2009年11月30日月曜日

言葉を集めて つづく

・ 「アメツユモラサズ」


雨露漏らさず。メモには「隙のないさま?隠し事のないさま?」「正確にある様子。キチンとしているさま。」とある。当時、このことばを聞いて、混乱しているらしい、「さま」が伺える。今になって思えば、「細大もらさず」とか「一切合財(いっさいがっさい)」のことである。と、どうして書かなかったのかと、その方に興味がある。「ことばの衝撃力」が、どうやら私に脳震盪を起させたらしいのだ。「雨」も「露」も漏らす事無しに、野良ですごすことは不可能であるから、この言葉の衝撃力は生まれるのだと愚考した。

言葉を作る力は、どこから生じてくるか、それは、「多様」な生活様式からであろう。「画一」は言葉を萎えさせる。あなたはどう思われますか。

2009年11月29日日曜日

言葉を集めて つづく

・ 「ツチゴエ」


「土肥」。方言ではない。農業用語にもない。強いて言うなら、百姓言葉(農業から業を外した農の言葉)である。メモには「堆肥のこと、液肥との区別か」とある。

ここまで、書いて思い直して「土壌肥料(ドジョウヒリョウ)」を検索したら「学会」まであるのには驚いた。しかし、「つちごえ」は「つちごえ」なのだ、いまさら、「どじょうひりょう」みたいなニョロニョロ、ネチャネチャした言葉を使いたくはない。誰にも理解されないにしても。

2009年11月28日土曜日

何を食らうか つづく

「メニュー」             
日々、家庭(あえて家とは書かない)には、放っておけば直ちに飢える犬、猫、ヒトが属している。それらが何を食らうかは、日々の喫緊の課題なのである。食い物の種類を「メニュー」と西洋言葉で言うことにして、「メニュー」をどう決めているか、どう発想しているか。に私は興味がある。いや、ここ数十年、(ハタチのころ自らの食い物の調理を始めてからは35年か、その間、ひとりからふたり、さんにんからよにん、ごにんからろくにん、メンバーは入れ替わり、数の増減もある)「メニュー」のことを考えない日は一日たりとも無かったはずだ。こんな身近の「テーマ」を思考の表面に取り出さなかった、己の不明を悔やんでいる。

さて、あなたは、この根源的で深刻な「テーマ」をどう扱っているか、扱ってきたか。この問いに答えることは楽しい、食い物のイメージが頭の中を錯綜するから、そしてこたえは驚くほど多面的なのである。

言葉を集めて つづく

・「オウドウ」


メモには「無謀」とだけある。『方言事典』には「大胆・横着」とあり、『ほんにのうや』には「生意気・大胆不敵」とある。だいたいそういう事だろう。方言である、薄い辞書にも、分厚い辞典にも無い。
何が「オウドウ」にあたるかは、自ずと社会における立場によって違うだろうと考えた。繊細可憐なこの私でさえ「オウドウ」者と思うヒトが居るだろうし、また、私が「オウドウ」なやつと思う無礼者をそうは思わぬというヒトもいるのだ。こんな簡単なことが解かるまでには、ヒトはいささかの苦節を経ねばならない。

2009年11月27日金曜日

ブログの孤独 つづく

生きていれば、悩みは尽きぬもの。と知ってはいるが、ブログに「コメント」が来ないのは、少々悩む。知り合いに、「野良通信」見たかと聞けば、「おお、なんか、書いていた」とか、そわそわとして話題を変えたり、とか、そんな具合だ。「読め。」と言えば、「そんなに人気者に成りたいのか、」と軽蔑のまなざしである。どうすればいいのか。

2009年11月26日木曜日

ブログの孤独

「土の中の純」
いまさら、こんなことで百性が驚いていては、職業詐称と言われても仕方ない。でも私は、土に育った、ダイコン、ジャガイモ、等、野菜に包丁を入れる度に、その身の「純」なことに驚く。泥の中に生きながら、その身の中に、外部を入れぬその、メカニズムに不思議を感じる。
時は可逆ではない、すべて存在する物は、時につれて、交じり合い、化合しあい、時には核融合もして、平均に複雑に至る過程である。科学はそう教える。しかし、その法則さなかにあって、泥の中に「純」を創り出すこの現象を「命」と呼ぶのであろうか。

