2009年10月30日金曜日

ブログの孤独

「ちょうど」
稲刈りも終盤にさしかかった。毎年のことだが、田植えと稲刈りは、もう二度とイヤダと思うほどヘトヘトになる。これは多少の経験を積んでも変わらないようだ。つまるところ、食い扶持を手に入れる行為は片足ケンケン、鼻歌マジリにはゆかぬ。ということなんだろう。
ところで、昨日、籾を入れた袋を運んでいたら、ギックリ腰になった。つれあいは「あんたは」という「かんじんな時には頼りにならない」と。「なにを言うか」、と言えないのは、その昔、引っ越しの最中に足を挫いて、松葉杖をついていた記憶があるせいだ。つれあいを変えるようなことが出来れば、これは秘密の事柄にできるのだが。
それはそうと、このつれあいは、彼女が「毛深い友達」と呼ぶ、犬と猫を養っている。数は総計9。先日、数を数えたものか、「切りがよくない」と言う。10にひとつ足りぬらしい。「もう、ひろっちゃいけん」と言って止めにかかったが、しばらく後に「そういえば、ちょうど、だ」と明らめた。聞けば10番目に30年前に拾った私を入れたらしい。 
 

2009年10月14日水曜日

言葉を集めて つづく

・ 「ミナクチ」
水口。水面(みなも)と言い、水上(みなかみ)と言い、水底(みなぞこ)といい、水無月(みなずき)と言い、水俣病(みなまたびょう)と言う。それと同じ言葉ミナ。メモには「田に水を入れる入り口のこと」とある。あまりに身近で記録や記憶や詮索の対象になりづらい言葉なのだろう。『ほんにのうや』には記述がない、『岡山方言事典』には「堰口・関口」(この説明の方がムズカシイ)の事とあり、地域により「ムナトク・イダレ・ミトグチ・ミナクチ」と言うとある。これを読んで、そういえば「ミトグチ」と聞いたとも思えてきた。どちらであったのか確かめるすべはない、もう誰も使わないから。今では、「ミズノトリイレグチ」みたいな役人言葉が横行するのみだ。
しかし、こうして書き付けてみると、気になるところも出てくるのである。
1. なぜ、この言葉は瀬戸内地域で多様な変化を持って使われて来たのか、一方、中国山地では使用例がとぼしいのはなぜか。
2. 田に水を入れる仕掛けの中で、どの部分を指し示す言葉なのか。川の部分なのか、それとも田の部分なのか。
さて、それでは詮索してみよう。

と書き付けて、数日が過ぎた。斯く書く私も、「半端」と自称しても百姓の端くれ、5月に種を蒔き、6月に植えた稲の刈り取りがあるんでないの。と、キーボードを叩く私の肩を時の手が叩いている。しばらくは、モニタではなく稲を相手にすることとした。ヘラズの口をたたけば、ブログが来年の私の口を養ってくれる事は、掘っても無いのだ。
もう少しく、書いておけば、田、田圃、棚田、において水配分システムは説明が難しいこともある。かけて加えて、最近「里山」という、概念が流行っているが、水の配分システムこそ、その里山景観を造って来た。と私は思っていてそれを説明するには、忙しくては出来ない。では。

2009年10月10日土曜日

言葉を集めて つづく

・ 「アリガハヨウル」
「蟻が這ようる」。メモによれば「水のあった所が、干上がっているさま。池の樋を抜いとるから今頃は(池の土手では)蟻がはようる―ように使う」とある。
このクニで作ろうと、他の国で作ろうと、我々の体は農作物(米・野菜・肉・脂)で出来ている。土と陽はあっても、水がなければ作物は育たない。試みに翼を手に入れて鳥のように空の高みに昇れば瀬戸内には無数のため池が点在していることを知るだろう。
「言葉を集め」れば、「水」にまつわるものが多いことに気づく。そういえば、我々の体も大半は水で出来ているのであった。

