2011年10月29日土曜日

2011.10.29極私的見聞

2011/10/29 極私的見聞
昼過ぎ、小腹が空いて弁当屋に寄った。「ほかほか」だ。店前のガラスに「求人」の張り紙がしてある。「アルバイト募集・主婦・高校生・フリーター」時間帯は書いてあるが、給与は書いていない。愛好する「海苔弁」の支払いをする時、「時給」を書いていないのは何故と聞いたら、途端に対応の機嫌が悪くなった。(こちらも、ペットボトルの茶を「ドリンク」と表現された途端に「ム」としていたのであるが。)「時間帯によって金額が違うので(書いていない)」というのが、不機嫌な答えだった。そのくらいのこと書けぬことはなかろうとは思う。しかし私の発見は求人に「フリーター」の文字を見たことだった。



私のような年齢の者は求人に「フリーター」と見ると違和感を覚えるけれど。街の雑踏の中に、なにげにそれは掲示してあった。
いずれにせよ、例外の存在ではなく「フリーター」と呼ぶしかない階層が大量に生み出されつつあるのだ。その階層はこれからのこのクニを背負って立つ世代でもあるだろう。
何事もないような、毎日の街の風景だけれども、その底では重大な変化、地すべり的変化が起こっているのではなかろうか。

雑感 4

パソコンの動作音がうるさい。この道具は故障すること(突然止まること)が知られている。いや、そうだからこそ「オモシロイ」という変態が多数存在する。バックアップをとることにした。それをしながらこれを書いている。そんなの宥されるのと思いながら。
夜明け前は気温が一日の内で一番低くなる。手足かじかむ季節になった。このあいだからカバーを外して裸にしている。パソコンの発熱で暖を取ることを発見した。マザーボド=ギガバイト「GA-G41M-ES2L」のintelG41は摘めば丁度指先を暖めるにつごうのいい温度だし。ハードディスク
HDS721050CLA362(500GA)」はてのひらをあぶるのに丁度いい形と温度だ、測れば35℃。発熱パソコン。冬期限定版だ。
パソコンの動作音。ガサガサ・ゴトゴト・ゴッゴッ・カタカタが気になるのは、机周りのエアコン・扇風機の騒音源が無くなったからだろうと思い当たった。夏は騒がしい季節なのだな~。蝉に聞いたところ周りが騒がしいとつい大きな声で鳴いてしまうのだと言う。ヒトの世の「広告看板」も同じではないのかと釘を刺された。
パソコンがうるさいので、ケースに付いているファンを止めた。すっかり静かになったけれど、今度は排熱不足で壊れるのではと心配になる。壊れれば「すっかり静かに」なるわけだ。その前に急いで書けることを書いておこうか、永遠なんかコトバの上でだけのことだから。
すっかり静かモードのパソコンであるが、ハードディスクに仕事を与えれば「ガサガサ・ゴソゴソ」仕事をコナしている。ディスクをSSDに変えると動作音が消えるそうである。しかし、こんな「ケナゲ」もレトロでよろしい。今日の一句「ハナ紙も・塵も積もれば・百億円・ティシューの箱を見て・この会社なの」

雑感 3

仔猫が三匹家にいる。それを見ての感想
仔猫は「カワイイ」。それはどうしてか。咬んでも、引っ掻いてもたいした被害がない。それもあるだろう、しかし、そういう感情が見るこちらに喚起されるのはそればかりではないだろう。私はひとことで言うならば「何も持っていない」ということではなかろうかと考える。ヒトは、往々にして、「~だ」でくくられる。弁護士だ。医者だ。議員だ。社長だ。公務員だ。その自意識はしばしば、我々に「それなりの対応を求める」この厄介さは、かなりのものだ。それなしに、そこにあるだけのもの。「おいらは誰・ここは何処」彼らの持ち合わせている物といえば、「用心深く、慎重で、なお大胆である」命の基本それだけと考えた。

家に上がろうとしたら、ちょうど仔猫が、廊下を向こうから走って来ているところだった。急ブレーキ、足を滑らせながら停止、Uターン、再び足を空転させて加速して走り去る。他はどうか知らないが、運動性能だけは優れているみたいだ。ヘルメットをあみだに被った暴走バイクの兄ちゃんみたいだと思う。