今の、若いヒトは経験がないかも知れぬ、私の育った頃の飯にはよく、石(砂粒)が入っていた。「ジャリッ」ときて、そのあたりを舌先でさぐり、見つからなければ、そのまま飲み込んだものだ。これは収穫の過程で混じり込んだもので、米ひとつぶの中に砂が入ることは無い。

言葉を集めて つづく

・ 「カゼガツク」


「風邪をひく」とメモにある。説明はいらぬだろう。方言なのかどうか解からない。咳と熱がある、喉も痛いとくれば、「風邪がついた」のである。どんな迷医でも先ず、風邪を疑うだろう。それにしても、どうして、風邪に限って「ひく」と表すのか。「つく」の方が、用例も多い、尾行がつく、運が付く、気が付く。分厚い辞書の「逆引き」を見れば20や30はあるようだ。歓迎するものも、しないものも、来たりて「付く」のである。と書いて、「風邪にさばられる」と言っていたような気がするが、それは私だけの錯覚なのか、と考えた。「ひく」と「つく」の事を考えていると熱が出てきそうだ。風邪の季節です、互いに根などつめたりせずのんびりゆきましょう。戦争はいま少し先の事になりそうだから。

2009年11月25日水曜日

言葉を集めて つづく

・ 「イカナコトニモ」


メモには「どうこう言ってみても」とあり、使用例として「イカナコトニモよう雨がふる」とある。方言かと言えばそうではないみたいだ、しかし、使っているかと言えば、ほとんど聞かない。「狂言」の舞台では使っていそうである。つまり、昔の言葉なのだ。私は耳にして、メモにとったが、この言葉は、絶滅危惧種(例えば朱鷺)だったのであろうか。
この言葉は、私の百姓の先生の口癖。先生は当時の若者がそうであったように兵隊に取られニユーギニア戦線に送られた。幸い?病を得、九死に一生を得た。何処から船に乗せられ帰国したのか。どうか、インターネットで探してください、パプアニユーギニア「ラエ」を。 この話はまた機会があれば書いておきたいと思っている。私にその能力があれば。
それにしても、やれ「グローバル」だ、などと言い言いして、クニは国民を威しに掛かっているが、70年前から、このクニは、じゅうぶん「グローバル」であったのである。
「なんにも知らん、子供みたいな者が死んでいった、いまはテンノウヘイカの悪口をいっても手が後ろに回らん世の中」。グローバルなどと言う、流行言葉を理解しない先生の、体験記はそれから始まり、時にはそれで終わった。

2009年11月24日火曜日

何を食らうか つづく

四季の移り変わりは、いやでもやって来る。今秋初めてフロントグラスに降りてきている霜を見た。こんな時「また、のうのうと生き延びたな」と思ったりする。ところで、ヒトは誰でも、「これだけはやっておきたい」という事があるだろう、例えば「恋愛」。「運命の人」などと、目の玉にハート印をつけてみても、傍から見れば「偶然の相手」にしかすぎぬ、ようにも思えるのであるが。
私にも、「やっておきたい」事が現れた。土間の片隅に小芋が収穫してあるのを発見した。「豚汁」を作ろう。
幸い冷蔵庫には豚肉の切れ端がある、ゴボウ、ニンジン、シイタケ、コンニャクもある。さっそく、鍋の湯に刻んだコンニャクを入れて湯がきにかかると、ゴボウ、ニンジンも湯通ししてみようと思い立ってコンニャクの鍋にこれも入れる。別の鍋を出し、豚肉を入れ、酒をふりかけ、味噌を下味の付くぐらい入れて、炒めにかかる、適当にサット炒めたら、湯通ししたコンニャクたちを入れて、ガッサガッサ炒め合わせた、その上に湯を張り、小芋を入れて、煮る。アクが浮いてきたら、取り除いて、その間にネギを刻んでおこう、春菊もいいな。小さなボールを出してきて、味噌を適当に入れ、煮汁で溶いておく、小芋の煮えたを確かめて、ボールの味噌を入れれば出来上がり。「豚汁」は作りたてがうまい。温め直しは、味噌の香りが飛んで今ひとつの味だ。
それはそうと、今朝の霜で畑の野菜が甘くなったはずだ。さて今度は何を食らうか。