2009年10月8日木曜日

言葉を集めて つづく

・ 「スバローシー」
メモには「うるさく言われる、やかましく言われる」とあり、『岡山方言事典』(文教出版)には「不機嫌。機嫌が悪い」とあり、『ほんにのうや』では、「不景気な、貧相な、陰気な、険悪な」とある。「不景気で、貧相で、機嫌が悪く、うるさくやかましく言われること」には事欠かないが。「スバローシー」とは言わなくなった。
ところで、『岡山方言事典』に、「スバローシーのもとの語形はスバラシー(素晴らしい)で」「これには意味の逆転がみられる。」と書いてあった。これはほんとだろうか、方言学では常識なんだろうか、皮肉を好むわたしは「スバラシー」と言いながら相手を否定する事は嫌いではないものの、われ等が祖先はそんなにスレていたのだろうかと思った事だ。
否定が生まれ定着する条件は、主体が安定して存在している必要があろう。われ等が祖先は「スバラシ」を連発していたのだろうか。わたしはむしろ、古語における否定の言葉、スサブ、スザマジ、スバリ=せまい、スバル=しぼる、などが方言化した可能性を追いたい。
それはそれとして、「スバロー」を追って「スバル」にいったら「昴」に出会った。昴はこれからの季節、しばらくは、夜空の真上にある七ツ星の星団である。これはどうやら「統(す)ばる」=(集まってひとつになる)からきているらしいのだ。この発見こそ、私にはスバラシイ。

言葉を集めて つづく

・ 「ガマ」
あな。穴。メモにこれを見たとき、沖縄の言葉を間違えて記したのではと最初は思った。1945年春、米軍上陸に際し、ガマ(洞窟)にこもった、住民に何が起こったか、そののちの沖縄の運命も含めて、このクニの有り様を象徴してあまりにも有名であるから。
ところがこの瀬戸内にもガマはあったのだ、「芋ガマ」として。さつまいもは寒さに弱いので、土間の隅に穴を掘り、すくも(=籾殻)を保温材としてガマの中で保管した歴史がある。いや、これは私ぐらいの年の者は記憶の片隅に残っている(少し湿ったスクモの匂い)。おそらく南の土地からサツマイモが伝播して来たとき、保管の方法とともに「ガマ」もやってきたのではないか。

言葉を集めて つづく

・ 「カザ」
におい。匂う。臭う。物の本によれば、かなり広い範囲で使われているらしい。「カザんでみい」「~のカザがする」と使う。目には見えず、音にも聞こえぬ、ものゆえ気づかないが、においは、我々の記憶の奥底に潜んでいて、思わぬところで呼び覚まされるものでもある。新居のにおい。青畳のにおい。藁束のにおい、においは記憶と硬く結ばれている。それはそうとしてどうやら、カザは風に近いようだ。においを発する本体よりも、カグという行いに傾いているように思える。
私は、犬との散歩を夜の日課にしているが、彼らの散歩は嗅ぐことに始まり、嗅ぐ事で終わる。夜空をみあげるのはヒトで、地面を見るのは犬だ。逆はまずない。

2009年10月7日水曜日

言葉を集めて つづく

・ 「サルマキ」
猿に囲まれること。付け加えることはない。瀬戸内に比べればはるかに、日常の中に猿、野生のそれとの交渉が、中国山地では在る。畑のものを失敬するに始まり、豆を束ねて干していると、両脇にかかえて持ち去った。とか、吊るし柿は、口にくわえて、他は綱ごとたすきがけにして持ち去った。とか、トウモロコシの見回りはヒトより熱心なのだとか。猿にかかわる話には事欠かない。おまけに、猿に囲まれて脅されることもあるのだ。それでもヒトの悪業にくらべれば、と思うのはまだ囲まれた事のない者のたわごとであろうか。

