否を言上すること」とある。これだろう、「大献替」。
今でも、そうであるようだが、「オオゲンタイ」にものを言うのは、たいへんなことであったのだ。私のよく使う「増長慢・ゾウチョウマン」とは少し違うようだ。

2009年9月15日火曜日

ブログの孤独 つづき

・ 「ヤウツリ」
家移り。引越しのこと。
思うがままに操れないのがパソコンである。その上、スイッチを入れても、ナンノコトヤラ?とサボられてはお手上げである。詳しい者に聞けば、「三年たったら、タダの箱」と言う。老眼鏡ごしに、ためつすがめつして見れば、この物は、6年前に製作された物と判明した。「ヤウツリ」をすることにした。
そうした後、の「家」でこれを書いている。今度の家は前の4倍の広さである。周りはいろんなラベルを貼ったダンボール箱だらけだ。パソコンの引越しがこれほど大変だとは思わなかった。電気をひき、新聞もとり、郵便物が届くようにするだけで一日かかった。これからは、実際の引越しと同じに、何を捨てるかで当面は悩むことになりそうだ。いや、正直な話、全部捨てても構わないのだ。唯、鍋釜と米と味噌醤油ぐらいは手元にという欲が、ダンボール箱を積み上げさせている。おそらく、開けることなく捨ててしまうダンボール箱もあるだろう。
それはそうと、引越しをしてみて、これだから「パソコンは面白い」。と思うか、また逆に、これだから「パソコンはダメ」。と思うか、そのどちらかに分かれるだろうと考えた。私の思うところ、前者はすでに、パソコンの不調を喜びと感じる倒錯の世界に踏み込んでいるのだ。
話はすべるが、ヒトの扱う道具の良し悪しの基準は、「コトバ」がそうであるように、その「存在を意識することなく」使える。ということにあるだろう。それからすれば、パソコンはまだまだの道具なのだ。と考えた。

2009年9月12日土曜日

ブログの孤独

人生における喜びをふたつ挙げよ。という質問にはこれまでも、そしてこれからも、御目にかかる事はなかろう。しかし、仮にそう聞かれたら、わたしは即座に、「食わせること」と「養うこと」と答えるだろう。ヒト人類の仕事はつきつめれば、次の世代を育て上げることだから、下衆の私にも、先のふたつに喜びを見出すのだ。いや、目線を遠く延ばせば、ここ数万年のそれがなければ、私もあなたも存在しはしない。美の実現、正義の実現、真理の追究などなどは、それができてからゆっくりやればよろしい。
ところで、今日(9.12)の新聞各紙はそろって「高校生の求人半減」を報じている。こんなことは、みんな肌では感じていたことでも、数字にしてみるのは役所(厚生労働省発表)しかないよな。と思いながら読んだ。4年ぶりだそうだ。有効求人倍率が1.0を切るのは。そ の数値0.71。地元の地方紙は、0.67と報じている。
つまるところ、この社会は、百年に一度ではなく数年に一度は、経済の痙攣で後継者を養えなくなるようなのだ。どうしてそんなことになるか、ゆっくり考えるとして、私にはひとつのイメージがある。暴れまわる経済の後を、汗をかきかき追いかけている政治というイメージが。

言葉を集めて つづく

・ 「コメをフム」
「米を踏む」である。意味は精米すること。あまりに当たり前なので知らないヒトもいるかも知れない、我々の食べている「ご飯」は、もとは稲の種なのである。煩雑になるので省いて話せば、種の、殻を取ったものを玄米、その玄米の皮を剥いて(精米して)白米なのである。この言葉を聞いたのは一度きりだ、私と同世代の女性が「エ~、言わない?家のあたりじゃ、言ってた。」と教えてくれた。想像するにおそらく、臼のようなものに玄米を入れて、足で踏んで精米をしていた時代があったのだろう、それも女のひとの仕事として。今では道具も記憶も失われているが、言葉だけがこうしてかろうじて残っている。

2009年9月8日火曜日

言葉を集めて つづく

・ 「サブル」さぶる
メモには「けずりとること」とある。これが正しい意味か確かめようと、方言辞典を引くと、削り取ることは「コサゲル」「ハツル」と言うとある。さて、どうしたものか。
辞典によると、似ている 言葉「サビル」は選り分けるという意があるらしい。考えてみれば、全体から部分を選び取る行為は削り取ることでもある。わたしの聞いた「サブル」は、どうやら「選り分ける」に近い「けずりとる」だったのか。遠い昔の話だ、確かめるすべはない。
とここまで書いて、同じひとつの行為(動作)に複数のコトバを用意することは、有り得ないのであるから、サブル、サビル、コサゲル、ハツルはそれぞれに違う行為を表しているはずなのだと考えた。今の私には「サブル」について此処までしか分からない。

・ 「ホケ」
ゆげ。湯気。のこと。「ホケ」は不思議な物質、ミズ(水)のひとつの表現にすぎないのだけれど。冬に積み上げた堆肥が発酵してくると、淡い光のなかにホケがゆれながらあるのだった。

2009年9月7日月曜日

言葉を集めて つづき

・ 「虻(アブ)は見えずに蚤(ノミ)が見える」
メモには、「矛盾したようすをあらわす。S氏より」とある。この項を書き始めた時には、「木を見て、森を見ず」の言い換え版である。と思っていたが、しだいに違うことに気づいた。「木を見て~」は、些細なことにこだわって、全体を見失っている、という意だろう。部分(木)は全体(森)に属す。ここには、矛盾はない。能力にもよろうが、森が見えればいいのだ。しかし、「虻は~」は、蚤を見る視力を持ちながら、それよりも大きな虻は見えていない、そんなこと有り得ない、矛盾している、おかしなことだ。という意なのだ。ここには、虻は見えているのに、見えないと言い張っているに違いない、という意もあるだろう。
ことわざ(諺)は、これまで「人生の知恵の表現」「処世のための教訓」である。と言われて来たが、私は、矛盾を鋭く指摘し、視覚化する役割があるのだ、と考えた。この世は、横槍、強欲、理不尽な支配、無理偏にげんこつの教え方、などなどが矛盾をまきちらしている。これら聞く耳を持たぬ矛盾の元凶に、私たちは、せめて「ことわざ」だけでもと、立ち向かってきた歴史があるのだと、思いたい。
話は変わるが、多彩な方言の使い手は、また豊かな諺の持ち主でもある(あった)。とこれを書きながら気づいた。