2009年11月23日月曜日

完璧な日記

09.11.23 の完璧な日記


午前三時すぎ、起き出す。さて、今日はなにを食らうか、冷蔵庫をみれば、アナゴの炙ったものがある。酒と砂糖と醤油でタレを作り、ネギを少々多目に刻んで、新米を仕掛けて、出来上がった熱々ご飯の上にサット炙り直したアナゴを(タレを充分絡ませて)、載せる、その上に少しく煮詰めておいたタレをサッと掛けまわして、ほんの少しご飯を載せたりしてもいい、ネギをその上から、いやネギは熱々の煙の上がるほどの油で一回ジュンとさせて~。いやネギは、タレと絡めてチンで火をとおすか、と考えた。
テレビをつければ、今日は祝日らしい、これでは、家の者は、てんでんばらばらに起きだしてきて、ご飯も冷め、ネギも香りがなくなるだろう。それでアナゴ飯はあきらめた。
しからば、アナゴの巻き寿司を作ることとした。米は去年のを使う、その方が粘りが無く、寿司にはいいのだ、かんぴょうを水で戻して、シイタケは戻しておいたのが有る。ホウレンソウがあればいいが、之は諦めて。かんぴょうとシイタケを煮、酢飯を作り、冷ましたところで、新聞が配達された。(取りに出れば、外は一面の完璧な霧)なにはともあれ、新聞に目を通し、ひと眠りして醒めれば、枕辺につれあいの気配がする。「今日は、巻き寿司を」と言うまでも無く、もう作って食った気配だ。腹を空かせた者と、満腹の者とのたたずまいは、霊長類ヒト人類には、おのづと解かるものなのだ。
「今日は、祝日らしいが、何のだ」と聞けば、やや間があって、「教えてあげようか」とまるで鬼の首でも取った如くに機嫌がいい。「キ・ン・ロ・ウ・カ・ン・シャ・の日」と歌うようにピシャット言う。まるで、「あんたには、関係ないことだけど」という調子で。確かに、土日も祝日も関係ない日々を暮らしているが、「何をぬかす」と言えぬのは、どうしてなんだろう。もっとも、つれあいは自慢かどうか知らぬが、「家の者は、金を稼ぐ事以外は、何でも出来る」と言っているらしい。(この美しき誤解はそのままにしておこう、私はやってみたい事をやり、やりたくない事はやらないだけなのだ)
ほどなく、つれあいは、巻き寿司を弁当に「勤労」に出かけた、さーてと、もうひと眠りするか。

2009年11月22日日曜日

言葉を集めて つづき

・ 「キタケ」


北気。メモには「中国山地で冬に降る霧のような雨」とある。もともとは「北から吹いてくる風」の意、だったのだろう。しかし、瀬戸内と違い、中国山地では、北からの風にはかならず、時雨(しぐれ)を伴うのだ。このメカニズムは、素人の私にも想像がつく、この列島は基本的に偏西風にさらされているから、日本海を渡って来る、湿った空気が山地に当たる、それが上昇し、霧となり水分を放出する。こうだろう。北に行くにつれこれは雪になるのだろう。
いや、このごろ雪は積もらないが、「私が小学生の頃は、」と、中国山地の水を飲んで育った、つれあいは言う。「朝起きてみて、雪が降っていたら、学校まで行くのに、親が前を歩いて雪を踏み固めてくれて、そのあとを、ちっちゃな子供の私たちは長靴で~、それでも、長靴の上から入った雪で靴下が濡れて、霜焼けに~」と。(こんな、具体的で、直接的な子育てがかつて、中国山地では展開されていた事に、私は、ある感慨を覚える)