2009年10月6日火曜日

言葉を集めて つづく


・ 「シコロ」
97.4.30メモによれば「本屋根の下にとりつけた片屋根」とあり、稚拙な図(左図)も書き付けている。この言葉は聞いてのち、何度も聞き返し、指差しで説明されてやっと理解したと思い出した。『奥備中の方言 ほんにのうや』によれば。「シコロ」は「家のひさし」とある、これだろう。それはそうとして『ほんにのうや』には別に「いいかえてみたら-逆引き方言」の項が付録のようにあって、やらなくていいのに試しに、「ひさし」を見れば「ヤネジリ ノキバ」とある。?と、なった。この行き違いはどうしてなのか、タダのウッカリなのか、それとも「ノキバ・ヤネジリ」と「シコロ」は全く別のものを示しているのか。実際に私の出会った「シコロ」に立ち返ってみると、それは先に記したように本屋根の下に後から取り付けたトタン葺きのもので下の土間では農作業ができるスペースがあった。中国山地では季節により「キタケ」(北気?)と呼ばれる霧雨がある。これを防ぐ利便性が「シコロ」にはありそうである。辞典にあたると、確かに「シコロ」という言葉はあるのである。それによれば「かぶと・ずきんの左右・後方に垂れ下がって首筋をおおう部分」とある。ずいぶん古式ゆたかなる言葉だったのだ。つまり、屋根のつづきで壁より外に出た部分をひさし=ヤネジリ・ノキバと言い、屋根構造全体からみての役割分担として「シコロ」があると私は理解した。したがって、「シコロ」にも「ひさし」はあるのである、何処からがそうかは定かでないにしても。さてここで問題です。シコロは兜からきてひさしにたどりついたものか、それともひさしから兜にたどりついたものか。ちなみに「しころ」を漢字では「錏」と書くらしい。

付記 図を入れようとしたが、うまく行かなかった。ならばと写真を入れてみた。

言葉を集めて つづく

・ 「ハッポウオネ」で
97.4.18メモには「中心になって世話をやくようす。」とある。「八方尾根」であろう。この国は、広いというか、狭いというか、実際にそういう地名があるのである。「長野県の北西部、飛騨山脈後立山連峰の唐松岳より東に~」と物の本にはある。八方美人、八方塞がり、八方破れ、と八方にまつわる言葉は多いが、世話をやく様子をこう形容するのは一般的ではないようだ。高みに立って、四方に目配りしている様子がよく表現されていると思うが、贔屓目に過ぎるか。いずれにしても、最近は聞かなくなった。ところで、八宝菜との関係はどうなんだろう。

2009年10月4日日曜日

言葉を集めて つづく

・ 「タダカラソロソロ」
只からそろそろ。97.4.18メモには「値段をつけるとき、物の売り買いをするとき、使うことば。値打ちのない物にも使う。この耕運機は売っても、只からそろそろじゃからと使う」とある。
百姓は独立自営農民であるから、会社勤めとは違い、市場経済に直接に肌をさらしている。だから、物の値段がどんなルールによって決まるのかについては切実な問題なのだ。百姓のことはともあれ、物の売り買いなしにわれわれの日々の暮らしは成り立たない。
売るときは高い方がいい、買うときは安いほうがいい。このルールはすでにわれわれの血と肉となっているように思える。しかし、また、物には適正な値がある。というこのルールも我らの血と肉の中にはあったのである。(タダカラソロソロ。この言葉の中にそうであってはいけないよな~、のメッセージを読み取るのは私だけであろうか)
考えてみれば、ある物の背後にはそれを生み出す労働があった、とすれば、ある物の値にはそれに見合った労賃があったのである。言い換えれば、100円の安い物の後ろには100円に見合う労賃しかないのだ。それがルールです。と市場原理主義の神はのたまう。
今にして思えば、需要と供給ルールについての素朴な信頼はすでに市場原理信仰の域に入っていたのではないか。
と、神の「バイブル」メモをこっそり覗き見ればこう書いてあった。
『1.愚かなる民よ。すでに我々は、恣意によって起された戦争による恣意的需要に供給でまかなう時代に入って久しい。
2.愚かなる民衆よ。すでに我々は、扇動による欲望と、創られた不安による、架空の需要の求めに応ずる以外に生活を支えられぬようになって久しい。
3.目覚めよ。そこには、「儲け話」を「ビジネスチャンス」と言い換えて、口を拭っている、下衆な精神が跋扈(ばっこ)している。』
教えにしては、少し変だとメモの表紙を見直せば、[Bible]バイブルではなく[Bubble]バブルとある。なるほど。