2009年9月5日土曜日

言葉を集めて つづく

・ 「ゴダ」
むちゃの事。これはよく聞く言葉。もっとも、これを使うヒトはやはり年配が多い。「ゴダばあ言う」「ゴダをくる(繰る)」と使う。いったいどういう字が当たるのか。仏教用語に有るような気もする。
と書いてのち、辞典を繰っていると「御託(ごたく)」に出合った。これだろう。意は、「くどくどと自分勝手な~」とある。御託は並べるが、ゴダは繰るのであることを発見した。私のような下衆は「ゴダ糞を」と言うがこれはやりすぎ。

言葉を集めて つづく

・ 「サカオ」
メモには「へび、無毒の大きめの蛇のこと。ハミ(マムシ)とは区別して用いる。」とある。メモに記して後、この言葉には出会ってないようだ。蛇に会う機会が少なくなれば、区別する必要も生まれぬわけだと考えた。

言葉を集めて つづく

・ 「何ができょうるんで」・「ちんばは宵から」
百姓が野良着姿で会えば、こう挨拶する。なにをしているの、何をしようとしているの、の意。これは、百姓仕事が(ジャズの演奏の様に)多様で変化に富んでいるからなのだ。トヨタの工場の前で「なにができょうるんで」と聞けば、叱られるだろう。Mさんは、家の裏口出たところの私に、そう聞く。「そろそろ、蒔きものをせにゃあ、と思うとる」と答えると、「ちんばは宵からじゃ。」と言う。時刻は日暮れ前なのだ。後姿を見ると別に足を引いてるわけではない。この言葉は、歳をひろって、あちこちが痛くなりあまり働けなくなった者は、野良に出るのも夕方になってからなのである。という意。
ちなみに、つれあいは百姓の子であった。農繁期の働き方を聞けば、朝飯前に家近くでひと働きして、それから朝飯、遠くで仕事をする時には、おやつと弁当をもって、10時におやつ、昼に弁当、それから3時におやつ、帰宅して晩飯。であったそうだ。5度の栄養補給は、そうでなければ体がもたない、過酷な労働を物語っているだろう。私はそれを支えていた、価値意識に今は興味を持っている。

2009年9月4日金曜日

言葉を集めて つづき

・ 「デカイ」さん
「出買い」さん。意外なことに、出買いが、字引には載ってない、一般では使われてはいなかったのだろう。メモには「小売店や個人から注文を受け、商品を仕入れてくることを生業としている人。頼めば荷物を届ける宅急便のようなこともしていた」とある。
自家用車が珍しい時代、(指折り数えてみれば、つい40年前はそうだった。)頑丈な自転車の後ろにリヤカーを付けて、砂利道をガッタンゴットンと運んでいた。子供心に、重たかろうとリヤカーを皆なで押したこともある。今から思えば、迷惑なことだったのか。いつ頃、姿を消したのだろう、おそらくオートバイ(カブ、1958年)の出現、オート三輪(ミゼット、1957年)の出現の後だろう。出買いさんは「御用聞き」だった。他に「行商」のヒトもいた、魚屋さん、雑貨屋さん、みんな自転車に商品を積んでやってきていた。どうしてそう呼ぶようになったのか「ヨゴレのおじさん」は人気があった。彼が来なくなってから、かれの姓は○○だったと聞いた。
「出買い」「行商」だけではない。この二百戸、五百人程の地域で小売店を記せば、自転車屋、酒屋、電気屋、豆腐屋、百貨店のような雑貨屋、があった。うどん屋、パチンコ屋、鍛冶屋まであったと先人は言う。みんな姿を消したのと前後して、数キロ先に○○マートが出現し、それは程なく、また数キロ先の○○ストアの出現によって姿を消した。こうして、豆腐一丁を買うにも、バス(一日、数便しかない)に乗って行かざるをえぬ年寄りが出現することになった。これが近代化なるもののひとつの側面である。
先日、つれあいは、街なかに突然に出来た空き地を見て、「なにが、在ったんだっけ」と聞く。昨日まで確かに見ていた建物が、私にも思い出せない。言葉はその場かぎりに空に消えてゆくものだけれども、今の時代は、街も同じ運命にあるらしい。

2009年9月2日水曜日

言葉を集めて つづく

・ 「銭は暗闇にはおらん」
ことわざ。「お金をかければ、それなりの物やサービスが手に入る」という意味。諺辞典には「安物買いの銭失い」がある。このふたつは同じようだがどこか違う、「安物買い~」は戒めが強いのだ。いや、それだけといってもいい。一方、「銭は~」は、共感や教訓を含んでいるのだ。「銭は暗闇にはおらんので」「銭は暗闇にはおらんかったな」としてみれば明らかだろう。比喩の「暗闇」が効いている。この諺をもって、お金は昔から闇に潜ることを好むものである。とするのは穿ち過ぎだろうか。

言葉を集めて つづく

・ 「ドカスカ」
凸凹。デコボコは、すべての平面に使われるようだが。一方「どかすか」は、栽培植物の生育のありさまに使う。「ウンカが来て、今年の稲はドカスカしとる」と使う。他に「ドッカン、スッカン」という言葉があるが、これは、車で悪路をユッサユッサ走った時に使われたりしている。いっしょのようで、ふたつは違うみたいなのである。