つらら、霜柱、アカギレ、しもやけ、これらはみんな北に行ってしまった。彼らはどこまで行っているのやら。日陰の残り雪が懐かしがっている。

唐臼その後

さて、米を収穫した。私のような気まま百姓は、「食らうだけ」採れればいい、でやっているからもうダラケテいる。売るために作る人は、ほんとうは、これからが大変なんだろう。
去年までは、NKにいくらかを出荷していたが、今年はやめた、昨年のこと「カメムシで変色しているコメ粒が混じっている」と迷惑そうにするのでカチンときたのだ。NKなど農薬をタップリ吸わせた米を売るがいいのだ。ところで、変色粒にイチャモンをつけた職員はちゃんと農薬米を食っているのだろうな。
とここまで書いて、一昨年のことを思いだした、おととしも、あれこれイチャモンを付けたあげくに「籾種をNKから買わずに作るから、こんな事になる。」と言ってきた。おあいにくさま、その年は「あけぼの」から「あさひ」に品種を変えた年で、NKから種を買ったのだ。「伝票を見直してみろ」と言ってやったら、それきり返事がなかつた。どうやら、NKとは、このあたりから雲行きがあやしかったのだろう。百姓は「指導」しないと馬鹿ばかりやるものと思っているようなのだ、NKの連中は。食い残した米は、田圃に戻してやるつもりだ。
ところで、私のジイさんがコメを作っていたときには、たいてい、一年分の食い米は貯蔵していた。つまり、そうすると、新しく取れた米は、食わずにその前の年の米を食うことになるのだが、それは、凶作への備え、生き延びるための知恵であったのだろう。「おいしくなければ、食い物ではない、まして、虫食いのものなんか」という風潮はここ最近の流行でしかないのだ。こんな風評を流したのは、NKと農薬業界のたくらみである。とするのは穿ち過ぎであろうか。

2009年11月21日土曜日

言葉を集めて つづく

・ 「トシヲヒロウ」


メモには「年をとる」と書いてある。薄い辞書には無いが、分厚いやつにはある。方言なんかではない。年50を過ぎて、馬齢を重ねるにつれ、この言葉がちょうど、体に合った服を着たみたいに、ピッタリ我が思いを表してくれる。

ところで、年齢の数え方は、そんなに簡単ではない。このクニには「かぞえ」と「まん」がある。あなたは、どちらで身過ぎしているのだろうか。墓参のついでに、いくつで死んだかを見れば、「かぞえ」で記してあるのが多いようだ。さればとて、生きてある時は、「まん」を表明することで、身過ぎせよと「法」によって定められていると、さっき調べて解かった。いらぬお世話だと考えた。
そういえば、誕生日なるものがあって、身近の者のそれを、憶えていて、その日に忘れずに「何かを」というのは面倒だ。いや、「その日」を忘れていたら、もっと面倒な事になるだろう。年齢なんか、その場その時で自己申告にしたらどうなんだろう。芸能界みたくに。「生年月日」を市役所に届けることで、われわれは、「管理社会」にすでに所属しているのだ、これ以上管理されることはなかろう。

とここまで、書いて、そういえば「アーサー・ビナード」が詩かエッセイで「かぞえ」の不思議を書いていたのを思い出した。探しに行けば、積み上げた本は微妙に崩れていて、一冊抜き出せば、また、新たな秩序を求めてもっと崩れるだろうから、明らめた。で、この冬は本棚を作る事にした。本棚が出来たあかつきには、「ビナード」君の書いたものが、出てくるだろう。

それはそうと、「命」なるものはDNAとDNAが絡まって、ひとつの秩序が生まれた時から始まり、その秩序が解体(開放)される間の過程であるらしい。それでなんだろうか、どうもヒトは自らがどこから来ているものかを、明らかにしたがるものだ。いや例えば、それなしには、いてもたってもいられぬと、不幸にして、生き別れになった人が、親を探して彷徨う物語に我々は共鳴する。

