2011年8月31日水曜日

トラクタお前もか

トラクターお前もか
ツイッターはその時々の感想を述べるにはちょうどいい道具だ。多面的なブログ表現の一面が感想の集積なのであれば、140字を繋げてブログにしてみよう。つなげることで時々の思いのブレ、思考のクセ、がよりリアルに表現できるだろう。少し手を入れながら時系列で。
「トラクタのエンジンがかからない。草刈機ならば混合ガソリンエンジン25㏄だが、これは軽油ヂーゼルエンジン800㏄。おまけに車と同じでスターターモーターを回してかけるしかない。バッテリあがりか?と予備のバッテリに替えてもみた。しかし、スタータがウントもスントもいわないのだ。イジリたおすかと家に取って返し。冷蔵庫の氷をグラスに入れ琥珀の液体を注ぎ」
気を静めたわけだ。そして、反省してみる。
「トラクタを動かそうとしたのは、他でもない。草まみれの畑を草刈機で刈り倒した後を耕そうとしたからだ。トラクタの不動を確認した後に、どうして私は四爪鍬(ヨツメグワ)で耕そうとしなかったか。と反省している。目的は耕すことにあるのであるから。使えぬ道具は捨ててそうすることが論理の導く所だった。」
「目的をはづれて、メカニズムに惹かれ、メカニズムに淫する性癖。倒錯的なそれ(不調であればあるほどアドレナリンが出てくる体質)は。『あんたは、変わっている』と言われる原因だとつくづく思う所である。さて、日も暮れてきた、あしたは、どこから弄ろうかしら。」
反省していない。次の日の朝、
「さて、トラクタのどこを見るか。1.スイッチ=クラッチを踏むことに連動するそれ。2.ヒューズ=メインのそれではなく電気回路の途中にしかけてあるそれ。3.スタータ。生きているか死んでいるか。バッテリはひと晩かけて充電した。さあ始めるか。」

ところが、つぎのツイッターはこんな具合。
「『さあ始めるか』と書いて5時間経っている。寝惚け眼(まなこ)で自分の書き込みを見ている私は、何者なのか?外を見れば陽も高く暑そうだ。その気はあったみたい。しかし、お昼寝タイムと重なって。このざま。やる意思や良し。とするか。」
またしても、反省。そして居直り。
「トラクタが直った。あれこれイジッタ末、最初に疑った、こと(バッテリがあがっている?)に立ち戻った。昨夜充電したバッテリは2007年に購入した物だった。いくら一晩かけても充電しないことに気付く。新品を購入。一発で動いた。今は、私のケチを確認することが出来てとても満足している。」
またしても、反省と居直り。

「トラクタの試運転をした。カバーを付けるのはまだ。畑にいるとU氏に『どしたん?蓋がねえが』と言われた。明日から水を落とす。」
畑でU氏と相談し池水を抜くことに決めたわけだ。

「トラクタの爪の回転を落として、何度も耕す。土は湿っていて、命をはぐくむ場所は湿っているものだと。そう思う。」

2011年8月28日日曜日

夢見る資格 番外

夢見る資格 番外
私の子供たちは親元から出て「独立」している、つもりらしい。しかし、看板とは違い、事あるごとに、親に言い寄ってくる。「野菜を送れ・米を・車を・ちょっとこのオンナ(オトコ)を見てみて・云々」それはそれでいい、つれあいとの縁は切ることが出来る(だからこそとりわけの気遣いを互いに?忘れてはいないつもりなのである)が、親子・兄弟の縁は命ある限り切り様がないのだから。甘えられるうちに甘えておきなさいと思っている。(それも親の楽しみのひとつ?)
かくのごとくの思いを辿っていると、「首都・東京は東北の子供」みたいなものだ。という閃きが襲ってきた。
話を簡単にするために、いま現にあるだろう、我が親子の如くの関係を脇に退けて考えてみよう。
東京は誰が作ってきたか。出稼ぎで首都の路や家を作ったのは誰か、子の未来のために田畑を売ってまで東京に学資を送ってきたのは誰か。首都(東京)が生きるために出したゴミ(産業廃棄物)を受け入れてきたのは誰か。首都の豊かな消費のため危ない原子力発電を受け入れてきたのは誰か。いや、首都の色町に娘たちを供給してきたのは何処か。首都の飯場に労働者を送り込こんできた地方はどこか。病んで使い物にならなくなれば、故郷に送り返してシラを切っているのは何処の誰か。
こうしてみれば~。と私は考えた。甘えられるうちは甘えればいい、なにしろ「親と子」なのであるのだから。
しかし、犬(学者犬も、政治家犬も、経済界犬も)は吠えても歴史は展開する。東京(首都)はもうしばらく後に「親を失った事の本当の意味」を味わう(知る)ことになるだろう。

