2011年9月27日火曜日

台風冠水顚末 4

台風冠水顚末 4
K氏は戸数、二百程の我が村の「散髪屋さん」だった。生きておられたなら歳九十になられる。ちょうど私のこれも亡きオヤジと同い年だ。さて、散発でもするか。と思い立った村人はたいてい「波戸」の先で竿を持っている彼を探す事から始める事になる。
波戸の先から北を臨む、小豆島行きの定期便(フェリー)が見える、船の向こう側、対岸は西大寺。

すぐに見つかる、おおかたそこにいるのだから。「頼めるかな」「今じゃねえとおえんか」「・・?」「釣れだしたところじゃ、あんたも竿を持ってこられえ、エサはあるで」こうして二人で竿を上げ下げする事になる。私もまた、釣りの道に引きずり込まれた一人だった。今は止めたが、道具を買い込んでチヌ釣りに遠征していた時期もある。K氏を放っておいて?仕方ない彼には散髪屋の「業務」があったのだもの。

こんなことを思い出したのも「業務」とは何だろうと考えたからだ。
先だっての台風十二号襲来時、我が岡山の市長、高谷氏は「避難指示」を出したその足で、自宅近くのジムで日課の健康管理にいそしんでいたという。彼にとっては、「避難指示」など日課の健康管理業務?の消化には何の影響もたらさなかった。さすがに気が咎めたのか「その後の業務に備えてリフレッシュしておきたかった」みたいなコメントを言ったとか言わなかったとか。市長、「その時はもう始まっていたのではありませんか」。
市長も市長なら、市も市だ「(市長は)連絡が取れるところにいた、危機管理上問題はなかった」だって。プチ官僚のいいそうな台詞だ。彼らのいう「危機管理」体制とはこんな図式か。いくら歩いても前に進まぬ機械の上にいくぶん息を弾ませながら市長はいる。手に持った携帯電話に「おう、そんなら避難指示を出しとけ」と言っている。

2011年9月20日火曜日

2011.9.19の日記

2011.9.19の日記
風呂から上がったところだ。風呂の前にテレビニュースをチェックしていた。明治公園の反原発集会。これまでマスコミは意識的にこれらの集会を無視してきた。どうやら今回は報道したみたいだ。数万規模のヒトの群れは「反原発」は既に「ファッション」になった事を意味しているだろう。数万の露頭の下に隠れている数百万のヒトビトの意向(トレンド)。良くも悪くも規模の変化は質の変化をもたらすことになる。それは、既に記したように「好いも悪いもなく」なのだ。
雑誌「ホトトギス」に載せた、子規のヒトを食ったような随筆「句合の月」。「遠野物語」柳田国男の序文のおふざけ。それは何処から来るのか。と考えているが。ひとつは数だろう。雑誌「ほととぎす」300。「遠野物語」350(このうち200は柳田が買い取った)。これが発行部数。これは読者の顔が見える数だろう。テレやおふざけもしてみたくなる。もうひとつは~。これから考えてブログに書いてみよう。

向田邦子「眠る盃」を読んだ。読みつつ心地よいのは何故かと考えた。そしてそれは、彼女がオトコを立てているからだと気付いた。オトコに対する目線が優しい。「偏食・好色・内弁慶・小心・テレ屋・甘ったれ・新しもの好き・体裁屋・嘘つき・凝り性・怠け者・女房自慢・癇癪持ち・自信過剰・健忘症・医者嫌い・風呂嫌い・尊大・気まぐれ・オッチョコチョイ」そんなオトコに「惚れているの」と書かれれば気分はいい。誰でもどれかに当てはまるだろう。もっとも、これはオス猫の事「マハシャイ・マミオ殿」の一節だけれども。一方、オンナに対する評価は辛い。彼女の名作「かわうそ」(思い出トランプ所収)など読めば一目瞭然だろう。ここでわが意を得たりとやに下がっているとオトコは間違える。彼女は「好かぬオトコは」無視して書かないだけなのだから。彼女の気持ちを忖度すれば、女の愚かさは「かわうそ」で掬えるけれども、男の「愚か」は救いようが無い。