2009年9月1日火曜日

政治の季節に つづけない

「ブログのコドク」
政治の季節だ、でもこの季節風は三日と吹かない。で、吹き止む前に書くことにした。さあ始めよう。
チャラチャラしている口ぶりは大嫌いだ(文章も)。でも「サザン」は好きだ。なかでも『ツナミ』には数年間ハマッテいた(今でも聞き返しては歓心している)。こんなことを書くのは知ったらしいチャラチャラ言葉をさんざん聞かされて来たからだ。どこで。選挙で。
「ブログのコドク」としたこれを書きつづけて政治の話をしてみたい。しかし、政治の話しは難しい。たとえば、物体であれば、横から見たらこう見えた、上から見たらこう見える、と記述できるが、政治はひとつの現象であるから(移ろい流れてゆく現象にすぎないから)捕らえどころが難しいのだ。 確かに議員は存在する、議会棟もある。法律もある、役人だっている。しかし、それらをひとつの鍋に入れてかき混ぜたところで、そこに政治なるものは産まれないだろう。 
それから、政治家に関する話はしたくない。誰が落撰しただの、何票あっただの、後援しているのは誰だの、家系だの、二世だの。ここひと月余り、世間を席捲していたそんな話(たとえば、ブログで流通している政治裏話など)にうんざりしている。政治なるものは詳しくなればなるほど、言い換えれば、政治通(オタク)に成ればなるほど、本質から離れてゆくもののようだ。政治家の言葉が不思議とどれも胸に届いてこないのは、彼らが政治通であるからなのだろう。
とここまで書いて、それでもブログらしく今回の衆院撰挙(結果)について書いておこう。できるかぎり、簡単にしたい、箇条でゆく。せいぜいうんざりして下さい。
1. 変化の面
50数年つづいた自民党(1955~)の終わりの終わりであった。この期間はこの列島にとっての史上最大の激変の時代だった。そこに在っても(あるからこそ?)あいも変わらず政治権力の中心に居続けたこの党の命脈がつきた。このこと。最後の10年は公明という名の松葉杖が手放せなかった。皮肉にも終わりのアリアを歌い始めたのは、策士コイズミ。奇策により延命を図ったが、時代遅れのプレスリーでしかなかった。後に続いたものは演歌(時により軍歌)しか歌えなかった。このまじめでみじめな無能。なによりこの党を生かしめてきたのはヌエ(鵺)のごとき、変幻自在の変身能力であったのだが。
2. 変わらぬ面
当選した議員の数だけをみれば、自民と民主がところ位置を入れ替へそれに公明の減少分が民主に載ったと読み取れる。その他、有象無象は、変わらずということだろう。つまり、既得の権利(利権)に否、既得の制度の枠組みは否、それを保守してきた官僚(役人)どもは否、という構図は、コイズミ郵政選挙と同じなのだ。つまり今回も(しがみついている奴は引き摺り下ろせは)変化なし。
こうなったのは、「閉塞感」なる曖昧模糊とした言葉によって表現されている、ある感情の共有があるからなのだろう。この感情が醸成された背景の分析はムズカシイ。私は「不作為の罪と罰」を思うがこれはまた別の話だ。
3. 選挙の制度
話は少しすべる、民主主義とは何か。これは群れて暮らすヒト人類にとって永遠のテーマであろう。制度でこれを保障するとすれば、いかなる制度が適当であるか。これについて深刻な材料を示したこと。「小選挙区、比例代表、」という制度は、穏健なアメリカの二大政党制に憧れて導入したのであろう。しかし、結果は激変(ダブルスコアー)を将来した、それも二回続けて。この目論見違いについての論議がされるか否か。このことが、本当は、このクニの民主主義の成熟度を計る指標になるのだろう。このこと。例えば「中選挙区であったならば」のシミュレーションを誠意ある専門家に聞きたい。
4. その他
「有象無象」などと書いて失礼をしたが、これまでの革新政党は、これからが正念場なのだろうと考えた。今、彼らはそろって「是は是、否は否」、と言っている。(この言葉は、公明党の長年の口癖であった。フィラリアに罹った犬みたいに、この傷つけられた言葉を使うべきではなかろう。もっとも、これは私の感性に属することである。)当面は仕方ないとしても、この論理の帰結は相手なければ是非もなし。であることに気づくべきだろう。政治が「未来予想図」を示すことであるのであれば、「有象無象」政党は蛮勇を奮い、未踏の領域に踏み込んで、既得のありふれた(手垢のついた)イメージを超えたものを提示できるか否か、が勝負になるのではないか。それができなければ、絶滅危惧種に指定されかねないだろう。余計を付け加えれば、革新は保守の対立概念である(でしかない)から、このあとの、「革新」の棲息のあり方は変わらずにいることはできぬだろう。このこと。
5、付録
歴史はこう教えている。前世紀の最大の負の遺産、ファシズムや全体主義は、閉塞感が蔓延する社会に、スマートで合理的で新しく、モダンでお洒落な衣装をまとい、その上、陽気な歓喜とともにやって来たのだと。こんな教えも忘れないでおこう。

2009年8月31日月曜日

言葉を集めて つづき

・ 「スッペエ、コッペエ」言う。
ああだ、こうだ、と言い張って。つれあいの郷では「すっぺり、こっぺり」と言うらしい。こうしてみると、どこにでもそんな輩はいるらしい。それはよしとして、こうして比べてみると、言葉をゴツゴツ使うのはやはり瀬戸内の方だ、と認めざるを得ぬ。

言葉を集めて つづく

・ 「ニダエル」
煮える、滾る(たぎる)、だろうか。蒸して暑いさま、「今日はぼっけえにだえる日じゃ」と使う。
・ 「コザル」
メモには「木戸の鍵のこと」。辞苑に、小猿鉤の略とある。おぼろな記憶によれば、敷居の溝に穴を開けてあって、木戸に仕掛けた棒状の木を木口から落とし込むようになっていたように思う。かんたんな「閉めてます」のメッセージだけの鍵。防犯力ゼロ。絶滅種。でもこれで戸締りを済ませていたんだよな。今は昔の話。と書いて思い出した、L字型に曲げた鉄の棒を木戸に空けたスリットに差し込んで落とし込んだ木材を引っ掛けて開けていた。あの鉄の棒(鍛造でつくった四角断片のものだった)を自在鉤と言ったかどうかは、憶えていない。