2011年8月27日土曜日

ここだけの一句

ここだけの一句
負けず嫌いの叔母のところにパソコンを持ち込んだのは夏の初めだった。社会活動から身を引き、暇になったらインターネットをやってみたい、友達もしているし。と、以前から言っていたので、手持ちの使ってないパソコンを持参したわけだ。
彼女は、国語の教師をしていたので、幸いなことにワープロは使えた。入力は問題なくクリア。
「メール」は少し手こずって、相手に届くころあいをみて、電話で「いま送った、中身はこれこれ」レベルだけれど。
「図も写真も送れるで」というと「ファックスがあるからいい」という自主独立の気概も持ちあわせている。
私の尻にかつて存在した蒙古班を知っている相手ではある。けれど、ここは教える立場。
「ワードで、たとえば『々』の字を入れるとき、どうする?」
「?」
「そんな時には手書き入力パッドというものがあって、ほら、こう書いて、こうして」
「ふーん、便利じゃな」
よせばいいのに調子にのった私が「こんな字『宥』(ゆるす)はすぐに出てこない。だから」と手書きパッドを相手に「こうして、こうして」とやっていると
「あんた書き順が違うで」相手は百戦錬磨の国語の先生だった。ん~。
悔し紛れの一句
「パソコンを教えに行って書き順を直される」季語はいるのだろうか。いるとすればつづけて「夏のカミナリ」とするか。
「パソコンを教えて書き順を指摘され夏の遠雷」
「パソコンの画面で還暦が喜寿に書き順ただされる」

2011年8月20日土曜日

左手の包丁、右手の薬ゆび

左手の包丁、右手の薬指
朝飯支度のときの事だ、いつものように一杯やりながら、包丁を使っていると、包丁の切っ先で右手の薬ゆびの先を刺した。オオこれは大変。と指の腹を押して傷をみた。しかし思うような傷はないみたいである。血が出てこない。
私も鈍になっている。切っ先を誤って傷もつけられぬ刃物を使うとは。さっそく、丁寧に、包丁の刃を研いだ。誤れば薬ゆびを傷つけられるように。
そういえば、鎌の刃もずいぶん研いでいない。

私は、左利きだから包丁は両刃を使う。片刃では垂直に切り落とせないのだ。

2011年8月19日金曜日

秋の虫

秋の虫
晩飯の仕度を一段落すませた。あとは、顔を見てから中華なべでも振って、と一服していると、庭のほうから水の細く漏れるような音がきこえている。水道の水が漏れていると思った。しかし、そこには水道栓はない。
耳をすませば、秋の虫が「シャーー」と鳴いているのだった。
まことに、無風流の極みと言わざるをえない。

2011年8月18日木曜日

現在犬五、猫四

現在犬五、ネコ四
これが、今の員数である。遡って数えたことはない。命を相手にすることは、「誕生」も、そして「死」も相手にすることである。このあいだから、いっぴきのネコが弱っている。ものを食べられなくなってもう十日になるか、深夜、起き出した私の気配を察したものか、背骨の浮き出た体を揺らして、台所に現われた。彼のために、水を汲んでみたが飲む力もない。
朝方、オフクロが呼ぶので行ってみると、彼はおふくろの膝の上で横たわっている。「もう、頭をあげることができないようだ」とおふくろは言う。「そっとしておいてやれ」と私は言う。
ヒトの死にも動物の死にも散々立ち会ってきた。しかし、慣れることはできない。それでいい。
こうして、ブログにそう書き込む、私の業(ごう)も十分に糾弾されてしかるべきであろう。
背中を撫でていると、その手を思わず引くほどに、数回烈しく大きな息をした後、息絶えた。「もう、楽になれ、もういい、楽になれ」と撫でていた私は、失禁の始末をして後、洗面台の鏡に泣きはらした自分の目を見ることになる。彼の名は「チョコ」と言った。兄弟の「ミント」はずいぶん前に行方知れずになっている。

