台風冠水顚末 4
K氏は戸数、二百程の我が村の「散髪屋さん」だった。生きておられたなら歳九十になられる。ちょうど私のこれも亡きオヤジと同い年だ。さて、散発でもするか。と思い立った村人はたいてい「波戸」の先で竿を持っている彼を探す事から始める事になる。
波戸の先から北を臨む、小豆島行きの定期便(フェリー)が見える、船の向こう側、対岸は西大寺。
すぐに見つかる、おおかたそこにいるのだから。「頼めるかな」「今じゃねえとおえんか」「・・?」「釣れだしたところじゃ、あんたも竿を持ってこられえ、エサはあるで」こうして二人で竿を上げ下げする事になる。私もまた、釣りの道に引きずり込まれた一人だった。今は止めたが、道具を買い込んでチヌ釣りに遠征していた時期もある。K氏を放っておいて?仕方ない彼には散髪屋の「業務」があったのだもの。
こんなことを思い出したのも「業務」とは何だろうと考えたからだ。
先だっての台風十二号襲来時、我が岡山の市長、高谷氏は「避難指示」を出したその足で、自宅近くのジムで日課の健康管理にいそしんでいたという。彼にとっては、「避難指示」など日課の健康管理業務?の消化には何の影響もたらさなかった。さすがに気が咎めたのか「その後の業務に備えてリフレッシュしておきたかった」みたいなコメントを言ったとか言わなかったとか。市長、「その時はもう始まっていたのではありませんか」。
市長も市長なら、市も市だ「(市長は)連絡が取れるところにいた、危機管理上問題はなかった」だって。プチ官僚のいいそうな台詞だ。彼らのいう「危機管理」体制とはこんな図式か。いくら歩いても前に進まぬ機械の上にいくぶん息を弾ませながら市長はいる。手に持った携帯電話に「おう、そんなら避難指示を出しとけ」と言っている。