一昨日のことだ。病院の救急外来でのこと。
診察室から出てきた彼女は「納得できかねる」ようすだ。昼寝から起きてみたら左腕がしびれていた。ついに「脳梗塞が来た」と駆けつけたのに。医者は左を下にして寝ていたからという。「私は左を下に寝る習慣は無い」「眠っていればどちらを下にしているか解らないもんだ」そんな医者とのやり取りもあったらしい。
これは大変、と呼びつけた甥っ子(これは私)も、医者の説に妙に感心している。「ほら、足も腫れているのに」「それも言うてみたん」「みたよー。普通の日に来てくれだって!」そうだ救急外来だったんだココは。彼女の言うには、来月の「健康診断」で痺れの件を確かめてみるとのことだ、江戸の仇を長崎で討つか。


川崎青年会議所創立60周年記念講演で小泉元首相「原発依存度、下げるべきだ」って。この主催者なに考えているんだろう。彼に聞くべき事柄。彼が喋るべき話題は、イラクにあるはずの「大量破壊兵器」が何故無かったのか、何故無いものをあると思ったのか。につきるだろう。それ以外に聞きたい事はない。いや、彼が誠意ある政治家であるならば、それを語って当然だろう。話がアッチムイテホイなのである。世襲で顰蹙(ひんしゅく)を買ったあの姿が彼の本質だった。

2011年9月13日火曜日

「飯待つ間」の月

正岡子規。「子規」と読むだけで、あるイメージがそれぞれの頭に湧くほど有名だ、「原発」と読めば今では一定のイメージの湧くように。彼が負けず嫌いの競い好きで、そのうえ説教大好きで、ヘキヘキするほどの強情持ちで、なお優れた随筆を残したということは余り知られていないのではないか。
私の認識が間違っていればこんなこと書く事は無駄なことなのだけれど。

『飯待つ間』に「句合の月」というのがある。「句合(くあわせ)」という俳句の出来を競う会のために彼が「句」の想(題は月)を練る。その過程の一部始終を書いたものだ。一読して、こんなに自由に書いてもいいんだ。こんなに奔放に、にも書けるんだと感心して忘れることなくいた。明治31年というから1898年、今からざっと110年前に書かれた文章だけれど、古びることなく益々新しい。
「先ず最初に胸に浮かんだ趣向は」「こういう趣を考えたが、時間が長過ぎて句にならぬ。そこで」「とやってみた」「とんでもない句だから、それを見捨てて、ふたたび」というような調子でとめどなく彼は考えを巡らせる。彼についてゆけば、森の小道に誘われ、大河の辺に連れてゆかれ、小舟に乗せられ、見れば傍らに酒徳利があったりする。彼は水滸伝の薀蓄を始めるけれど、真面目に聞くことはない、どうせまた場面が変わるのだから、その後は「イギリスの埠頭場へ持って」ゆかれる。そこで、夫婦の別れのシーンにつき合わされ、『「桟橋に別れを惜しむ夫婦かな」とやったが、月がなかった。』と、ウッカリ間違いにまで付き合わされるはめになる。最後に先生「こんなに長く考えたことはなかった。」「これがよほど修行になるような心持」「此後もこういうように考えて見たいと思う。」とご満悦のようすで、あくまで自分勝手なのである。
世の中は広いようで、この子規の文章を好む者もいるらしい。ここに全文が載っていた
子規に触発され、110年後に書いた私の句を載せてみよう。編集権は私にある。文句があるならポチットすればいい。
「夜半に目が醒めゴソゴソ起き出す。秋なのでか、ゴキブリがやたら目につく。「不殺生」と戒められているが、ゴキにはこの箍(たが)が外れてスリッパを振るったところだ。今日の一句『名月屋団子供えてゴキと見る月』」
壊れてきている、風呂にでも入るか。

2011年9月11日日曜日

肝を煮た

 とり肝のこと
その昔、奈良の「蔵」という居酒屋でこれを覚えた。作っていたのだ。学生だった。アルバイトだった。店は母親とふたりの娘それから一人の板前(彼は寿司を供すカウンターにいた)で切り盛りしていて、それにアルバイトが数名。1970年代半ばのことだ。洗い場担当だった近くの女子大生、彼女の洗剤で赤く荒れた手を思い出した。それにしても、(私のことだ)あんな勤務態度でよく首にならなかったものだ。いや、首になったのかもしれないよく憶えていない。店の酒に手を付けて飲んでいたから。
とり肝のことに話を戻すと、「とり肝一丁ね」と表から声が懸かると裏の厨房では「よっしゃ」と生の肝を煮始めるのだった。煮汁は砂糖と醤油で作っていた、煮立てれば泡の出るほど濃いやつだ。あまり濃すぎると燗冷しで割った。煮汁は使いまわしだから秘伝のタレのようにいい味だったのではないだろうか。五分ほどか、芯に火が通った頃、汁からあげて供した。タップリの山椒の粉を振ったようにも思うが、あるいは好みで客が振ったのかも知れない。そんな気楽な店でもあった。
さて、作ってみようか。肝嫌いは案外いてはるから、ここはクソ・リアリズムでやらしてもらいます。イヤミ?いやこの常備采は血の気の薄い「おふくろ」のためなのだ。私の酒の肴にもなる。常備采だから、居酒屋よりも火はしっかり通すのが鉄則だ。