2009年11月18日水曜日

何を如何して食らうか つづく

牡蠣ご飯のこと。
この前のカキは昆布とカツオで取った出汁があったので、それを沸かして、食うだけ、(二個か三個)をポトンと入れてクラットさせて、畑から摘んできた春菊を浮かべて食った。塩気はカキが持っているので飲む人が好みに合わせて醤油でもたらせばいい。酒をくらいながら、家族のぶんを作り、自分のものは、酒のあとに、最後に作る。ここだけの話だが、後になるほどカキのだしが汁の中に溶け出してうまいのだ。この食い意地が痛風を呼ぶのか。


さて、またカキを買った。フライにするか、どうするか、つれあいが思案の前を通りかかったので、カキは何で食いたいかと聞けば、ご飯がいいと言う。さればとて、炊けるように仕掛けておいた炊飯釜から水を捨て、鍋のカキに醤油を、今回は三合だから大匙2、(具が多いときは3)をいれ、酒を適当にふりかけて、身がぷっくりしたら火を止めて、さて何と炊こうか、サトイモは畑にあるが、堀りに行くのは面倒だ、牛蒡、ニンジンも刻むのがめんどうだ、と考えた、冷凍庫を漁ると、春の筍があった、これでゆこう。カキを炊いた汁を炊飯釜に入れ水を分量に張り、その上に筍をのせ焚きにかかる。鍋に残ったカキは炊き上がる寸前に入れればよろしい。その間にネギを刻んでおいて、蒸らしの終わった飯に混ぜ込んで、おしまい。

次の朝、炊飯釜を洗っていると、いつも少し油っけている釜がそうではない、油あげを入れるのを忘れていたのだった。しかし、うまかったからそれでいいのだ。料理なんてそんなもんだ。次回は入れようか。

2009年11月17日火曜日

言葉を集めて つづき

・ 「トウス」


「籾摺り」のことである。これを「トウス」と言わない人がいることは、最近知った。「ヨウス」と言ったりするらしい。『ほんにのうや』には「コナス」と言うとある。そういえば、つれあいは「ぐずぐずせずに、はようこなされえ、何時するんで」と角を生やしていたから、中国山地あたりではそう言うらしい。しかし、どうやら、「トウス」は「唐臼」から来ている歴史ある言葉らしいのだ。この島国が、「政府」「議会」などという言葉を知らず、「哲学」みたいな言葉も無い、むろん、大陸や半島を蔑視することも知らなかった、そんな時代に唐臼は籾摺りをしていたらしいのだ。なにしろ、唐から来たるところの臼であるのだ。

ところで、今日、その「トウス」をした、一人で。電気モーターを動力とするそのシステムは、15俵、1トン近い玄米を籾すりする。3時間で。ひとりで出来るようにシステムを組み立てたのは私だから、文句は言えないにしても、まるで「モダンタイムス」のありさまだった。ピーピー、ブウブウ、そら早くしなさい、と機械システムがせかしにせかす。この時代、機械の主人であることは、むずかしいことである。

言葉を集めて つづき

・ 「イジル」


メモには「操作する」と書いてある。辞書には「もてあそぶ」という意味、とある。メモのつづきには「タマネギの値段は市場がイジッテしまうから、ただみたいなもんだ」と書いている。この地域はタマネギの産地で、稲の裏作として大量に作っていた。現在はちらほら居るかどうかである。お名残としてか、タマネギ苗は自分で育てるという人が多い、私も育てている。「栴檀は双葉より芳し」、でタマネギ苗をいじっているとその香りは手や服に付いて心地いい。余計を付け加えると、市場では重さで取引されるから、肥料をたっぷり吸わせたブクブクのタマネギが流通するけれども、それらは腐りやすく、日持ちもしない。肥料を切って、小さく締まったものを作れば半年は持つ。

2009年11月16日月曜日

言葉を集めて つづき

・ 「ドテネ」


メモには「土手根?」として「どてのそば」と書いている。「ドテネ、ドテネ、」と口の中でこの言葉をころがしてみても、そういう事だろうと思う。方言ではなかろう。とそこらで私は、ここ数日、迷いのなかにいた。しかし、私のメモが正確であるなら、「そば(側)」の事を「ね」と表現することは、一般的ではない。調べてみたら「~の側」ということを、方言で、「ネキ」というとある。「どてのそば」は「ドテネキ」であり、「ドテネ」なのである。

