2012年12月28日金曜日

日本文学史序説 つづき

『日本文学史序説』は上巻・下巻に分かれている。「下巻」の500頁まで読んだ。読み方の判らない漢字読み方は飛ばして読んでこのペース。解らないものを解らないままに置いておくこと。換言すれば、矛盾を我が身に取り込んで保ちながら生きること。それは「オトナ」の条件なんだだろうけれど。その体力・気力も覚束(おぼつか)ないと感じるている今日この頃だ。
それはそれとして、

と書いたら、コレ以上の書き込みは「エラー」です。と表示された。

2012年11月23日金曜日

新聞

「新聞」を配達してもらっている。私は活字依存症なので、一ヶ月、三千円の値を「高い」とは思わない。これまた依存症のタバコ「一箱、四百四十円」に比すれば安いのではなかろうか。
コンビニに買いにゆく「新聞」に比べて配達されるものは何が違うか。「チラシ」が折り込まれているのだ。それを読む楽しみ、比較して読む楽しみが、私の中にあることに気づいている。
今朝のことだ、めずらしく、チラシを見ていた「つれあい」は「安いなー」と感心している。ことほどさように、この女史は世事に疎い。(昨日買ったバナナ一本の値は十円でっせ)
三つ四つのチラシを比べて「どうしてこんな値段で?」と感心しきりである。スーパー業界の苛烈な競争の事はさておいて、私は「どんなに安かろうが、買う原資、つまり、お金を持っていなければ、高い安いは関係ないわけで。その事こそ問題になるのじゃーないか」と水を持っていくと、「この空弁、駅弁、美味しそー」と興味はまた別のところにあるのである。
「日本文学史序説」は二百頁まで読み進んだ。遅々として進まない。しかし時として「読むことの喜び」がある。

追伸
翌日、つれあいは、駅弁をふたつ抱えて帰宅した。彼女のココロの中で膨張し殺到しているはずの「売り場」は虫眼鏡で探さねばならぬほど「ちっチャ!」なものだったらしい。その話を肴に駅弁をいただいた。「感想」は?と聞かれれば「駅弁」は汽車の中で食うものでしょう。と答える他ない。

2012年11月7日水曜日

日本文学史序説

本をコレクションする虚しさに気づいて、買う事を控えていたけれど、『日本文学史序説』加藤周一 筑摩書房。を買った。
 
 
彼は数年前に没したけれど、残したものは挑戦的である。書き写してみよう。
「中国人は普遍的な原理から出発して具体的な場合に至り、先ず全体をとって部分を包もうとする。日本人は具体的な場面に執してその特殊性を重んじ、部分から始めて全体に至ろうとする。」13ページ。
コレを読んで「オウそうなんだ」と納得するヒトはいないと思う。そういった意味でまず挑戦的なんだな。
読み進んで、機会があれば感想を述べてみたい。
 


2012年11月1日木曜日

警部補に捕まった

信号のない交差点をなにげなく右折した私の乗るカブ90。物陰から熱い視線で見ている人物が『警部補』だったみたい。彼の操る白バイにわけもなく止められて「交通反則告知書」を渡された。
青色の「切符」と呼ばれる紙を仔細に見てみれば、「巡査・巡査部長・警部補・警部」の「警部補」のところに丸をしてある。
6千円の反則金の理由は「指定場所一時不停止」ということだった。警部補の言うことには「あんたはブレーキを掛けたけど止まらなかったよ」。言われてみればその通りなので文句はない。

「法」は解釈と運用で姿を現す。

別れ際、警部補に「気をつけて運転してな」と諭(さと)されて、「ご苦労さん」と答えたけれど、心のなかで「いろんな意味でそうするよ」と答えていた。

追伸
インターネットで警察官の「階級」を調べた。「警部補」は下から三番目の位であった。テレビの「捕物」好きのつれあいはこんな事知りはしまい。捕物画面に夢中の彼女に「この刑事は巡査かもしれないし、警部補かもしれないぞ。そもそも、刑事と言う呼び名は所属する部署に由来する、たとえば~」すると、家の部長刑事は「ウルサイ!それで罰金、もう払うたんかな?」私が払うのは罰金じゃなくて反則金なんだけどな~。