2011年9月8日木曜日

ネズミデのこと つづき

石付(イシズキ)を掃除して、割ってみた。全く白い内部。

ダシを取ろう。その間に一度茹でこぼして使うと聞いていたからそうしておく。

出し汁の中に茹でこぼして取り出した茸をいれた。煮ればまだ灰汁(あく)は出てくる、灰汁も味の内なのだ、神経質に取る事は無い。


醤油で適当に味付けをして、解きタマゴを用意して、クラッと来たら中にサッと浮かせた。

ついでに、残っていたトーフも入れた。


家庭料理人としては、プロの料理人は楽だなと生意気にも思うことがある。向こうは腹を空かせて、「金まで出しているんだ、サアサア今すぐ持って来て頂戴」と思い設けて待っている前に「おまちどうさま」と料理を置ける楽さがある。こちらは、何時喰うか解らぬ者を相手に、冷めるかも知れぬ、暖め直しもできる物を作る工夫がいる。と。

2011年9月7日水曜日

「ネズミデ」のこと


県北の「ほんにのうや」の郷から鮎に続いて茸が送られてきた。県南に住む私としては、北の方角に足を向けて寝られない。と、書いて考えてみれば、ここ二十年、寝る時の足は北に向いていることに気付いた。こんな失礼は他にもありそうだ。ここはそういう気持ちであるということなのである。
生まれて初めて見る茸だが、つれあいの言う事には、茸の季節に最初に採れるのがこれだそうである。「今年は早いのかな」と故郷の山を思い浮かべる様子。

「オオ、早いのいい、実にいい」と、私のココロは故郷でもない山中を血走った眼でさ迷っている。
「ネズミデ」と呼ぶそうである。「山では、こんな色じゃなくて、もっと濃い紫色をしていて」貴重な情報だ、CIAでもそれを知ることはなかろう。
触ると茸にしては硬くて、エリンギいやエンリギいやエリンギの硬さに似てなくもない。さて、お味はどうかな。

2011年9月6日火曜日

台風の跡あるいは下衆の顚末

台風のあとあるいは下衆の顚末
台風12号(タラスという名前らしい)は日本海に消えてしまった。この台風の衝撃は身近の者を痺れさせている。昨日今日と海沿いのスーパーマーケットは、臨時休業している。「売り出し」のチラシは折込に入るが「休業」のチラシは入らないから、二日とも門前で引き返すことになった。冷蔵機器を運び出していたから、手ひどく浸水したのだろうか。オデンの話を聞いてくれたレジ嬢どうしているかな。
あまねく被災したのであるが、どこがどんな被害を受けたのか、身近な事さえこんな時はわからないものだ。

空には晴れ間が戻り、

日差しも陰を作っている。

溜池はどうなっているか気にかかる、行ってみようか。


河川敷の草々はきれいに流されてスッキリしている。土の登り道は水の流れで轍(わだち)が深くえぐられていてカブでは登りにくい。池は無事だ。アラテ(排水の為の水路・洗い堤?)を越して水の流れ落ちたたことは、枯れ枝の流れ残った形でわかる。満水だ。
洗い堤に立ち一枚、

隣の谷を降りてみると、T氏の棚田が崩れていた。

この崩れた田には稲ではなく、里芋(サトイモ)をつけていた。稲を付けていれば、岸(ケシ)のモグラの穴など、毎日のように見回りをして潰してゆくけれど、畑にすると岸(ケシ)のことはついおろそかになる、そんなこんなで、崩れるのは意外とこのケースが多いように思う。
しかし、そうは言っても、棚田は崩れる時は崩れるのである。むしろ、崩れたら直してきたヒトの行為の形が棚田の形なのであろう。