2009年11月9日月曜日

言葉を集めて つづき

・ 「ズエル」


崩れる。山の斜面が滑り落ちている。以前に記した「モクレル」は山の斜面にある物が転げ落ちることだが、「ズエル」は土そのものの動静を指している、と考えた。「ズッコケル」とは隣りどうしだろう。

世相 つづき

昨日、テレビを見るともなく見ていたら「普天間」沖縄米軍基地をニュースでやっていた。轟音とともに、校庭をすれすれに飛ぶところの軍用機の映像は只事ではないと見た。インタビューに答えて女の先生が、「墜落してきた時、どうしたらいいのか、それが一番の心配」と言っていたが、どうしようもないであろう。言葉にならぬ悲鳴をあげる時が残されているのみであろう。国会が開かれているそうだが、この轟音の下でやればいいのだ。


ところで、それを見ながら、私は一篇の「詩」を思い出していた。1974年頃の10月28日、朝日新聞「文芸時評」欄で「丸谷才一」氏によって教えられたその詩。私の変色して分解しかけているノートより抜粋する。
「洗練された言葉の芸、『天野忠詩集』」という書き出し。
「昭和29年の詩集『重たい手』のなかの、人々がひょっとすると単なる反戦詩と見るかもしれない数編の詩の場合にもいささかも変わらないようだ。一例として、散文詩『拍手』では長くなりすぎるから『何故』をひく。

『そのとき 遠い空に鈍いひびきがふるえ

みるまに轟然とふくれあがり

そいつは

学校の屋根いっぱいのつばさとなった

中学生の読むリーダーの声がふっ消され

首を縮かめて みな息をのんだ

グアーッと莫大なひびきで いつものように

教室は揺れた



やがて

とぎれた生徒の言葉を補うために

先生はしずかな声で‘Why’と云われた。』」

以上で抜粋はおしまい。手練にかかると散文詩「拍手」を探しだして読みたくなるではないか。
余計を付け加えれば、次のページに私は「シンシア」の歌詞を書き写している。「なつかしいひとやまちをたずねて」「かえってゆくばしょないのなら」どうやら優れた表現の射程は思いのほか長いみたいだ。

2009年11月8日日曜日

言葉を集めて つづき

・ 「アダヤオロソカ」


メモには「かんたんには」と記している。それで充分であろう。「アダヤ」も「オロソカ」も方言ではなかろう。私の百姓の先生はこの言葉を連発していた。「あんたには簡単に見えるかも知れないが」という意味を込めて。

確かに、「都会で食い詰めたから。」「定年まで勤め上げたから。」「これからはこれが新しい。」様々な理由で田舎は、今、注目されているかも知れない。しかし、「時」はそんなに可逆的ではないのである。田舎は彼らが(彼らの先祖が)捨てた時とは変化しているのだ。まづ手頃なゴミ捨て場としてあなた達の故郷は利用されつつある。死語に近い言葉を使えば「総資本」との戦いを「戦いぬく」決意がなければ、あなたの頭の中の「故郷」は夢想に過ぎないだろう。
もしも、あなたが、田舎の生活を「満喫」しているとするならば。それは、あなたの、自覚していないところのあなたの裏切りによる他はないのだ。どうして、あなたは、欺瞞に満ちていると思うところの「都会」で「都会」の欺瞞の問題を解決しようとしなかったのであろうか。
裏切り者という罵声が私の肩にも遠くから聞こえている。

2009年11月7日土曜日

世相

世相を「新聞」に読む


09年11月、ある日の全国紙の地方版を要約。文責は私。

『・ 生まれて(3ヶ月)の赤子を虐待したと無職母26を逮捕

・ 交通事故、無職68を派遣社員36がはね、死亡

・ 労働現場事故、アルバイト作業員48が建設機械の下敷きになり死亡

・ 児童ポルノ法違反、フリーライター43を逮捕』

マスコミには幸せよりも不幸が載っている。それはしかたない事として、職業欄を見直して下さい。無職、無職、派遣、アルバイト、フリーライター。運命によって無作為に集められたこれらの事柄は、今、この社会が抱えている最大の問題「雇用」を物語っているだろう。
最もこれは最後が「フリーター」である。と書き写すまで思い込んでいた迂闊の私の独断であるにしても。