今度こそ「水引」のこと



水引の旗。この旗には書いていないが池の名前の下に「水落相談」と書き込むのが正式な旗である。作り直すときにはそう書こう。
説明は以下に
今度こそ水引のこと
「水引」をしている。と構えて「水引の事」を書いていない事に気づいた。脱線しないように『レポート』風に。書けるかしら。
 今年は、七月二十日から雨が降らずにきている。河原の水も無くなった。八月九日に一回目を抜き、今日で二回目の池水抜きになる。
午前五時、池の堤から対岸の街灯の粒々を望遠モードで
池水を抜けば
沢に勢いよくザーと音を立てて落ちてゆく
沢に落ちた水を水路に引いて
田まで一気に落とす

さて、水引に関する「しきたり」について書いておこう。この「しきたり」は文字に書かれているわけではない。無文字のルール。不文律。なのである。説明は以下に。
まず、田の水が欲しいとなると、「そろそろ水を落さんか」と誰でもいい、言い出すわけだ。すると水引は旗を立てる。(以下は、その旗を関係の者がすべて見るという前提にたっている)
そして、一日おいた次の日、池水を抜くのである。一日置くのはなぜか、田によって、今回は水の要らないところはイデをしめる。あるいは、水引にその旨伝える。欲しいところは十分に入るようにイデをあける。つまり、準備の期間が一日あるわけだ。
次の日から、旗の出ている期間は各戸のイデは田の耕作者であってもいじれない。イデは「水引」だけが動かす事が出来るのである。「水引」は皆の田にだいたい水が行き渡ったと判断すれば、旗を仕舞う。この時は、まだ水路には水が流れている状態である。旗が無くなれば、それぞれは、欲しいだけ、イデを開けて水を入れたり、また止めたりできる。(これを「水のかけひきをする」と言う)
そして、日照りが続くかぎり、この一連のしきたりを繰り返すわけだ。
旧弊な田舎のしきたりといえども、旗一本でコントロールをする、なかなかよく出来たシステムとは思いませんか。
今日夕、旗をしまおうと野良に行くと。O氏に会った。畦を歩いてきて、顎の辺りを掻きながら「流すだけ、流して。なんにもせんから」と独り言のように私に言う。「だれがなんにもせんのなら、そいつはだれで」とわたしは声を荒げて聞き返す。無文字のルールにはこのくらいの諍い?も薬味なのである。O氏は立ち去り。私は、旗を仕舞いに行く。
わたしが、稲を付けていないのに「水引」をしている理由のひとつは、一番最初に水不足になる田の持ち主に「水引」を任せると、いらぬ軋轢が起こるだろうからである。誰もいなければそうも言っていられないのだが今年は私がやっている。どんなちっぽけな公でも、「我田引水」は宥されないのである。


注、ブロガーという投稿の仕掛けがうまく動かない。写真の場所のコントロールが出来ない。この投稿は「以前のエディター」なるものを使ってやっとこさの結果だ。ブロガーの調子が直れば書き直すつもり。

2011年8月15日月曜日

県北の墓

墓と系図
昨日のことだったか、「盆」の話題を書いたら、県北の墓のことを想い出した。それを書いてみよう。
歳三十過ぎの事だから、かなり前の事になるが、(岡山)県北に一年ほど足繁く通った事があった。そこで見た、県北の墓(石塔)は、夫婦仲良く入っている場合がほとんどで、(それなしには墓など残らないという事情もあろう)。
形式はどこでも見かけるものだった、正面に並んで戒名がある、両側面に俗名欄。しかし、この一群の墓にはちょっとした工夫があった。それは、妻の俗名の続きに嫁いできた先、つまり、彼女の故郷の親のことも刻んであったことだった。たとえば「・・郡・・村、字・・。・・(父親の名)の次女。享年・・」のように(記憶で書いている)。
私の地域では、祖父の代から「家族墓」に移行しつつあり。こんな墓の形式が珍しいこともあって記憶にのこった。
思えば、これは石に刻まれた家系図である。この一群の墓を辿れば、家系図を起こせるのではないか、それも、父方も母方もどちらも等しく。と考えた。
この壮大な目論見を発明した県北の構想は「万事において、チャラチャラした県南とは違う」と感服した。戦後数十年かけて、我々が抹殺してきたものの厚みは、「チャラチャラ」が想像するよりも遥かに厚い。と思い知らなければならぬのではなかろうか。