少し下では、増水した水路に石垣が洗われて崩れていた。

ちょうど水路のカーブした外側に当たる所だ。絵で見るように丁寧に積んだ石垣で、経年による石垣の劣化が原因とは考え難い。私が思うに、最近このすぐ下流をコンクリート三面張りの水路に変えた。それで水速が増し石垣に当たる力が増えたせいだろう。これは仮説の領域であるが。

それから下ると河川に出て、こんな感じに不思議な壊れに出会った。
上流から下流を見て
側面のコンクリート張りは壊れていない、しかし、川の両脇の土がきれいに流されている。
これは一枚上の絵に写っている橋から上流をみたところ
この現象の原因は特定できる。川底から側面の土が吸い出された為だ。
この河川の側面コンクリート張りにしたのは私の子供の頃だから、50年間起こらなかった事がなぜ、今回起こったのか。
それは、大掛りな「川浚い(かわざらい)」を施工したせいだ。地元の業者に委託してのこの工事は、公共工事減少の流れのなかで業者の「小遣い稼ぎ」として考案されたものだ。不要不急のこと、愚かな事をするものと私は考えていた。しかし、こんな事になるとまでは考えていなかった。
皮肉な事に、今度は、復旧の仕事が生じたわけである。
ここに到って「下衆どもは死ぬまで下衆だ」と私は考える。むろんいづれも、行政の発注した工事の結果であるから「下衆」の中心は行政である。
わたしは死ぬまで彼らを宥すことはなかろう。


さて、O氏の稲はこんな具合だった
今が、稲の生涯で、一番長(た)けの伸びた時だ、私の胸近くまである。

近寄ればこの天候を受けて花が咲いている。

2011年9月5日月曜日

台風冠水顚末 3

結局、午後九時頃、水は引いていった。午後三時すぎ、懸命に排水している海辺のポンプ。
手前が海、向こうの冠水地より水位が高い


こんなカワイイ見物人もいた。この子は「これって土石流?」と聞く、いやそうではなくて、とこのブログに書いたようなことを説明する。写真を撮ろうか、と言うとこのようにキオツケをした。「溝も道もわからんようになってるから気をつけて来た通りの道を帰るんで」と言う。
さて、冠水した道を歩く亀の彼?はどこへ行くつもりなのか。この先にある排水ポンプだろうか。

台風の後(午後10時)のツイッター
風呂から上がったところだ。雨音が消えた闇に虫の音が満ちている事に気付く。あんな烈しい雨風のなかのどこに潜んでいたのだろうか。いや、鳴いてはいたのだが、私の耳が拾わなかっただけなのか。「いつだってせいいっぱい」命とはそういうものらしい。

2011年9月4日日曜日

台風冠水顚末 2

「8時を過ぎ、朝飯を作っていると、ハンドマイクで「避難準備」をして下さい。と政令市岡山が歩いている。避難場所は2キロ離れた、中学校だと言う。市の防災に電話をして、そこまで「歩いてゆけばいいの」と聞くと、そうして下さい。だって。ありとあらゆる警報が出ている今、海縁の路を歩けってか?
こんな自治体の指示に従っていたら、命がなんぼあっても足りないだろう。勝負は夜中の満潮時だった。
地元の消防団も引き上げて一人もいない海岸にいってみれば、開けられた樋門から勢いよく排水していた。これだから「役人仕事はダメだ」といわれるのだぞ。」
と書いたが、市の判断は間違ってはなかった。高潮による排水難、山からの水による冠水は数時間後に起こることになる。ただし、避難場所・避難方法は考え直さなければならないだろうと今でも思う。
        二時間後(午前10時)
次の満潮。午後3時はヤバイかも」
油断に満ち満ちていた私も、台風のあまりの足の遅さに次の満潮を心配し始めている。
        それから二時間後(正午あたり)
「ツイッターなんかしている場合ではないけど。車を一台は助けた。もう一台は浸かってしまうか。満潮まであと二時間、これから潮は30センチ上がるし、山からの水もこの雨で増えるばかりだろう。車、助かったら大切にしてやろう。」
「絵なんか撮っている場合ではないけど、オロオロしても仕方ない、道が水路になった。電信柱のあたりは膝上まで水が来ている。そのむこうに車がある。そこまで行けない。」
足もとはこんな感じ、水路からあふれている
しかしこれは序の口だった
「さて、車の心配をしている場合ではない事になった。裏口の水嵩が上がってきた。天気予報画面を見れば、頭上を通過するらしい。985ヘクトパスカルの中心気圧の台風。このあたりの気圧は988ヘクトパスカル。ん~。台風の中心はあまり居心地のいいものではない。」
どうでもいいけど、裏口からの絵。」
先ほどの絵は土嚢のあるところで撮った
と次第に家に退却している。実際こうなると何も打つ手はないのである。せめて絵をとるくらいしか。

