2010年12月26日日曜日

ある日の厨房

ある日の男子厨房
何事によらず、行き当たりバッタリだ。電線に切り裂かれて風が鳴っている。寒い。外に出ると小雪が舞っている。もっとも、頭では言葉が「雪花が散りょうる」と言っている。これは方言かしら、と調べてみるとそうでもないらしい。
さて、男子厨房では仔猫がその場限りの思いつきで遊んでいるみたいなことをやっている。
豆腐の水切りをした。これは揚げ豆腐にしよう。


しばらく置いておくから、その間に、ゆで卵を作ろう。


コチンとひびを入れて剥きやすくする。こうしておいて水の中で冷やした。
ギョウザを作ろう。
捏ねておいた、皮のもと。
こうして。
棒状にして、カットして。
平らにのばして。
皮が出来た。後は適当な餡を包んで。 
このくらいの、湯でゆがいて
水分が無くなれば、油をまわしかけて、鍋底から剥がれるのを待とう。できた。
豆腐を揚げている
揚げ豆腐。ついでに、余った皮も揚げた。

2010年12月23日木曜日

おこわ

子が子を連れて帰省した。寝返りをしては、元に戻れぬと悔し泣きをしている。誠に厄介なしろものである。しかし、考えてみれば大人ビトでも同じようなものだろう。さすがに寝返りぐらいで泣かぬとしても。「ドウシテコンナコトニナッテシマッタノダロウ」


そんなわけで、つれあいは、「おこわ」を作ることになった。たまには、腕をふるわないと、鈍ってしまうだろう。丁度いい。取材をした。以下報告。

もち米はひと晩漬けてざるにあげてある。水に漬けて置く事を「水にカス(浸す)」と言うが方言であるらしい。

混ぜ込む物は、鶏肉、栗、ニンジン、ゴボウ、シイタケ、コンニャク、タケノコ、トウモロコシ、グリンピース。「ちらし寿し」が海の物で作るとすれば、これは山の物で作るみたいである。

油をしいた鍋でまず鳥を炒めて、のち醤油ベースの味を具に染ませる。下味みたいなものか。出来た具と汁は分けておく。もち米に具を混ぜ込んで蒸しにかかった。

蒸しながら、時折、醤油ベースの汁を上からまわしかけた。3回ぐらいか。

蒸しあがれば出来上がり、20分程かかったか。

2010年12月22日水曜日

ポストがない、その後

ポストがない。その後
「それにしても、神経の無い時代になったものだ。移転の知らせは公には何もない。せめて、元の場所に知らせの札でもあればなんだが。
と書いて、数日後、「町内会・おしらせ」が配られた、

これで一件落着である。「ポストがない」と言う人物には、「おしらせを読んどらんの?」でおしまい。
でも、「神経の無い時代」との私の感想はいや増すばかりだ。「こうしたから・こうなったから」お知らせします。「上意下達」とはこの事ではないか。いやそれより、ポストを管理するのは「町内会」ではあるまい。利用者になんの連絡なしに、ポストを移動させた事を、郵便会社に「抗議」しました。という記事なら解るが。
何事もそうなった事は仕方なし、「ナアナア」で行こう。「責任?」それは、誰にもないでしょう。そんな精神が蔓延しているのだ。
「戦争を始めたので、お知らせします」そんな「下達文書」が配られる日も遠くないだろう。その時、あなたはどうしますか。

2010年12月20日月曜日

「よろしいか」の受難、それから

「よろしいか」の受難、それから
本屋の帰りみち、大陸からの来た娘がレジを打つ店に寄った。こちらを見てニヤリとするので憶えていたのだ。「よろしいかと言うヒトはいる?」と聞けば、「いない、通じないと思う」という。はっきりしている。
互いの文化の芯にあるものの違いは、こんなところに現れるのだろう。一方は、曖昧にとまどい、一方は、はっきりに戸惑う。
相互理解などたやすくはないのだ。少なくとも、「我が文化こそ優れるもの」と思っている心根の持ち主には、相互理解は訪れぬだろう。