ゴキブリ

仮住まいして、もう五ヶ月経った、人生を五十年とすれば百分の一の時間を此処で過ごすことになった。行き当たりばったりで暮らしてきたからそれはそれで不満はない。
人の住む匂いを嗅ぎつけたものだろう、ゴキブリが徘徊し始めた。次にネズミが来て、イタチも来るのであろう。
「ゴキブリホイホイ」を仕掛けた。もう十日になるか、捕まらない。借家の中の借家みたいなものに住もうとはしない。
借家業は、不況と聞くけれどそうなんだろうな。

2012年10月30日火曜日

双六に似て


ご近所が引越しした。小さな貸家から家財道具が出てくるは出てくるわ。それは、まるで手品を見ているようだった。半月を掛けて引越し作業は続いた。仮住まいの私も荷物を増やさぬ様にしなければならないと心底思ったことだ。

 
大家さんから、漏れ聞くところによれば、家計が逼迫して携帯電話の払いさえも滞っていたらしい。人生模様を双六にたとえることは実りのあることではないけれど。借家を引き払って「親元」に帰ったらしい。

 
それでも「たつ鳥後を濁さず」。綺麗に片付けて去った。

 
片付けに来ていた七十代のヒトが彼女の親であったのか。

 
双六に例えれば、振り出しに戻った彼女の人生の幸いを祈るばかりだ。

2012年10月26日金曜日

古典文学 体系

身近の本を燃やしたり水を浴びせたりして無残な事になって、エイッとすべて始末してしまった。こうなってみれば手持ち無沙汰。叔母の家に「岩波・古典文学体系」が有るのを幸いこれをつまみ食いするように読んでいる。
残念なことに、私には古典(古文)の素養は無い。
しかし、「読みにくい」「解りにくい」と投げ出すには惜しいシロモノだった。読んでみるとこれが面白い。
最初に読んだのは『竹取物語・伊勢物語・大和物語』。感想を述べれば、「竹取物語」には「構造」が有る。「伊勢・大和」には構造がない。ということだろうか。このふたつが共にこのク二で読み継がれ語り継がれた事。不思議だな~。

と、ここまで書いたらッ!エクスプローラーに「接続出来ません」と表示された。このUSBの親玉を提供している接続業者にはウンザリしている。永久に無線は有線に劣るのではないか。

さて、気を取り直して書きつごう。
次に『方丈記・徒然草』を読んだ。「方丈記」はあまりの名調子に読む気力が失せて中断。「徒然草」は頭からシッポまで読んだ。実は今朝方読み終えたところだ。これは、このクニの「随筆」の代表とされているらしい。それにしても「メモ」みたいなものもあり。「戒め」みたいなものあり。で統一性は無い。強いて言えば、仏教の教えを基調としているところは統一されているということだろうか。『徒然草』を読んで、一番おもしろいと思ったところは「解説」部分。これを「西尾實」という人物が書いている。面白いと思う部分を書き写す。
「なお、つれづれ草に関する研究書および研究論文は、極めて多く発表されているが、文学としてのつれづれ草の研究史の上で注目されるのは、次の数篇であると思われる。」
として八篇の論文を挙げている。驚いたことにその内のふたつは「西尾實」氏の書いた論文だ。
こうした愚かな自己肯定。それを宥す環境。権威主義。我々がいろんな所で行き詰まっているのは、この辺りに原因があるのではなかろうかと思ったことだ。
「徒然草」と並行して明治二〇年代に書かれた『五重塔』幸田露伴(日本文学全集・新潮社)も読んだ。これは「講談」だな。所々に、優れた比喩表現が有ることを発見した。これが新し文学の芽吹きなのか?
まだまだ、この古典への旅は続けたいと思っている。次は「近松」「西鶴」辺りを覗いてみようか。
いずれにせよ、「読まれる」事よりも、「語られる」事を前提とした文学が、このクニに連綿として続いて来た。という私の認識にそうクルイはなかろう。