雑感 2

新聞を読んで。今日の一句。「年金開始年齢引き上げ」の記事を読んだ。冷静に、逃げ水の如くに遠ざかる年金をみて詠める。「ルールならばと・参加せしも・胴元ならばと法を変え・カエルの面の・ションベンか」ん~、つぎ。「ヒトの命は限りありとどく頃には遠のく年金」「あの方はどうして暮らしを立てていると問えば年金暮らしなりとそれも聞かれぬ世になりケルカモ」だんだん壊れてきた。いや、始から壊れているか。続けて「年金の話題も絶えて、同窓は病の事のみ語る、幻を見てきたか我等は」やや置いて今日の決定版「我は敗戦の国の兵なりと年金受け取りを断りし叔父あり 彼の思いはこの無惨な山河で在りしか」


産業廃棄物処理施設反対(見よこの日本語の造語能力)の集会に行った。講師(弁護士)の「現行法の厳格に厳密な適応を求めれば、処理施設の建設も運転も不可能であること。」その論理を目から鱗の落ちる想いで聞く。
その上で私は、住民・行政は何故簡単に産廃を受け入れてしまうのかその理由を考えた。
私の得た仮説はこうだ。今日聞いた法の論理は近代産業社会の作り上げた法の体系の論理メカニズムである。ところが往々にして産廃施設はそれ以前の(産業社会以前の)農耕社会の法の論理が支配する地域に作られようとする(つまりそこは田舎だ)近代産業社会法の免疫のないところに感染症の如く産廃施設ははびこり、地域社会は忽ち喰い散らかされるこの構造。
伝統的社会構造に基づく法。近代産業社会に基づく法。このふたつの法体系の違いを意識化しない限り、新たな地平も、これまでの教訓も得られぬのではなかろうか。

雑感 1

専門化すれば略語が生まれる事は承知の助だけれども、「SNS」という略語に意味がわからないでいた。「ソーシャル・ネットワーク・サービス」の略だって。つまり「ツイッター」とか「フェイスブック」とか「ブログ」とかがこれに当てはまる。それならわかる。はまっているもの迷惑がられながら。
さて、「SNS」何をしているか。ひとつはニュースの伝達。「こんな事が在った。こんな事があるよ(未来)。」もうひとつは、その事などをどう考えたか。「私はこう考える。私もこう考える。~だけど私はこう考える。」それから忘れてならぬもうひとつは。安否確認。「ドッコイ生きているよ。あんたも生きているか」
そんなわけで、「生きてるよ。」と雑感を載せてみよう。

「合理的」という言葉を書くたびに、違和感を覚えてきた。やっとその理由がわかった。2011.10.6毎日新聞一面記事より抜粋、「放射性物質の汚染が広がる現段階では、年1㍉シーベルトをめざすと合理的な対応が取れない可能性があるため」とある。つまり、合理的とは、「理にかなった」という意とは違って、「現状追認」の意もあるのだった。

昼寝をして、起きてみれば、日差しと風とが洗濯に丁度いい。洗濯を干して風になびくシャツなどを眺めおるほどに、「風誘う、洗濯日和、主夫の喜び」と指を折っていると、メスの遊びネコが帰宅した。空の器をみて「フエー」と催促する。キャツトを盛ってやれば、足元に来て、まだ見上げている。牛乳だ。句のつづきに「ネコの帰りて、ミルクをせがむ」んー。次に期待しよう。草刈機でも振りに行くか。
燃料タンクが空になったのを潮時に草刈をやめた。エンジンを響かせて草を刈りかけると、これから刃を入れる草叢に「雉」が逃げ込むのが見えた。今日なんとか喰うものがあれば、雉の暮らしを脅かすこともあるまい。とすべてを刈り倒す事はやめたのだ。おお、センチメンタルと笑わば笑え私はこうして生きている。遊びネコに邪魔されたが、新たな一句を考えた「イビキ掻き・イビキを掻かれ・秋の夜長に・ふたりかも寝ん」築三十年、いや婚三十年を迎えれば、枕を高くして眠るつれあいを見て、こいつが安眠できるのは自分のお陰だと互いに思うのである。しかし、考えてみれば、これは寝首を掻くにも丁度いい距離でもある。