さて、これで、墓の事は書いた。ついでに系図つながりで書いてみよう。本の系譜のことである。
ある本を読んでいたら、その記述に本のことが書いてある。食欲(読書欲か)をそそられるように。それで、そのそそられた本を読めばまた、違う本をそそられる。こうして読書系図(系譜か)は作られ、捨てるに捨てられず、の本が足もとに溜まるのである。しかし、ヒトは無限のこの悪癖を何時かは絶たなければならない。物理的な制約(置いておく場所がない)、時間的制約(人生はいつも思うより短い)は待ったなしであるから。この無限の系譜システムに感謝しつつ、扱いに悩むのである。
右の本「阿部昭」を読んで、そそられて左の本を手に入れた。
大久保訳「博物誌」。
むろん古本である。いや、どちらも古本でしか手に入らない。

余計な付記。
ネコについての、我等の時代の名著のひとつをあげておこう。 『ネコに未来はない』長田宏。片手間に、ではなく、ネコについて書き下ろしたものだ。この若書きを長田氏は生涯、超える事は出来ないだろう。そのみずみずしさに於いては。これなど参考に。

2011年8月13日土曜日

主夫と生活

主夫と生活
主夫()であれば、炊事、洗濯、育児はこなさなければ、失格の烙印を押されるだろう。
ところが、家電がおおかたの事をやってくれる時代がきて、もう半世紀になる。親元を出て私は、自炊してきたから家事は苦にならない。おまけに「そこをどけ、わしがやる」と言わなくても、相手は見事にそこ(台所)には居ないのである。つれあいは最初に作った味噌汁をダシぬきで作り、実力の程を見せつけ、あっさり厨房を撤退した。洗濯機も回してきた、オムツ洗いから、フリル?のついたようなパンツまで散々洗った。ブラジャーに到っては、この大きさはアイツのだ、と解るまでに精進した。下着泥棒のニュースを聞く度に「どうコロンでも、この趣味にハマル事は無かろう」と少々さびしい。
と、ここまで書いて、しばらく放っておいた。
今朝、新聞に「長男の嫁にお盆は地獄です」(毎日2011.8.13の川柳欄)。これを見た。
それで、つづきを書いてみる気になった。最後まで冷静でいられるかしら。
ただでさえ、暑いのに盆ともなれば、墓掃除、墓参り、帰省の迎え、家の掃除、庭の掃除、寝間のしたく、破れた網戸の張替え、と長男の嫁は忙しい。ところが、概して帰省した者は、お客様然と座り込んだら、ご馳走が出るまでペチャクチャ話を拡げるだけなのである。「長男の嫁」にしてみれば、こんな川柳のひとつもひねりたくなるというものだ。(ちなみに作者は男性のようである、当事者はそんな気分の余裕もない?)
我が家でも、八十半ばを過ぎたオフクロが、主婦事を始めた。私と言い争う度に、「ここは私の家だから、私の思うようにさせてもらう」と言い立てるのであるから、任せておけばいいのだが、毎年、盆開けには疲れから体調を崩すのが習いだ。
帰省する姉に『今すぐ、オフクロに連絡して、「私たちが帰るからといって何もしてはいけない」と言いなさい。彼女の体力はそのくらいのものです。以前から、夏明けの彼女の消耗ぶりについては指摘してきましたが、あなたが、何を聞いていたのか疑います。』とメールした。
返事はこうだ。『母には一昨日もうかなりしつこくなにもしないようにと伝えましたし、毎年夏の体調には私も気を配ってきましたので、「何を聞いているのか疑う」と言われても心外です』
私も負けてはいない『私の言うようにすればいいのです。今朝も「あれを片付けたらいいのに」と、言っていたから。このメールをしたわけです。あなたは自身の対応に自信を持っているかもしれないけれども、それを疑いなさい。「何を聞いているのか疑う」の意味はそういうことです。』
こうして、兄弟間のいらぬ軋轢もお盆に生まれるのである。
さて、主夫の私は、何もしないでこうしてブログにうつつをぬかす事にしている。道具(家電)は揃っている。必要と思えばできぬ事はない。あとは帰省した者の「ヤル気」だけなのである。

2011年8月11日木曜日

今年も池水を つづき

今年も池水を つづき
水引もきょうで三日目、5時前に野良に出た。すると、東の空が燃えだした。オウ、今日のはスゴイ。あいにくカメラを持っていない、慌てて小走りで家に取って返し、家の中でもドタドタ急いで、カメラを手に闇のまだらに残る路地を東に走った。(稲も作らずこんなことにかまけている)