2010年12月19日日曜日

編集長の悩み

編集長の意外な悩み、
「みどりとみず」の総会(この間(11.20)、署名集めのお手伝いをした、)に誘われたので出席した。家を出て少し時間があったので寄り道。
近くのパソコン先生O氏の事務所に寄ってみれば、先生はパソコンをあやつり、編集に専念しておられた。近頃の活字文化衰退の影響も受けないほどの、小粒のマスコミだけれども、仕事は真面目だ、チラッとこちらを見て、「ようこそおこし、今、コヒーを入れるから」といつもの歓待である。そののち、恒例の年末払いの悩みとは別の意外な先生の悩みを聞くこととなった。コヒーカッップを手渡して先生は言う「みんな、来てくれるのはウレシイのだけど、ここを商談の場所にしたりする」という。事務所に行けばソファーもあり、コヒーも出て、それをいい事に、待ち合わせて、長々と商談をする読者?もいるらしい。「甚だしいのは」と、先生は続ける、「コンニチハ」と入ってきて、トイレだけ済ませて「ホンジャ」と帰る剛の者(読者?)もいる。
「マスコミ業界の悩みは多彩で奥が深いみたいだ」と調子を合わす「寄り道びと」の私も、何だか尻の辺りがモゾモゾする。一区切りついたものか、先生はやおら、画面から顔をあげて、こちらに「あんた」という「自分が普通のニンゲンじゃと思うとりゃせんかな」と言う。「だいたいは普通だと思っている」と答えると、「それが違う・あんたの普通はかなり変わっている」と決め付ける。んーでも編集長、「こちらから見ればそちらもかなり」と言い掛けて、総会に行く時間となった。「ホンジャまた」。
「みどりとみず」総会での感想は、後日に。

2010年12月15日水曜日

ポストがない

ポストがない
オフクロが葉書を手に「ポストがおらんようになった」と帰って来て言う。何を言っている、ポストは動かぬもの、だから道標になる。いやそれよりも、オフクロもついに呆けたか。と葉書を手に行ってみた。ポストのあった場所に。きれいさっぱり挨拶も無しにいなくなっていた。
ここにあった
こうなると、バス停がまだあるかどうか心配になる、その足で行ってみた。

倒れそうだがあった。ガードレールに支えられてやっと立っていた。中身はもう倒れている。

一日に7便、週に二日は4便になる。まるで「離島便」だ。地続きなのに。いや、見離されているという点では離島であろうか。
郵便局(会社?)に電話をかけて、ポストの事を聞いたら「あるはず」という。「配達の者に聞いてみます。」とも言う。でも、不便をかこつ、あなたの連絡先を教えて、とは言わない。サービス業ってこんなものだったかしら。と考えた。何はさて置き、ないものはないんだが。



追記。オフクロは近所の人からポストの在り処を聞いたようで。数刻後、得意の顔の彼女の言うところによれば、10数メートル離れた、火の見櫓の跡に移転しているらしい。
行って見れば、赤いのがふたつならんでいた。
それにしても、神経の無い時代になったものだ。移転の知らせは公には何もない。せめて、元の場所に知らせの札でもあればなんだが。

2010年12月12日日曜日

獣害と自給

獣害と食料の自給
今年は獣害についての記事が目立った。そして、年々その被害が拡がりつつある事も身近の例で明らかだ。私も今年のトウモロコシは全滅であった。こんな事は初めて。
雉にサツマイモを食われたとか、トマトは網を架けないと取れないだとか。10年前とは、食う者(獣)の種類もさることながら、食われる作物の種類も増えているようだ。ヒトと獣とのバランスの臨界点を踏み越えたのであろうか。
わが身を含め、獣対策に頭を抱えてこれからも過ごすのであろう。一方、獣の食料に対する「執念深さ」「貪欲」にも眼を見張るものがある。こんな言い方は変だが「命と引き換えにしてでも食料を手に入れようとする」本能がそこにはある。
一歩ひいて、考えてみれば、ヒトも獣と変わりない生きものなのだ。いくらお利口さんと自分で思っていても、ケモノには変わりない。いったん食料不足に陥れば、獣もかくやという、醜い争いがそこでは繰り広げられると想像できる。
食料の自給は、何はさて置き、実現すべきヒト社会の課題なのではなかったか。

ちらし寿し

ちらし寿し
サワラを手に入れたのは、しばらく前のことだ。塩でしめて、砂糖と酢に漬けた。


病が出入りしたので漬かり過ぎてしまったが、ちらし寿司にしてしまおうと考えた。

具はゴボウ、ニンジン、レンコン、藻貝、アナゴ、エビ、サワラ、シイタケ、薄焼きタマゴを考えた。
ゴボウ、ニンジン、シイタケ、エビはひとつの鍋で煮た。
藻貝は煮たものがあった。アナゴは巻き寿司の残り。レンコンも炊いて酢に漬けたものがある。
酢飯を作り、冷ましている間に薄焼きタマゴを作ろう。