2011年10月20日木曜日

2011.10.19旭川の土手道で

今日昼過ぎのこと、旭川沿いの土手道を軽トラで走っていると、路肩にバイクが横倒しになっていて、車体の腹のあたりでライダーがうずくまっている。転倒して動けぬようになっているものか。と、バックギアに変えて引き返した。車を降りて近づいてみれば、バイクを修理している最中だった。見ればエンジンの側面のカバーをすっかり外している。オイルに浸かった部品が内臓のように露出している「どうしたん」と聞けば「オイルがポタポタ漏れるから分解してシールを直している」とのこと、ナンバープレートを見れば見慣れぬナンバーだ。「ですけんね」の口ぶりからすれば九州の者らしい。バイク同様、彼の服も靴も顔も頭も油と埃にまみれて、爽やかとはいい難い。
バイクは嫌いじゃない、おまけに分解中、邪魔だとは知りつつ、「これ、何㏄?」「125」「どこの」「スズキ、エンジンは載せ変えた」かなり出来る者と見た。だいたい、バイクは自転車と違い横倒しにすればガソリンが漏れたり、オイルが漏れたりする、それを知ってガソリンタンクは外してある(だからメーカーが解らなかった)。手練とお見受けした。
聞けば「北陸を回って帰る所だ」という、帰途、岡山のここでトラブルとすれば、四国に渡ってそれから九州への途上であろうか。「一人で直せる?」と聞けば、「後は組むだけだから」と言う。
世の中、一人でなんとかやっている者は多い。時には他者の手助けも要る事もあるだろう。しかし、お節介はかえって迷惑なこともある。「いつでも手助けできるで」と近くで見守る事が私に出来る事だなと考えた。
「北陸」か~。旅に出たくなった。

2011年10月10日月曜日

十月十日深夜の独り言

深夜、目を醒まし、風呂に入る。サッパリしたところで、ウイスキーを舐めている。思うことは多いが、とりたてて書き付ける程のことはない。耳を澄ませば虫の音が聞こえて静かだ。
子のまだ手元に居る時、「深く安心して眠らせる・しっかり食わせる」親はそれだけしてやれればよし。と育てていた。その昔親の膝元でゴロゴロしていたあれらは、私の棲息範囲を逃れてどうしているのかしら。子育てにおけるそのふたつの原則がこの数年、他ならぬ、私自身の暮らしから失われている事に驚いている。
階下にお代わりを注ぎに降りれば、「フェフェ」と窓の外からネコが「イレテクデェー」と鳴いている。開けてやれば、さきほど風呂上りに外に出したばかりのオス猫だ。10分も外に居たか。入れて嫌がるのを抱き上げて、ヤツの頭を顎の下で押さえるようにして抱いてみると、冷たい外気に晒された毛の中からほんのり暖かさが伝わって来た。「コイツはこんなだから、傷ひとつしていない」と思う。それにひきかえ、日に一度帰るかどうかの、もう一匹の「アレは傷だらけだ」と思う。男子の暮らしそれぞれだ。それでいい。
階下に降りて傷なしの絵でも撮ろうか。

2011年10月2日日曜日

深夜の稲荷ずし

金曜日の夜半
『金曜日の夜半
コップの底の氷の塊に
ウイスキーを注ぎこんで
ウイスキーを溶かしながら
酔っ払っている と
無性にいなり寿司が食いたくなる
そうだ、食いたいと思うことは自由だと思う
食えるか食えないかそれはわからない と
付け加える

食いたいときに食いたいのだ
土曜日の朝にはいなり寿司のことは忘れているだろう
(透明なコップに指つっこんで濡れた氷と渇いたウイスキーをかきまぜた)』

こんなことを書き付けるぐらいなら飲むのを早々に切り上げて作った方が早い。(もっとも、貧しくて食材が買えないのか、それとも作る技術がないのか。)
まな板に揚げをのせて
三角に切るやり方もあるが今回は四角でゆく
あとで袋状になってもらわなければいけないので
ここで開いておく、手でも出来るがやはり、包丁を入れて開く方がエレガント
洗練されたやり方だろう、イヤなら手で開けばいい
揚げの脂抜き、5分ほど煮た。ついでに半熟卵も作ろう。
砂糖、醤油で煮る。この後、落とし蓋をした。
飯の炊きあがる前にすし酢(酢・砂糖・塩)を用意する
ざっくり混ぜて
少し冷まして、作り置きのキンピラゴボウとゴマを載せて
混ぜた。揚げはどうした

こうして裏返して包み易いようにしておいて。
皿も用意して
できあがり。
1974年。ずいぶん昔の私に「ほらこれでも喰え」と渡してやろう。