 足元のO氏の稲はこんな具合、今年も米は取れそうだ
 西の空も染まっていた
程なく輝きは失せる
今日も暑くなりそうだ
どうして私はガラにもなく急いだのか。私にはその燃え上がる空は、ほんのひと時の輝きにすぎないと解っていたから。
その輝きをあるものの象徴として絵に残したい。私のその時の、その衝動を分析してみれば、そいうことになるだろう。
絵に託して、なにを象徴したかったのか。それは、地表のあらゆる命の輝きもまた同じではないか。という私の一瞬の感慨に尽きるだろう。
それは、私の価値にすぎない?ブログ載せて私はそのことを問うているのである。

2011年8月10日水曜日

今年も池水を

今年も池水を落としに溜池まで上がった。雨が多かったせいで、今年初めての水引である。
 午前5時前の東の空
池は満杯
見上げれば、50万ボルト送電塔はあいかわらず「チカチカ」いっている。高圧の電気のせいだろう。
対岸の街にはまだ街灯が点いているのが見える。かすかなその粒を捉えるために、フラッシユを止めて撮ってみた。
振りむいて、フラッシュなしでの池を撮るとこうなる。
山を下りるころになると空がずいぶん明るくなった

午前(ひるまえ)に、水路を見に行くと、(私は今年稲を付けなかったので)久しぶりに会った百姓O氏は「生きとったんか?」とヘラズノ口を利いてきた。相手は十ほども年長だけれども、「オウ、みんなに嫌われながら生きとるで」と、ため口で答えておいた。誰でも自分の田に水は欲しいけれども、てんで勝手に水を取っていては皆に行き渡らない。水引は「嫌われてなんぼ」の役目なのだ。それはそれとして、いたわられたり、褒められたりするよりも、嫌われている方が、元気が出るのは私だけではあるまい。一番いけないのは、無視されることだ。もっとも、むこうを向いている相手の前に回りこんでものを言うくらいの才覚はあるつもりだが。
さて、話は変わって。ツイッターにこう書いた。
「パソコンをいじったら、あと50回でこのソフトは使えません。と、言ってきた。エー。慌ててあれこれいじったら。あと45回で。と言ってくる。今は、ジーとしているほかないけど。これって、使ってないのと同じではなかろうか。さてどうしたものか。」
イソップのキリギリスのごとく、稲も付けず。パソコンをいじっていたら、こんなことになった。パソコン先生に相談すると、「アクティベーションですね。頑丈なカギがかかっています。ソフトは、原則は一台につき1回のインストールです。ビルゲイツに頭を下げるしかありません。」との事。あっさりしたものだ、ヒトゴトだもの。半日ほど、あれこれいじったあげく、ゲイツ氏とは和解する事が出来た。もちろん、先生の教授に従って「頭」も下げたわけだ。

2011年8月8日月曜日

ツイッターで草刈機 つづき

ツイッターで草刈機 つづき
ツイッターより
「草刈機が直った。ゴム部品を替え、スロージェットスクリューを半回転ほど戻したら、止まらずに動き出した。原因は土蜂の巣にあったわけで、それを最初に取り除いていればよかった。キャブレターをいじり、スロージェツトを締め込んだのは私のミス。ゴム部品は替えなくても?今更古いのに付け替える元気」 
ここで文字数尽きる。付け加えて。

「はない。」



部品がきた。キャブレターを組みなおした。結果はツイッターに書いたとおり。見当をつけていたように私のミスで不調を招いていた。大概のキャブレターには、メイン系(全開状態)とスロー系(少し開いた状態)を設定することができるようになっている。この実にちっこいキャブレターにもそれがあるのを見落としていた。私のミスはスロー系を閉じてしまったところにある。そのネジをほんの少し戻してやることでエンジンはアイドリングから全開までスムースに回転し始めた。ゴム部品を替える必要はなかったと思われる。これを確かめるために、もう一度バラシテ古いゴム部品を試す気力は今の私にはない。五回以上バラシテはクミを繰り返したのだもの。
教訓その壱。ミスは過程よりも発端(取っ付き)に多くある。
教訓その弐。ミスを修正する過程においてもミスは発生する。
教訓その参。ミスをすなおに認めることでしか、正解にはたどり着けない。土蜂のせいにしたり、地震のせいにしたり、しないほうがいい。