2009年8月30日日曜日

言葉を集めて つづく

・ 「アラテヲハク」
ため池に雨水が流れ込み、満水になっているようす。ため池には水が直接に堤防(つつみ)の上を越さないように一段切り下げた排水路がしつらえてある。これがアラテである。これがなければ土を固めただけの堤は水に洗われて、たちまち決壊してしまう。アラテヲコスとも言う。さて、どう書くのか考えた。ハクは吐く、コスは越す、だろうが、アラテはどうか。テはテイ(堤)でいいとして、アラは荒、粗、新では違う気がする、その排水路は堤防のなかでもいちばん丁寧に作られていて、石組みで底も側面もしっかり固めてある。荒、粗、ではない。まして新しいことはない、アラテは溜池構造の基本の部分であるから新しく付け加えることはありえない。煮詰まって、とりあえず衆院選挙の投票に行った。帰宅して、字引をめくっていると、「洗う」があった。これだろう。そういえば、満水の時にはあふれた池水で常に洗われているのがアラテである。アラテは洗い堤防のことだ。
話は違うが、土手(どて)は土堤(どてい)がすべっていったものなのだろうか。

言葉を集めて つづく

・「チュウノミズ」
中の水。メモには「梅雨半ばの大きな雨」とある。
・ 「ハンゲミズ」
半夏水。梅雨のおしまいに降る大きな雨。半夏生(ハンゲショウ、節季のひとつ)の頃に降る雨。集中豪雨になりやすいことはご存知であろう。

この地域では、田の水をため池に頼っている。雨水だけでは、棚田はとても維持できないのだ。そこで、山襞(谷)に、堤防をこしらえて、雨水を溜めてきた。代掻き(しろかき)、田植え、と水の需要期に降雨が少なく、ため池の水でまかなった年には、「チュウノミズ」も「ハンゲミズ」も心待ちにされてきたのである。カミナリとともに荒っぽい雨が降れば、今年の稲を秋には米にできる。と百姓は安堵(あんど)したのだ。今年の半夏生は7月2日であったと、暦にはある。

言葉を集めて つづき

・ 「ハチヲハラウヨウニ」言う。
蜂をはらう(祓う)ように言う。強く身振りをまじえて否定する。秋になれば蜂はいや増して獰猛になる。草刈機を使うときには、いつも頭の中に蜂の来襲をインプットして置かねば、それこそ痛い目にあう。2・3匹が周りを旋回し始めたら、草刈機は放り出して退散する。まるで銃撃戦さなかの兵士みたいに、腰をかがめて。20メートルも離れれば、それ以上蜂どもは追ってはこない、こちらから見ていると、巣があるらしいところの周りを10匹ほどでブンブン飛び回っている。やがて、彼らが落ち着けば草刈機を取りに行ける。今日の草刈はこれで お仕舞いにしよう。蜂の気持ちは解からないが、「蜂をはらうように」言う、ヒトの気持ちはよくわかる。「けんもほろろに」と同意。私は「蜂をはらう」が好きで、捨てがたいが、いかんせん使う者はまれである。

2009年8月29日土曜日

言葉を集めて つづく

・ 「クサヤマ」
草山。くさやまになる。草の始末は、百姓の永遠のテーマだろう。茂らせてしまった草が腰の高さぐらいになると、大袈裟なようでも山のように思えるのだ。

・ 「ロウソウ」
初めて耳にした時には、何のことか解からなかった、話の文脈から判断して、どうも年寄りの男性を意味するらしいと考えた。メモには「年寄り?」とある。老荘。老壮。であろう。古老の意。そこには、経験に対する尊敬がある。「後期高齢者」という、言い方に、尊敬の意味が含まれているか、あなたはどう思われるか。

言葉を集めて ふろく

ブログらしく、今のことも書こう、そう、またまたコトバについて、でスミマセン。けど、黙っていては腹が膨れる思いがスル。いや、血だってまだ頭から降りてきてないミタイダ。昨日、インターネット料金の振込み用紙を持って、コンビニに行ったと思いネエ。で、そこで「ダイジョウブデス」をやられたのだ。ココまで読んで、何のことかワカンナイやつはこれから先を読む必要ナシ。私は自他共に認める社会的弱者(金も名誉も地位もおまけに人望もない)であるから、軽い扱いには慣れている。いちいち浴びせられるコトバにカチンときて、ハエ叩きで蝿をたたくようにしていては腕がダル。どうしてこのコトバにかぎって、インターネット料金の敵(カタキ)をブログでトル、ミタクなことを思いついたのか、そのあたりのことを考えてみたい。
まづ、第一にこの言葉「ダイジョウブ」は他者との会話の中では、見下げコトバであるということだ。換言すれば、保護する者が、保護される者に使う言葉である。どうして、客が、対等の扱いを受けられないのか。
次に、「ダイジョウブ」でない場合、つまり、否定する場合どういうコトバがあるのか、「うけたまわります」「承知しました」であれば否定はむずかしくない。「~ですが」を付ければいいのだ。
まさか、「ダイジョウブデハアリマセン」というわけにはゆくまい、昔の兵隊であればそれでよかったにしても。いや、もうしばらく後にはこれを聞くことになるのだろうか。
それから。と書いてヤメタ。
いずれにしても、このイイカタは万人の間で切磋し琢磨されて選択されたものなのだ、と考えて、萎(な)えた。
しゃくにさわるから、いつ頃から、私は「ダイジョウブ」に違和をおぼえて来たのか調べてみると、ちょうど3年前の記録を見つけた。癪に触るしゃべり方についてこう書いている。
『しゃべり三態
1. 語尾上げ  ―➚
2. 問いかけ  ―じゃあないですか
3. 馬鹿にし  ――そうなんですか
番外、 店での対応、見下げしゃべり  ~をもらえませんかに「だいじょうぶです」
         06.7.12記』
こうしてみると、ユカイにも1.2.3.の項目は絶滅したみたいである。「だいじょうぶです」の絶滅も近いと思いたい。