2009年11月6日金曜日

言葉を集めて つづく

・ 「マゼカエス」


「雑ぜ返す」。方言ではないようだ。メモには「さわがせる」とある。ボソボソと呟いてマゼカエス事はないから、声にしても、文字を擦り付けた文章にしろ、高調子である。観察してみれば、マゼカエス人はシャイでテレヤでニヒルでシニカルの傾向があるみたいである。たぶん、彼(彼女)は、その瞬間のその場の、その相手の一瞬の心の揺れがおもしろいのである。

こうしてみれば、すぐれた文学や学問や芸術はその要素で出来ているのである。

マゼカエスので困り者の人をどうか暖かく見守ってやって下さい。彼がすぐれた文学を生み出すことは無いにしても。

道具について つづく

「道具」について書いておきたい。この時代の道具についてであるから、主には金属についての偏愛を語ることになるだろう。金属は土から取り出し、また土に還ってゆくものだけれども、しばらくは、ヒト人類の傍らにあるものだ。

食らうために つづく

「料理」をする事について書いておこう。「食い物」をまづ料理しておこうと思う。食らう物に必要な要素を大切なものから三つ挙げよ、という設問をされたことは無い。しかし、仮定のそれに答えてみよう。あなたはどう考えるか。


 私の答えは

1. 安全であるか ―― いくら美味しくても毒は食えない。

2. 栄養があるか ―― ヒトはエネルギーを食い物から摂りいれる。

3. 美味しいか ―― 不味いよりもいい。

以上である。クニを挙げて「うまい物でなければ食い物にあらず。」と非国民なみの扱いに異議を唱えておきたい。

2009年11月5日木曜日

言葉を集めて つづき

・ 「ゾゾリ」


あるいは、「ゾゾロ」。97.8.22。日付から思うに、盆明けに、中国山地の方で聞いた(聞かれた?)ものだろう。メモには「わき芽の意、サトイモのゾゾリを取るかどうか」とある。

さて、この言葉が手近の辞書には無いのである。何かというと引き合いに出てくる「広辞苑」にもなし、インターネットの検索にも引っかからない。諦めかけて、古語辞典を引けば、あったのである。「ぞぞりこ-側子・里芋の親芋についた小さい芋。小芋。」とある。どうやら、サトイモにだけ使われる言葉のようである。

サトイモはその毛むくじゃらの容貌にもかかわらず、好む者が意外と多い芋である、物の本によれば、うそかほんとか縄文の頃からこの半島にいるらしい。サツマやジャガなどお里の知れた、新参者に比べてはるかに万世一系の歴史を誇り、なを好まれてもいるのである。

サトイモの皮を剥くと手が痒くなる、ヌルヌルしていやらしい、と料理を作る者からは煙たがられてもいるが、いったん豚汁の中に入ればそのぬめりがちょうどのとろみとなり、煮崩れそうで煮崩れぬその性格は、サツマやジャガの追随を許さぬ存在なのである。

ところで、辞書の「ぞぞりこ」のあとに「そそろ」があり「鷹が鳥を食べ終わって、その毛を吐き出したもの。」とあった。なを「そそろか」は「けば立ち、なめらかでないさま。」とある。小芋の毛むくじゃらの容姿は、「そそろ」に似ているだろう。「鷹」と「芋」との意外なつながりに私はおおいに興味をそそられたのであった。

2009年11月4日水曜日

言葉を集めて つづく

・ 「ドヒンギ」


メモには「囲炉裏(いろり)のまわりを囲っている木組み」とある。つれあいの故郷に行って(彼女にしてみれば帰って)つれあいの叔父から聞いた言葉だ。酒席だった。ドブロクの発酵が過ぎて、酸っぱい、でも飲みたい、飲んでそのあまりの酸味に「ドヒンギを掴んで、耐える」という話だった。叔父さんはそこには存在しない囲炉裏のドヒンギを鷲掴みにして、小刻みに揺すってみせた。
中国山地のヒトは「我慢」とか「辛抱」とかを生活信条とする向きがある。酒においてもをや、である。