2011年8月7日日曜日

時には咎めを

時にはとがめ(咎め)
ずいぶん前のことになる。どの親も経験するように子が家を出て行くことがあった。親父は説教を垂れたものだ。「喰うに困ったらヒトのものを盗んでも喰わなければならぬ」(盗んでも食へ)と。つづけて、こうも言っておいた「当面の、喰う物があるなら、ヒトのものを盗んではならない」(食えるのに盗むな)。
はかばかしいあてもなく、世間をさ迷うと決めた子にそのくらいが言ってやれる精一杯のことだったろう。これからの暮らしの行く末に胸いっぱい、気もそぞろの子供の耳に届いたかどうか心許ない。幸いまだ、警察からは何も言ってこない。それにもう時効に属することでもある。
私は、ヒトが食うために何をしようと大目に見ることにしている。ヒトの道なんてそんなものだろう。

もっとも、このごろの金儲け(ビジネスチャンス)は「おど()す事・だます事・盗むこと」を手段とすることが多いようで。それはそれとして、また別の話題に属す事柄だろう。

さて、大目に見るにしても、粗悪品については咎めを入れておかなければならない。それが、大新聞の人気?コラムである場合、粗悪の害は計り知れない。
[毎日新聞・水説・2011.7.27長寿遺伝子とTPP」潮田道夫]のことである。
記事を要約すれば、「生物」は飢餓に晒されると長寿遺伝子が目覚め老化物質の掃除を始める、結果として寿命が延びるという学説がある。「社会」も同様にTPPで社会的長寿遺伝子を目覚めさせようではないか(そうしたら、賞味期限の過ぎたこのクニの経済はよみがえるだろう)。というものだ。
「学問的根拠はまったくない」「社会的長寿遺伝子など空想的造語に過ぎない」と適当に逃げを打ちつつ「あるとすれば」の論理を展開して見せるのであるから。自ら粗悪品と知りつつの押し売りみたいなものでいっそうの事たちが悪い。

生物学の成果を都合のいいように社会解釈に当てはめ、資本主義制度の擁護を試みる風潮は今に始まった事ではないが、すでに批判され論破されている事柄なのだ。潮田氏ほどの人物がそれを知らぬはずはなかろう(逃げをこしらえている所がア(イ?)ヤシイ)。この際、知らぬ顔の汎米(半平衛)を決め込むほどの人物と言い直しておこうか。

2011年8月5日金曜日

むかし読んだ本を

むかし読んだ本を探した。
開高健氏の書いた本。戦争直後の大阪の話。エネルギー溢れる「アパッチ族」が出てくる小説をもう一度読みたいと探した。ところがそういう書名の本がない、諦めたのは半年も前のことだった。
先だって、小松左京氏が亡くなって、その追悼記事を読んでいたら「日本アパッチ族」という本は小松氏の著作にあるという。「ずいぶんな思い違いをしていたものだ」とキツネにつままれていたら、開高氏のおなじテーマの小説は「日本三文オペラ」であるとその記事の続きの部分で知る事になる。それならばどこかにあるはず。
汗まみれに家なかをひっくり返して、埃まみれに探すのも億劫だ、本屋に行って「オトナ買い」した。514円。手に入れてみれば、活字が大きくなっている。年寄りにはやさしい気配りだ。それだけでも500円の価値はある。

探していれば見つかるものだ。見つからなければ探していることを忘れればいい。

『なくしもの
ごくつまらぬ物をひとつなくした
無いとどうしても困るという物ではない
なつかしい思い出があるわけでもない
代わりの新しいやつは角の店で売っている
けれどそれが出てこないそれだけのことで
引き出しという引き出しは永劫の迷路と化し
私はすでに三時間もそこをさまよっている

途方に暮れて庭に降り立ち夕空を見上げると
軒端に一番星が輝きはじめた
自分は何のために生きているのかと
実に脈絡のない疑問が頭に浮かんだ
何十年ぶりかのことであるけれど
もとよりはかばかしい答えのあるはずがない
せめて品よく探そうと衣服の乱れをあらため
勇を鼓してふたたび室内へとって返すと
見慣れた什器が薄闇に絶え入るかと思われた』

谷川俊太郎詩集『そのほかに』1979年 集英社 P10より


二十歳過ぎの私は、この詩によって、「軒端・のきば」「什器・じゅうき」などの言葉はこのように使うのだと教えられたように思う。これまでに使いこなせたかどうかは別として、こんな憶え方は忘れないものだ。