2009年8月28日金曜日

言葉を集めて つづき

・ 「木に餅がなるように」
道理に反する。無理である。どうせ諭されるのなら「木に餅が生るようなことを言うな」と諭されたいものだ。比喩がシュールでいきいきしているではないか。

言葉を集めて つづき

・ 「あたりがけ」
気に入らないので、悪さをするようす。ヒトの世などは「あたりがけ」だけで出来ている様なものだ。とは思いたくないのだが。おそらく、叱られたネコがそこらの柱に小便をひっかけて逃げてしまうことから来た。ネコのそれはしばしば目にするものの、ヒトのそれにはおめにかかっていない。ネコのようにできればどんなにスッキリするだろう。

2009年8月27日木曜日

言葉を集めて つづく 

・ 「ヤグラヲアゲル」
メモをそのまま記せば、「植物の生育がさかんで、盛りあがっているさま」とある。当時はなにを大袈裟に言うか。と思っていたが、先日、本をよんでいると「くら」という言葉は古くは植物が茂っているさまの意、であったと知った。「櫓を揚げる」だろう。こうしてみれば、ここ数十年の社会構造の激変によって、そこに有るのだけれども見えなくなっているものが確かにここにもあるのだ。激変の埃(ほこり)をはらう仕事が今は必要ではないのか。たとえば、「グローバル」などという言葉に、思考停止してしまう習いは、「八紘(一宇)」という70年前に好戦的輩に言い言いされた言葉の呪縛と、どう違うのかの説明にまだ寡聞にしてお目にかかっていない。

言葉を集めて つづく

・ 「ミテル」
すっかり無くなること。「満てる」であろうか、「充てる」なのか。すっかり無くなることがミチているであれば、禅問答みたいだ。それとも「ハテル(果てる)」がすべって「ミテル」なのか。「命がみててしもうた」のように使う。むろん、お金がミテテしまいました。と使ってもいい。

言葉を集めて つづく

・ 「いんごうばばあ」
どうしてこの言葉をメモしたのか、憶えていない。メモにはそっけなく「説明の必要なし」とある。余程のことがあったのだろうけれど、歳月がきれいに消してしまったようだ。それにしても、(今は違うけど、)昔は居たな、因業な婆さんが。しおたれた前掛けをして、下はたいがいお決まり模様のもんぺをはいて、なんのまじないなのか、こめかみや首筋に膏薬をはって口をひらけば皮肉か悪口。しかし、こうして自分が彼女たちの歳に近づいてみれば、あんがい、得がたいキャラクター、だったのかとも思う。

言葉を集めて つづく

前回、ケシとアゼについて知ったらしい(これも方言か、解かったような口を利くという意)ことを書いた。もう少し、検討してみたい。
・ 「タカゲシ」
棚田を下から上に展開するためには、石を積む。場所によっては、背丈の何倍もの石組み(石垣)である。高いケシであるから「タカゲシ」。タカアゼとは言わない。
・ 「ケシガトブ」
・ 「ケシヲトバシタ」
水漏れを方っておくとケシが壊れてしまう。アゼがとぶと言っても通じる。
・ 「アゼヲトル」
アゼを塗ること。義兄にあぜをとりに行くと言って不思議がられたことがある。けしを取るとは言わない。
・ 「アゼミチ」
あぜ道。はよく使う、どうしてなのか、けし道、とは言わない。
さて、前回の私の仕分けはあれでよかったのだろうか。

言葉を 集めて つづき

・ 「ケシ」
メモによれば「田のはじの土を盛ってあるところ、アゼではない。」とある。では、と
・ 「アゼ」
を見ると、メモは空白になっている。
ことほどさように、当たり前すぎて説明しづらい物や事は多いよな。試みれば以下のようになる。
そもそも田は、稲それも水稲を栽培するために作られた生産設備であるから。どこからか水を引いてきて田面に溜める必要がある。いくら水平な田面を用意しても溜めるためには、漏れないように周りを何かで囲わなければならない。例えば、絵の額縁の部分を想像してください。それが「ケシ」である。「岸」から変化したと考えるがどうだろう。
さて、「アゼ」、である。ケシは土を盛って作るのであるが、それでも水は漏れるのである。(このあたりは棚田であるからよけいにそうなる)で、田植え前になると、田面の土を水でこねてケシの内側に塗るのだ。ちょうど土壁を塗るように。これがアゼである。海岸に例えると、防波堤部分にあたる。したがって、アゼは稲を育てている時だけに存在し、やがて雨風に叩かれて田面に還る、しかし、ケシは年中ケシのままだ。
余談であるが、土で作ったケシはそれに生えた草の根で持っている。ケシの草は生やしているのだ。このことを忘れてときにケシの草はじゃまものと除草剤をかける輩がいるが、あっというまに、ケシはボロボロに崩れてしまうことになる。元に戻すには、数年かかるだろう。田圃の構造も互いが互いを補い合う、弁証法によって成り立っている。
尚も付けくわえると、したがってケシは田圃の面積のかなりの部分をしめることになる。小作として借りるときに、これを勘定に入れるか、入れぬかは地主との駆け引きであった。本筋からずれた、今は昔の話である。

2009年8月25日火曜日

言葉を集めて また

・ 「ガイ」
たくさん。はげしく。「がいにゃいらんて」。という使い方が耳に残っている。名古屋の男の子が「たくさんはいらない」と言ったのだ。それを聞いた私もまた男の子であった。今になって、調べてみると、ガイという単位はあるのである。億、兆、京、その次に、垓なのだそうだ。