台風冠水顚末 1

台風冠水顚末
これを書いているのは9月4日午前4時。きのう3日は台風が頭上を通過し、私の棲息する地域は冠水した。ツイッターで呟き続けた記録を手直しして載せてみたい。同じような台風による冠水体験を7年前にしているので驚きは半分だったが、油断もまた半分あった。
・三日早朝、夜明け前。
雨風の音で目を醒ます。階下でコーヒーを入れていると、オス猫がやってきて、東向きの窓際に座って「出るから開けて」とこちらをみる。開けてやると雨と風がドッと吹きこんできて驚いた彼は思案している。いつまでも開けてはいられない。そこらじゅうの物が濡れてしまう。あきらめさせた。すると、北向きの裏口に彼は行って「ここから出る」と私を見る。「おまえな。これは台風というもので、裏口にも来とるんで」と開けてやる。言葉は通じないから見せて納得してもらう以外になかろう。彼はしばらく風と雨に満ちた暗闇を見ていたが、思い定めたものか弓を引き絞るように背中の筋肉に力を込めた、次の瞬間、闇の中に消えた。「何処ぞに、これと決めた相手でも待たせているのだろうか」とジイは考える。
・一時間後
猫は出て行った。これといった相手を待たせているわけではないおじさんも、川と海の水を見に行くために出てゆくことにする。
沿岸部0メートル地域の浸水はふたつのケースがある。ひとつは、海水が堤防を越えてくるケース。もうひとつは、海水は堤防で防いだとしても、山からの水で浸水するケース。私の体験では後者の確率の方が高い。メカニズムを説明すると。土砂降りの雨の時、海の水位が高いと樋門を開けて海に排水する事が出来ない。もたつく内に堤防の内側に海と同じ水位の水が溜まり浸水する。このことはあまりご存じないだろう。堤防をいくら高くしても内側に淡水の海が出来るわけだ。これまでは遊水地の存在がそれを緩和してきたのである、この地域では海抜0メートルの水田が遊水機能を担ってきた。しかし、水田の埋め立て・宅地化で水田の遊水機能は急速に失われつつある。寓話的に表現すれば「ヒトの一時の欲の海に、われわれは浸かる事になる」わけだ。

2011年9月2日金曜日

コンビニのオデン

コンビニのローソンに行った。インターネットのアマゾンで買った本の支払いのためだ。こんな本の買い方は味気ない。やはり本は本棚から抜き出し中を覗いて。少し触りを読んで、前書きがあればそれの数行、あとがきの数行、文章の断片と全体の調子を確かめて、本の厚みと重さも感じて、「へー」っと思ったり、そんな風に選びたい。どうせ、残る生涯たいして読めもしないのだから。と考えたり、でも手元にあれば時々覗きたくなるよなー。買うか。価は?。と、買いたい。(たとえ後で後悔してもだ。)
それはそれとして、アマゾンの支払いにカウンターに行くと、横にオデンが置いてある。
「いまどきオデン?売れるの」と聞くと「真冬より売れるんです」とのこと。
家で作る季節でもないし、でも久しぶりに「ちょっと、食べてみたい」が売れるポイントらしい。
なるほど考えてみれば、「ちょっと」で済むものがコンビニでは大半だ、オニギリは置くが、炊く手間のいるコメは置かない。
それはそれなりに「便利」なんだろうけど「味気ない本選び」のようにこんな消費ばかりでは、なんだかナー。と考えながらスーパーに寄る。食料を仕入れた後。よせばいいのに、レジ嬢を捕まえて、さっそく今仕入れたばかりの情報を披露してみたくなる。
「コンビニのオデンの事だけど、冬より今の方が売れるの知ってるか」すると彼女は「どうしてなんですか」だって。デヘー。


追記。その後のアマゾン
「昨日のことだ、県北から『鮎』を送った、明日着くだろう。と連絡があった。昨日の今日、「お荷物です」と声が裏口でする。オオ待望の、そそくさと家の者が出てみれば、「アマゾンからの本」落胆されるやら、軽蔑されるやら、「アマゾン」にも、まして「私」にも悪意があった訳ではないのだが。これが、片隅の悲哀。」