2009年10月2日金曜日

言葉を集めて つづく

・ 「ハットウジ」
カメムシ。物の本によれば、中国山地では広く使われているらしい。瀬戸内では聞かない。しかし、「ハットウジ」は居るのである。畑の豆にたかり、田の稲にたかり、道端の葛にたかっている。夏の朝、畑から枝豆を持ち帰れば、それにまぎれているのはすぐに分かる。なにはともあれ、その臭いで。「カメムシがどっかにおるで」。先にあげた本には、興奮していないカメムシは匂わない「試しに鼻を近づけて~」、とあるが、御免こうむりたい。悪意に匂いがあるとしたら、こうだろうと思うようなそれだ。豆に集っているカメムシに殺虫剤をかければ、たちまち畑一面にカメムシの悪意が満ちてくるのである。稲にたかられると、米粒が変色するので、殺虫剤をかける向きもあるが、私は稲にはかけない、茶碗にせいぜい数粒のそれがあってもかまわない。豆にかけるのは、そうしなければ「豆」にならないからだ。
それはそうと、「八塔寺」という地名が近くにあるが、この虫とはどんな関係なのだろう。

メモについて ふたたび

メモの成り立ちについて書き加えておきたい。言葉、方言、地域特有の言い回し、どう書いてもいいが、空気のように偏在しているそれを、意識化しメモに記すことは、私がその言葉圏の外にいた、ということに他ならない。そして、研究のためでもなく、他者に知らせる目的もなしに、備忘としてそれを記した事は、他ならぬ私が言葉圏の中に棲息したいと願っていたからなのだ。
以上が、言葉とメモと私の相関関係図である。

ところで、言葉を擬人化しても何も生まれてはこないにしても、この言葉たちは、おそらく数百年の歴史を持つだろう、つまり、近代にまつわるあれこれ、「自動車、恩賜、コンクリート、民主主義、アスファルト、天皇制度、コンバイン、玉砕、満州の赤い太陽、プラスチック、戦車、演歌、バイク、ヘンジョウカ、ユンボ、帝国、転向、8.15、レーニン、汽笛、パソコン、産廃、師団、9.11、~~。」言い換えればわれわれの日常のほとんどはこのことばたちの後輩なのだ。「古きを温(たず)ね新しきを知る」ことはかなわぬ夢にしても、せめて、自らの醜さを鏡に映すぐらいはできよう。

2009年10月1日木曜日

言葉を集めて つづく

・ 「ゴタあな」
大きな穴。メモには「道にゴタ穴が開いた。と使う、ゴダ=無茶、の用法のひとつか」とある。しかし、大きい、ずいぶんと大きいだけのことを無茶苦茶とは表現しないだろう。無茶は比較できないものを表わす。『ほんにのうや』に当たると、「ゴウナ、ゴーナ」、があった、大きな、強いという意。「豪」であろう。道に豪な穴が開いている。

前々回、てこずった、「コタ」について、『ほんにのうや』に「コモクタ」=塵芥、の項を発見した。K女史の「まつごを掻きに」は薪を取りに行くのが目的であった。一方、「コタかき」の目的は、山の掃除にある。春、秋に茸が生えやすいように山を掃除するのだ。茸の収穫は百姓の大きな収入源である(あった)。「コタをかく」は「コモクタをかく」かもしれない。

言葉を集めて つづく

・ 「キモ」
気持ちのもち方。「胆力」のタンの部分。「キモがコマイ」は気が弱い、小心である。一方、気が強い。だいたんである。は「キモがフトイ」。こうしてみれば、大と太は字だけでなくうんと近い存在なのだ。先生には赤ペケを付けられるだろうが、大胆を太胆と表してもいいじゃないか。メモ(97.3.23)には「キモッタマかあさん。という用法と同じ」とある。