言葉を集めて つづき

・ 「ヤカニャアナオラン」
焼かなゃあ直らん。このあたりではいつ頃から火葬になったのか、子供の頃にはすでに村の火葬場で焼いていた。ほどなくして、市のそれで焼くようになった。今は昔のはなしである。死ぬまで直らないという意。他人事ではない、この私の悪癖もヤカニャアナオランのであろう。ちなみに、つれあいの育った所では、最近まで土葬だった。もう少し記せば、土葬にも、座棺、寝棺、とふたとうりの埋葬方法の違いがある。私はそのどちらをも体験した。義理の祖父、義理の叔父の時のことだ。

言葉を集めて つづく

・ 「ホンガラガス」
痩せて、ガリガリになって、軽いこと。数年前のことになるが、家の若ネコが外で仔を生んで帰ってこなくなった。半月もたった頃だろうか、もう死んだものと諦めていたところ、裏口にひょこっと座っているのを発見した(仔は連れてはいなかった)。「大変じゃ、○○がほんがらがすになってもどってきた。」と家の者に声を荒げて知らせたのは私だった。後日、あんた変な言い方をしていた。と言われて、初めて、これがこのあたりだけで使われている言葉であると知ったのだった。ちなみに、帰ってきたネコは、今ではすっかりゴッドマザーになってしまっていて、この夏も三匹の仔猫を相手に堂々の子育てぶりである。
あえて、余計なことを書き加える。
 ヒトもまたそうであると信じたいが、動物の仔育ては常に、我が命をも引き換えにしてでも、という迫力や覚悟があるのだ。このメスラメぶり(マスラオでは雄になる)を私は好む。

言葉を集めた つづく

・ 「カゲゴト」
「陰事」だろう。意味は仕事以外の用事。カゲゴトが忙しかったので~。と使う。

・ 「トコロアイ」
「所合い」であろう。同じ場所の意。同じ部落、同じ村、近所、であること。「おんなじトコロアイじゃけえ、仲ようしたらええのに」というように使う。

・ 「オレテマガル」
「折れて曲がる」。勢いのいいようす。たくさん有るということ。「おれてまがるほど儲けて、おれてまがるほど持っている」というように使う。

2009年8月23日日曜日

言葉を集めて つづき

・ 「クチナワ」
蛇のこと。縄に口が付いている。「判じ物」みたいなこの言葉は意外と使われている。(もっとも、私よりも歳を拾っているヒトに限るものの。)ちなみに、毒をもつ蛇「マムシ」のことは、「ハミ」あるいは、「ハメ」という。記憶をたどれば、私の少年の頃には毎年、何人かが噛まれ、なかには亡くなったヒトもいたようだ。「こおつと」の祖父も噛まれたし、百姓の師匠(主に言葉を教授された相手)は二度も噛まれている。最近、噛まれた話を聞かぬのは、野良にゆくヒトが少なくなったせいなのであろうか。ハミ、ハメは噛む輩であるところから来ているのであろう。

言葉を集めて つづく

・ 「ダイハンニャ」
いいかげんにする。手を抜いてする。「色即是空、空即是色」、の般若心経(ハンニャシンギョウ)は何を教えているのか私には実の所よく解からない、しかし、仏事には足の痺れに悩まされつつ、唱和するのである。ダイハンニャで。「だいたい般若心経」が滑って転んでこうなったとしか思えない。

2009年8月22日土曜日

言葉を集めて また

・ 「ヒロゲル」
意見を言う。公開する。公の場で発言する。レジスタンスの要素がこの言葉にはある。したがって、世間では否定として扱われることが多い。「ひろげくさって」という様に。このクニでは自分の頭で考えて、自らの意見を持つことを嫌っている。女のくせに、子供のくせに、年下にもかかわらず、後輩だろう、というような言葉をかぶせて。しかし、ヒロゲてみて初めて自らのことばと論理の稚拙をヒトは知るのである。初めて言葉を意識すると言い直してもいい。ともあれ、すべてはヒロゲルことからはじまる。たとえば、誕生したての赤子は泣くことによって、みづからの存在と意思を表現してきた。あなたはそうではなかったのか。

2009年8月21日金曜日

言葉を集めた また

・ 「コサゲル」
この言葉の意味を知らぬ者は私の身近にはいない。メモにもひとこと「削り取ること」とある。きれいに根こそぎに、取り除くこと。私にとっては、茶碗の底にこびりついた飯粒を、箸の先で一粒づつ口にはこんでいるイメージ。コスルとサゲルが合わさったのだろうか。当てる漢字は思い付かない。

2009年8月20日木曜日

言葉を集めた つづき

・ 「アオノケノツバ」
「天に唾す」という諺の変形版。天に~の方は、戒めの要素が強いが、アオノケ~の方は、意外なことになったという意味。当時のメモを写せば「良いと思ってしたことが逆になること」とある。あおむけ、と、のけぞる、を、あおのけ、と変形させるセンスは只者にはなかろう。先日、痛風であるにもかからず大酒を食らって痛い目にあった私に、つれあいが「アオノケノツバ」と言い放ったが、これは戒めの意味であったのであろうか。

ブログらしく、知人に送った手紙を記しておこう。反省のよすがとして。
『ところで、ここ数日は臥せっていた。痛風のせいだ。数日前から変だとは思っていたが、いよいよやってきたのは、13日だった。折悪しく、その日はつれあいの妹のむすめの結婚披露宴(半年になる赤ん坊もその父親も披露するという宴)の日で、ビッコを引き引き、参加した。しおらしくしていたのは座るまでで、ビールは良くないそうだから、焼酎にしよう、いやヒヤでゆくか、と隣の義弟と飲みだして、あっちの夫婦のなれそめをいじり、こっちの夫婦の諍いを暴露し、「子供も成人したし、もう好きにさせてもらう」と宣言し皆からブーイングをもらい。あまつさえ、腫れて曲がらぬ足指を「ほら、もう痛くない」とまげてみせたりした。ここまでやると、さすがの神様も黙ってはいなかった。後日、宴席に忘れてきたメモ帳を送ってもらった。同封の添え書きが妙にこころにしみた。「先日は、お越し頂きまして誠にありがとうございます。お忘れ物を同封させて頂いております。どうぞお確かめ下さいませ。暑い日が続きます。お身体どうぞご自愛下さいませ。」 09.8.20』