ザクッと混ぜて出来上がり。

『病牀六尺』

病が来た つづき
そんなわけで、『病牀六尺』正岡子規を思い出した。確かここにあるはず、と「阿部昭全集」を仕舞っているダンボール箱をひっくり返して見つけた。うっかり腰を痛めたのは、笑えぬおまけだったが。

『病牀六尺』を掘り出してみると、同じ岩波の文庫で『仰臥漫録』『飯待つ間』が一緒に出てきた。どうして阿部昭のダンボールに入っていたか、それは、後の二冊『仰臥漫録』『飯待つ間』の解説を阿部昭氏が書いているからだ。
正岡子規はテレビドラマ「坂の上の雲」で、今や時の人だが、大日本帝国賛美のヒューマンドラマの脇役に納まりきらぬ人物でもあったようだ。阿部氏の意を尽くした解説があるから、私などが出る幕は無いが、未読の方にさわりだけを。
『仰臥漫録』より。「よく見て、見たままを書け」と言っていた彼は、まさに(スケッチまで添えて)そうしたのである。

2010年12月9日木曜日

12月8日のこと

128日は太平洋戦争開戦記念日だった。マスコミの扱いは小さく、返って「12.8」をテーマにするブログが目立った。1941年のこの日から、1945815日までを歴史のひとくくりとして、このクニはいつまで憶え続けていられるのだろうか。体験者はしだいに少なく。斯く書く私も体験者ではない。
私は、『レイテ戦記』大岡昇平の「エピローグ」をしばしば読み返す、そして少しだけ元気づけられる。以下(部分)。
「レイテ島の戦闘の歴史は、健忘症の日米国民に、他人の土地で儲けようとする時、どういう目に遇うかを示している。それだけでなく、どんな害をその土地に及ぼすものであるかも示している。その害が結局自分の身に撥ね返ってくることを示している。死者の証言は多面的である。レイテ島の土はその声を聞こうとする者には聞こえる声で、語り続けているのである。」中公文庫12版、(下)323ページ。
レイテ島の戦いは194410月のアメリカ軍上陸から始まり5ヶ月間続いたという。19453月東京空襲。4月沖縄上陸。と年表をたどれば、後は原爆投下、ソビエト参戦、敗戦。と、ひといきである。この間、国民は愚かな指導者に熱狂した付けを集中的に支払わされるのである。


とここまで書いたところで、「ラエ」の先生から電話があった。「風邪はどんなで?世話になっとる医者にサトイモを持って行くから、車にのせてくれるかな」。
おっとどっこい、ニューギニアの生き残りは元気だ。戦争の記憶の去就など、いらぬ心配はせずに「我々が忘れなければ、次の世代も忘れるはずはないのだ」と信じよう。

2010年12月8日水曜日

今日もよく歩いた

今日もよく歩いた
あーあ、今日もよく歩いた。家の明かりもすぐそこだ。「オトコ、三界に家なし」だったっけ、「角を曲がれば七人の敵がいる」だったっけ、満足にヒゲの手入もできない我家のジイサンに聞いてみるか。今日も懲りずに飯を作っているのか?「帰ったぞ」と言えば、「おかえり」と迎えてくれる。ジジイはいいところもある。あの役にも立たぬ理屈さえ無ければなんだが。
それにしても、今日の相手。あいつは生意気なやつだった。だいたい権威主義者なんだ。もっとも、こっちがそんな気で相手にしてるから、余計にあいつのそんなところを引き出してしまうのだろうか。いまごろ、むこうも「主義者め!」などとほざいているに決まっている。
ところで、今日の飯はなんだ。一回り見渡して、まず駆けつけに一杯貰おうか。ダシ雑魚を浮かべた牛乳、そのあと、煮魚身はづし。それから、キャットにはマタタビをふりかけておいてくれ、風味が違う。
うちのネコ(オス)を見ていると、こんなことを考えているような気がする。

病が来た

病が来た
ここ数日、我が世界は布団と便所と痛みの中にしかなかった。ここ数日、我が身は発熱したチューブでしかなかった。上から何を入れても下からは水しか出てこない。痛みは電流のように、チューブを規則的に走っていた。最高到達温度は39.2℃を記録した。