2011年8月4日木曜日

地震のひと揺れが

地震のひと揺れが
地震のひと揺れが隠されていた問題を白日のもとに露呈させた。世の流れには節目節目があるようで、原子力発電の秘匿されていた問題も露呈しつつある。どんなに糊塗しようとも、洗い出された問題が二度とふたたび秘匿の館に戻る事がないように祈っている。
これが、かいつまんだ、大きな流れだろう。
しかし、私は、原発の問題は、我々の血肉に食い込んでいる習い性をも露呈させたと考えている、これはある意味原発より深刻かもしれない。
ヤラセ説明会、ヤラセメールに関しての事だ。しかけた電力会社、しかけた保安院、しかけたクニ。仕掛けられた住民、仕掛けられた反対派。の中間に「原発ゴモットモ」発言を要請されて、実行した市民が多数存在すること。
このことの問題は深刻だ。われわれは電力会社の経営者にはなれない、クニの中枢に座ることもまずない。われわれの選択可能性は要請されて「ゴモットモ」発言をするか、嫌なものはイヤダと反対をするかどちらかだ。そうして、私たちの身近に(家族かもしれない、兄弟かもしれない、叔父かもしれない、甥かもしれない)いるそれら「ゴモットモ」の人々。
あなたは、彼らを糾弾(否定でもいい)できますか。私は心もとない。しかし、それをしなければ、第二、第三の原発に類する問題はこれからも起こるだろう。このことは確実なのだ。

2011年8月3日水曜日

ツイッターで草刈機 

草刈機お前もか。
ツイッターを始めている。こんなツイットをした。「いまどうしてる」と聞いているからそうしたまでだが、これがこんなことになった。以下。ツイッタより抜粋。
「夕刻、耳をすませば、ツクツクボウシの鳴くを聞く。ウグイスの声もする。はて、春に聞くウグイスがこの季節にも鳴くものかわからない。ツクツクボウシの声は、宮崎アニメの飛行船の飛ぶ背景音に似ていると、聞こえたが空耳かしら。さて、重い腰をあげて、久しぶりに草刈機を振ってくるか。
   ‥  ‥   ‥    
草刈機を振ってと書いて、草刈機を肩に担いで畑に行った。そう書いたのだから、そうしたまでだが。エンジンがかからない。ガソリンを入れ替えたり、キャブレターをばらして、また組んだり。怒鳴ってみたり。独り言を呟いたり。したが。エンジンはかからない。指の皮は擦り剥け。
    ‥  ‥   ‥
そこまでするのは、機械いじりが好きなせいだ。それより他、どんな理由がある?
   ‥   ‥   ‥
さぁーて、ひと晩、油(灯油)に漬けていた、キャブレターを分解するか。
   ‥   ‥   ‥
草刈機の不調は、マフラー(出口の穴・鉛筆程の径)に土蜂が巣?を作っていたせいだった。マフラーを掃除して。お終い。  とは行かなかったのは、私がキャブレターをイジリたおしたせいで、別の不調(エンジンはかかるが安定して廻らない)を招いてしまったからだ。どうするか。新品のキャブレターは6.5千円だって。んー。」
  ‥   ‥    ‥
このたびの失敗はツイッターをしたせいではない。私なりの「教訓」を書いておこう。
教訓其の一。原因は単純な所に潜む。
教訓其の二。生半可の知識はトラブルの源。
教訓其の三。教訓を得る為には、愚かにもやってみる以外にはない。

2011年8月1日月曜日

小言の日々

小言の日々
「オウ。しっぽミジカ()帰ってきたんか。
それを食べなさい。贅沢は敵。
ニイ。ええかげんに外で遊んだらドンナン。
チビタ。ツネはどうしたんなら?
ハル今日はここまで、いつまでもネダッたらチビタみたいにブタなるぞ。
んー?。シッポナガ、シッポナガ。そこ涼しいんか。
モコタ。ええかげんに毛替をしたらどんなん?秋風がぴゅーと吹くまでそれでガマンするつもりか。
ニイ、ばあさんが心配しとったぞ、カエッタヨと言ってこい。」
これは、身近のコトバをしやべらぬ犬猫に私が言ったコトバを文字にしたものである。
どうやら喋らぬを相手に(ということは反論してこないということでもある)するとヒトはお喋りになるようである。
お気づきのように、反論してくるを常とする、つれあいにはこの十分の一も話しかけない。