調べてみれば、『ほんにのうや』の逆引き方言に有るのみだった。「いろりばた」の項に「ユリー、ユルリ、ユリーバタ、」そして「ドインギ」。私がこの言葉に出会ったのはこれが最初であった。そして最後であろう。もう実用の囲炉裏は見ないから。
「ドヒンギ」の叔父は代掻き作業の途中にトラクタの下敷きになって亡くなった。もう10年になるか。当時、調べてみたら、この県で、年に10名が農作業中の機械事故で死んでいた、全国にすれば×50であるかと、思ったことだ。百姓はそんなにのどかな仕事でもないのである。

言葉を集めて つづき

ミナクチ。つづき


さて、あなたは、こうして一枚の田に稲を植えることが出来るようになった。もし、この田を養うに充分過ぎる水が流れてくるとすれば、その水をどうするか。川に戻すか、否であろう。あなたは、今の田の下にもう一枚、田を作ろうとするはずである。苦労して引いてきた水がすぐそこにあるのであるから。もう、お解かりのように、こうして棚田構造は出来上がるのである。これこそが、また「里山」風景である。

余計を付け加えれば、棚田の上から下まですべてがあなたの所有でない場合、つまり一般的にはそうであるのだが、この場合、水の配分についての調整が必要となってくるだろう。日照りの年もあるのだ。成文化されていない水配分の法があらゆる棚田において存在する。調べたわけではないが、これは確かであろう。

言葉を集めて つづき


「言葉を集めて」に戻ろう。水口。
宿題があった。上の図を見ていただきたい。単純な仮定として、あなたが、この地形に田を作り水を引いてくるとすれば、川からだろう。しかし、すぐ近くの川は田面よりも常に低いのである(低いから川である)、これでは水は来ない。あなたは川をさかのぼり、田面よりも標高の高い地点を探し、そこを「水口」?とし、条件によればかなりの距離の水路を作るであろう。これが田にまつわる「里山」構造の簡単なデッサンである。

ブログの孤独

「種から種まで」
稲刈りを終えてみれば、5月に蒔いた種を、11月に回収したことになる。約半年をかけて。数えたことはないが、一粒の種は千粒には増えている。性懲りも無く、来春に種をまくとしても、999粒は食っちまえばいいのだ、そういう様にして、我々は時の狭間をさまよっている存在にすぎない。
それはそうと、百姓の栽培する物の中で「種」まで育てて食らうものは多くない、たいてい、茎を、葉を、根を、果実を食用にする。稲の他に何があるか考えてみてください。

2009年11月3日火曜日

ブログの孤独

「海のルール」
稲刈りはてんやわんやの事どものウチに終わった。20年数年前には新品だったコンバインは、ガタピシしながらも止まることなく動いた。50数年前に新品だった、私の腰に故障があったくらいで。さてこれから、一碗の飯になるためには、いま少しの工程がいる。「炊きたての湯気立つ新米飯」のイメージが萎えがちの心を毎年奮い立たせるのだ。たった一碗のそれのためにヘトヘトに突っ込んで行く。合理主義者ども笑いたければ笑うがいい、私はそういうようにして生きている。
それはそうとして、ブログらしくニュースに絡もう、24日、八丈島沖で遭難した漁船から三名が生還した、詳しい者によれば「奇跡」に近いことらしい。新聞によれば、転覆した船に4日間閉じこめられて、脱出を試みることなく留まった、とのことだ。私は考えた、助けがなければ、いづれは死ぬことは目に見えている、船を捨てての万分の一の可能性に賭けなかったその論理は何かと。それは「必ず助けが来る」という確信ではなかったか。それは仲間がそうなったら自分は何をさしおいても助けに行くという、論理の裏返しだ。そこには、「他人の不幸は蜜の味」「自己責任論」が蔓延している陸地とはまったく異なる「海のルール」があったのではなかったか。