言葉を集めた つづき

・ 「トチケモナイ」
とんでもない時に。思ってもみない事を。「~がトチケモない時(例えば深夜)に来て~」「~がトチケモナイ事を言う(する)」。とんでもない、とんでもねえ、とちけもない、と滑って行くに連れて、アスファルトやコンクリートから次第に野良に帰って行くような思いがする。当てる漢字はおそらく無かろう。
 と書いて、しばらく後、「途轍(とてつ)」を思いついた。これが正解ならば、なんでもありだなと考えた。いや、トチケのおかげでトテツの意味が私の中でふくらんだような気がしている。
 と、書いてから二日の後、古語辞典に「何方風(ドチカゼ)」を見つけた。そういえば、「北風」のことを、つれあいの育ったとこでは、「キタケ」と言っている。ドチカゼはドチケに変身しトチケとなる。
 とここまで書いて「トチケモネエ言をヒロゲルナ」という声が聞こえる。そう、この次には「ヒロゲル」について書こう。

2009年8月12日水曜日

私の好きな詩

と書いた。さて、どうしたものか。思案した。ハドメをはづせば、とめどないことになる。止め処を守れば、私が楽しめない。こう御期待。と書いて、まだ思案している。

言葉を集めて つづく

・ 「ノエ」
おそらく「野辺」だろう。田や畑、あるいはそのあたりのこと。ノエのむこう(上に)にある山へ行くときには、ノエに行くとは言わなかった。ノエに行く。ノエに行ってくる。ノエにいっとる。と使った。私の子供のころ、じいさんは毎日「ノエ」に行っていた。田におったり、畑におったりはしたが、行くところは、いつもノエであった。薄暗くなっても帰って来ないじいさんを「ノエ」に探しにゆくと、花崗岩の砂で出来た白い野道が、降りてきた闇のなかに一筋に朧(おぼろ)に見えているのだった。

2009年8月11日火曜日

言葉を集めた つづき

・ カジシ
カジシという言葉を聞いて、それがなにを指し示すのか解かるヒトは少なかろう。小作料の事である。(もっとも、この小作料だってあやしいものだが)この言葉は、子供の頃から知っていたが、どう書くのか皆目わからずにいた。メモに書き加えた時に調べたら、これは方言ではない(れっきとした日本語?)ことに驚いた。「加地子」と書く。当時のメモをそのまま書き写つそう。「江戸時代・小作米の異称。 注―地子は律令制での地代」。こうしてみると、百性はずいぶんと古くからある職業なのである。ここまで来れば、カジシの子が、利子の子と同じであろうと想像されるのである。

・ 「ウンダモノガツエタ」
「うんだものがつえたとも言わない。」と古老は言う。そうであることは明白であるにもかかわらず黙っている有様を憤っているのだ。「ウンダ」は「熟んだ」であろうか「膿んだ」だろうか。「ツエタ」は「潰えた」だろうか、「終えた」であろうか。私には確かめるすべがない。どう思われますか。

2009年8月9日日曜日

言葉を集めて つづき

・ 「草引き」
ブログらしく、今日の新聞(朝日)をネタにしようか。細川護煕(元首相)へのインタビュー、「細川さん最近は」と聞かれて、「田舎暮らしで草引きをしています。」 ホウ、こおつーと。
なぜ、草取りではなく草引きなんだろうか、いや、そもそも草引きという言葉をどのくらいのヒトが理解するものだろうか。と考えた。
ともあれ、見るからに、ダンディでスマートな彼は、おそらく作務衣姿で政界にはびこる雑草を退治しているのであろう。私の周りでは、草取りは草取りと言う。

・ 「マニアイグチ」
間に合い口。その場かぎりのことを言ってのがれる。そのときはたいてい「言う」のではなく「きく」のである。

・ 「モクレル」
もくれる。という言葉は私の棲息している瀬戸内では通じない。しかし、中国山地では一般的だそうだ。ひっくりかえるという意。大きいもの、重たいものが斜面から転がり落ちるイメージ。まくる(捲くる)、まるめる(丸める)に近いのか。考えてみれば身近には、モクレルるような急峻な長い斜面など無いのであった。

・ 「あぶったりたたいたり」
散々な様子をこういう。「けったりたたいたり」の工夫版であろう。これを私に教授したM氏は残念ながら故人となった。私は「あぶったり~」の方をはるかに好む。 トッ・テン・カンの鍛冶屋のイメージがそこにはある。

2009年8月8日土曜日

言葉を 集めて つづき

・ 「ハリマ 」
張間。であるか、梁間であるか。一定の幅の畝(うね)をそう言う。畝にはむろん作物を植えるのである。ヒトハリマ、フタハリマと数える。例えば、サツマイモをフタハリマ植えた。いや、サツマイモなら「挿した」と表現するかもしれない。



・ 「テギワがよい」
手際がいい。百性仕事は手でする仕事が多い。テギワが良くなくては、はかどらない。

・ 「キレイヅクシャ」
綺麗好く者。きれいづきな者から見れば、半端百性の私やっていることは、我慢ならないことなのだろう。

・「 ツロッコウ」
漢字でどう書くのか想像できない。理屈に合っている。バランスがとれている。つりあっている。ようツロッコウしとる。

・「 フサウ」
惣う。と書くのか。良く似合う。という時に使う。たとえば、あの畑には、たまねぎがようフサウ。こういう畑でタマネギを育てれば、手間いらずで収量も多いのである。

・ 「カバチ」
理屈。カバチは言うものではなくタレルものであるらしい。「ありゃあ、かばちたれ、じゃけえ」と言えば、100パーセント褒めてはいない。

2009年8月6日木曜日

言葉を集めた つづき

・「出てくる」
定植した苗が居ついて、成長しはじめたようす。このあたりの棚田では、田植えの後、10日程、稲苗はじっとしている。そののち、根を伸ばし養分を吸い、「デテクル」のである。