いっこうに、厨房に出没せぬを心配してか、つれあいがやって来た。「熱がある。体中痛みが走る。喉も痛い。咳はないけど」と訴える。「そりゃー、胃腸炎じゃな」「風邪じゃねーんか」「胃腸炎でも熱ぐらい出る。なんかヘンなもの拾うて食べたんじゃないの」反論する気力も体力も残ってはいなかった。
看病なのか、つれあいは先ほどから傍らで眠る。イビキをかいて。物理的孤独死だけは免れそうだが、病がコドクであることには変わりない。

さてそれから数日。直ったとは言い難いが、かつては文明の花形(今はキラワレもの)の酒とタバコを口にするまでには回復した。

そんなわけで、『病牀六尺』正岡子規を思い出した。あの本、確かここにあるはず、と阿部昭全集の入っているダンボール箱をひっくり返して見つけた。うっかり腰を痛めたのは、笑えぬおまけだったが。

2010年12月7日火曜日

「よろしいか」の受難

「よろしいか」の受難
本屋に行ったついでに、少し遠くのスーパーで物を買った。いつものように、レジで「よろしいか」と一声かけて支払いをしようとすると、「なんですか?」とレジ嬢の顔の真ん中に「?」が付いている。彼女はどうやら大陸からきた人みたいだ、胸の名標を見れば画数の多い一文字である。「日本語わからない?」とつられて、大陸の抑揚で聞けば、「わかります!」とこれは島国の抑揚で正された。「よろしー?」と聞かれて、「よろしいか、はこんにちは、みたいな挨拶で、たとえば、こうしてお金を払った後は、おせわさまと言う」とやっていると、レジ嬢は、私の後に並んでいる常連客に、「タスケテ」と視線を送っている。
いつもいつも、「頼もー」みたいな関所挨拶をやっていると、忙しないグローバルの波に乗り遅れているみたいだ。しかし、あまり度外れて遅れていると、いつのまにか先頭を走っている事もあるんだぞ、トラックレースみたいに。
負けず嫌いで利発そうな娘のことだ、今度の機会にはむこうから「よろしいか」と言ってくれるに違いないとおじさんは、今から楽しみにしている。

2010年12月2日木曜日

巻き寿司

巻き寿司
この間、おふくろの焼いたアナゴを見て、こうしたいと思っていた。午前5時前、起き出して、冷や飯がそれなりの量にあるのを確認して始めた。
酢飯を作る。三合ぐらいの飯だから、三勺の酢(180×0,3cc)を加え、砂糖と塩を加えた。
アナゴの他、卵焼き、小エビの煮たヤツ、を入れよう、干しシイタケを戻して味を付ける時間はなかった
どうせ、細長く切って中に巻き込むのだから、見てくれは、関係ない、でも
この方が、ようすが良いでしょう。ただ、ひっくりかえしただけ。たまごは、どうとでもなるから、私は好む食材だ。
煮て、味をつけた、エビのからを剥いた。
酢飯を冷ましているあいだに、フレンチトーストを焼いた。これはおまけ
海苔を巻簾の上に乗せて。
こんなように、具を盛り付けた。巻簾ごと向こうにぐるっと巻き込んで、海苔の端は重ねて。コツは、きつく巻かぬこと、海苔に湿りが移れば破裂する。ゆったりと巻けば、海苔が飯の水気を吸いうまくまとまる。海苔のパリッとがお好みなら、間髪を入れず口にすべし。手巻き寿司のうまさの秘訣はこれだろう。

海苔の落ち着いたころ、切ってみた。
こんなものかな、いま少し、中心付近に具があればよかったか。

2010年11月29日月曜日

「ほんにのうや」の郷

ほんにのうや」の里から、野菜を取りに来いという嬉しい命令が届いた。イヌの尻尾が私にあれば、横振り、縦ふり、グルングルン回しである。出かけた。
山に分け入れば、桜の木に種付けしたナメ茸がほれこのとおり、いやー「ゆたか」とはこういうことではなかったか。
義弟は、イノシシを数頭仕留めた。という、「撃ったんか」と問えば、「轢いたんじゃ」という?帰りは酩酊した私に替わり、つれあいがハンドルを持った。いつもは、「技量に合わせてユックリ行け、アクセルは控えめに、ブレーキは早めに」などとキラワレ口なのだが。昨日は「ドーンといけドーンと」などと言っていたのは何故なんだろう。

2010年11月28日日曜日

菅氏の勘違い

管氏の勘違い
APEC議長記者会見。 20101114日 。記者の質問に答えて、「管」氏の発言。
 「若い人が農業をみんな嫌っているのか。私はそうではないと思うのです。つまり,農業がやりたい,あるいは,農業ならやってみてもいいと,そういう思いを持っている若い人はたくさんおられると思うわけです。しかし、残念ながら,日本では農業をやっていなければ農地を買うことができないという農地法が」
「基本的に自作農を守るという立場で作られた農地法が,その後の時代変化の中で,若い人が農業に自由に参画する,あるいは,いろいろな,現在でも農業法人は認められておりますけれども,一般法人が農業に乗り出すといったことにかなり制約になっております。」
抜書きだから、正確を欠くかもしれない。彼のその場限りの思いつきであるかもしれない。違った日の、違った場所での菅氏の発言。1116日、衆院本会議。「若い人で農業をやりたいと思っている人はたくさんいる。自由に障壁なく農業に参加できるように農地法など法体系も見直す必要がある」(山陽新聞1117日より)
同じ記事に菅氏の現状認識がある「わが国の農業は貿易自由化とは関係なく、後継者難にも苦しみ、このままでは立ちゆかなくなる状況に陥っている」


このごろ、ブログの記事が長くなる傾向があって、自分でもウンザリしかけている。短めに済ませたい。以下、二三の疑問を述べて、感想を書く。まづ疑問。
1、            平均年齢、65.8歳を強調しているが、農業は家業で定年は無いのだから、定年のある業種との単純な比較は意味が無かろう。むしろ、家業の農業を何故、子が継ごうとしないのか、その事こそ問題の本質ではないのか、これは、農地法(の障壁)とは何の関係もなかろう。
2、            農業に参入するのに、農地法が障壁になっているという。どんな業種であれ、最低の資格は問われる、教師、弁護士、理容、美容、議員。資格を問われるのは当たり前ではないのか。そのうえ、「若い人で農業をやりたい人」と「企業の参入」を同列に扱うのは乱暴にすぎる。法の体系では個人と企業と法人はそれぞれ別の扱いを受けるのは常識だ。味噌も・・も一緒の議論は稚拙である。
3、            長くなるこれはやめて
感想である。以下
.農業生産物は商品であるが、特殊な商品でもある。我々は、それ無しには一日たりとも、生命を維持できない。米・野菜・肉などなど。これを工業製品と同列に扱うのはどうか。前にも書いたが、これ程、普遍、無償で流通している商品はあるまい。
2.いわゆるリーマンショックの時、どんな論議をしていたか、忘れたのだろうか。大量の労働者が巷に投げ出された時のことだ。「農業で吸収したらどうか」と政府も民間も盛んに言っていた。このように、景気の手軽な調節弁として、「農業」を位置づけてきた。粗末に扱ってきた、食い物にしてきた。これこそ、諸悪の根源ではないのか。
長くなった。


追記。手元に「農業委員会だより 72号」が配られてきた。「農地を売買・賃借したり転用するときは・・・『農地法の許可が必要です!!」との記事がある。罰則(罰金一億円)まで記載され物々しい。さっそく、電話を入れ、職員に聞いてみた、「罰則を適用された例はあるの?」と聞けば、「私はこの部署に20年いるが、記憶にない」とのこと。私の頭をよぎった事はふたつのことだった。1、みんなこの法を守るので適用例がない。2、適用する気がなく放置して、官民みんな適当にやっている。身近を観察すれば実態は後者であろう。
「そういえば」と私。「このまえ、農地法違反で、逮捕され市議会議員を辞めたケースがあったけど、あれはどうなん」と聞けば、「あれは贈収賄で起訴されたんです」とのこと、へー。
菅氏は「農地法」について、あれこれ言うが、まず厳密な適用を指示して見たらいかがかと思う(これこそが彼にしか出来ない仕事)。悪法も法なのである。現状のままで農地法をいじれば、「法に違反してないのだから」という理由で農地は企業に食い荒らされてしまうだろう。

2010年11月25日木曜日

おふくろの横書き つづき

10.10.30。メモについて書いた。その続報。
縦書きに戻った。
縦書き横書きの不思議を改めて感じている。