・「ジノカワがミエナイ」
小さな草が一面に生えてきて地面が見えない。地の皮が見えない。ということなのだろう。地表は皮なのである、という表現(認識)に出会った時の驚きは今でも憶えている。

・「ワタジ」
畑のこと。「綿地」であればこの国のここ200年ほどの産業構造の変遷のなごりだろう。私の棲息する所には、いまだに、養蚕用の二階建ての家屋が残っている。綿花も栽培していたのだろうか。

2009年8月5日水曜日

言葉を集める 余談

言葉を集めるのだ(たのだ?)、と言いながら、こうしてみれば、せつない思いを集めてきたのかもしれない。
切ないのならば、どれぐらいにそうなのか。請うご期待という事だろう。

言葉を集める つづき

「ガネスボがハヨウル」
がねすぼが生えてきた。
私の言葉集めは、主に、百姓の先輩の言葉をメモしたものだ。私の先輩であるから、もうとっくに、百姓を引退したヒトが多い、なかには人生を引退された方もおられる。
この言葉は、雑草がはびこってきたときに使われた。いまだに「ガネスボ」なるものがどういう植物であるのか解からない。もう20年も前のメモであるから確かめるすべはない。

「ヒジワ」
夏に生えてくる雑草の大半がこれ。どんな草か調べてみて下さい。

「草もこんには負ける」
草も生えんところにゃあ何もでけん。とは百姓の口癖で(言い訳でもある)、それぐらい草とのやりとりはシンドイ。で、先輩は、こう言って私を励ました。いまだに、私の恨(魂だろうか)は草に負けている。

2009年8月4日火曜日

言葉を集める つづき

・「やれんな・・・・」
私のつれあいのおとうさんはこれが口癖。やれんな~と言いながら、物心付いた頃から百姓を70年近くやってきた。嫁をもらえばこの口癖で50数年。それだけでなく何人もの父親も50数年やっている。おとうさんが「やれんな~」といえば、おかあさんは「そりゃ~やれんで~」と答える。
「やってはいられない」が本来の意味であろうが、ここまで使い込めば、唄のようでもあるし、励ましの意味も付け加わっているようだ。会えばこの言葉を聞くのが私の楽しみ。

・「ちゃい」
きんちゃい、しんちゃい。来なさい、しなさい。命令コトバではない。ためしに指揮命令系統で出来ている組織(軍隊・警察など)で使ってみればよくわかるだろう。~~たらどうなん。という乗りなのだ。

2009年8月3日月曜日

言葉を集める つづき

・「・・・・とお~」

・・・・であるのだそうだ。

(ちょうでえ とお~)・・・・が欲しいのだそうである。たとえば幼児や赤ん坊の気持ちを代弁して傍らの女性が使う。平安(平凡)な団欒のひとコマ。中国山地のあたりにはやさしい言葉が多い。下衆な瀬戸内生まれには、耳を洗われる心地がする。

・いやしり
  連作障害・・・・・耕すことを忘れた現代では、死語になりつつある。同じ作物を同じ場所に植えるとこれがおこる、イヤシリのおきない作物は稲ぐらいのものだろう。そういえば、麦はどうなんだろうか。

・ひりつく
  乾燥してしまって、カラカラである。

2009年8月2日日曜日

言葉を集める

順番になんの規則もない、種類もまちまち。そう、素人のてすさびである。



・「みればみいとこ、よればよいとこ」

  見れば三従兄弟、寄れば四従兄弟

   田舎においては血縁関係にある者がまだまだ身近に住んでいる。それにしても「いとこ」を漢字に直そうとすると8種類あるのに驚いた、兄、姉、弟、妹、の組み合わせで表現する。そういえば、二従兄弟(ふたいとこ)、従兄弟半(いとこはん)、という表現もある、これはまた別のはなしであるが。09.5.8



・「この命あなたの税がきいてくる」

 「 この社会あなたの税がいきている」というある税務署の標語をもじった、他意はない。



・「こおつーと」
明治生まれの、じいさんが思案するとき、よく口にしていた。「こおつ」が甲、乙なのか、また「考」を含むものなのか。「-と」は勢いである。

2009年7月30日木曜日

マクワ瓜

 もう数ヶ月も前の事だが、夏にはマクワ瓜を食ってやろう。と思いたった。少し黄みをおびた甘い香りのするそれを畑から持ち帰り冷蔵庫でキユンと冷やして、皮はもったいないと隣で待ち構える者に言わせるほど、厚く剥いて、種座(これがうまい)をまず啜り…。
イメージは完璧だった。種を買い、苗を育て、畑の中でもいっとういい処に、三本定植した。一本は次の日、根切虫に根元から切られていなくなった。しかし、あと二本ある。瓜バエがたかればあわてて薬をかけて、草取りもし、青々と育った。
 10日ほど前のことだったか、つれあいが畑にやってきた。(この者はトウモロコシ好きで苗を育てておけば、定植することから肥料をやることから草取りからを、やかましくいわなくてもやる。そのかわり食べるのも主にこの者のしわざなのであるが)この日は草取りにやってきたらしい。つれあいは期待のマクワをみて、「こんな所にきゅうりを植えたん」と言う。何を言う。だから同じ瓜でもこれはマクワである。と言ってやった。ところが、指差された先の花の根元には小さいながらも長くてイボイボの付いた物がある。
 ウリの前のマクワとキュがどこで行き違ったか今もって解からない。

2009年7月26日日曜日

種から種まで

百姓の仕事は、言ってみれば、種を蒔き、種を収穫するという事につきる。

2009年7月25日土曜日

どうやら、送ることに成功したようだ。車の運転ならば思うがままにならない事は危険だが、これは傷つくのは己だけだ。落ち葉マークと若葉マークを付けて暴走するか。

2009年7月24日金曜日

「ブログ」なるものを試みようと思った。別に深い意味はない。強い決意もない。」と書き込んで後、それをページに入れる方法を知らぬ事に気づいた。