と書いて、我が認識を覆す何かを探しているオノレに出会う。



2012年10月22日月曜日

取り留めなしに

幹線道路の脇に仮住まいしている。信号待ちの車からはイロンナ物が投げ捨てられる。弁当ガラ、マクドナルドの空き袋、缶、ペットボトル。どれもツイ今し方までヒトが使用していた物ばかりだから、ヒト人類同士の親愛もあつて拾ってゴミとして出している(有料袋に入れて)。そんなに無いけれど「ガシャーン」という音とともに投げ捨てられた青色の瓶の欠片はそのママにしている。
ゴミのゆくえに想像力を及ばさない神経は、「原発の存続を許す神経」とそんなに違わないと思ったことだ。

それはそれとして、こんなゴミも棄てられていた。「企業名」ではなしに「此の国で作られた」が故の「品質」保証だということなのであろう。こんなタグまで付けなければならぬ程、外国製とミテクレの差が無くなっているのだろうと考えた。
実際、ホームセンターで買う外国製の物はひどいものが多かったのも事実だ。使い物ならないものを買ったこともあった。
特にネジ(ボルト・ナット、ビス)の精度の甘さは絶望~的だったな。ところがそんな物は淘汰?されたものか近頃はお目にかからないようになった。
「グローバル」という言葉が一時、流行った。この言葉を流行らせた意図は別として、本当の意味で国々の作る製品の差異は無くなって来つつあるのではないか。我が仮住まいにも外国製品は溢れている。
「犬は吠えても歴史は進む」と言う。その一例がこれだろう。

さて「物」から離れて「事」に目を向ければ、「このク二の品質」は「安心」の領域からはほど遠いのではないだろうか。こればかりは国境を越えて輸入するわけにはゆかない。

2012年9月25日火曜日

オスプレイ飛んだ つづき


オスプレイ飛んだ つづき

こんな新聞記事を読んだ。924日の「赤旗」一面。赤旗は月3400円で他の新聞より高いけれどこんな記事が載るからやめられない。興味のある方は「ぽちっ」として読んでもらうとして、つまり「オスプレイ」の配備をこのクニは断れないということだ。アメリカとの「約束」でそうなっているらしい。アメリカがこのクニにどんな武器を持ち込もうと「是非は言いません」と約束しているのだから後は「唯々諾々(イイダクダク)」と従うしかないわけだ。

これって、「クニの主権」との関係でどうなんだろう。

2012年9月23日日曜日

オスプレイ飛んだ


オスプレイ飛んだ

と、書いたらこんな童謡を思い出した。

『しゃぼん玉

 

しゃぼん玉 飛んだ

屋根まで飛んだ

屋根まで飛んで

こわれて消えた

 

しゃぼん玉 消えた

飛ばずに消えた

生まれてすぐに

こわれて消えた

風 風 吹くな

しゃぼん玉 飛ばそ

 

1922(大正11)

作詞 野口雨情・作曲 中山晋平』

しばらく、「しゃぼん玉」を「オスプレイ」に変えて歌ってみた。それだけのことだ。なぜそんな連想を私がしたかというと

『あなたへ』森沢明夫(幻冬舎文庫)を最近読んだせいだ。この同名の映画シナリオを小説仕立てにした本のなかで童謡「しゃぼん玉」が小道具として使われていたからだ。それだけのことである。

さて、オスプレイ。この国での飛行映像をテレビで見た。これはヘリコプターというよりも飛行機だなと思った。ヘリコプターのようにも飛ぶことのできる飛行機だ。推力はジェットエンジン。ジェットエンジンを吹かしてその熱風でプロペラを回す(ターボプロップ)エンジンだから映像を見ても離陸の時(着陸も同様だろう)地面に炎を吹きつけているように見えた。だからこれに乗り降りする昇降口は機体の後ろにある。横だと炎にあぶられたりプロペラに巻き込まれたりしかねない。いやその前にエンジンの炎を受け止める滑走路はアスファルトでは無理だしコンクリートでもどうなのだろう。戦闘だけではなく人命救助にも使えますとは宣伝だが、救援にこれを呼ぶには相当の覚悟がいりそうだ。まず火傷の心配はしていたほうがいい。こうしてみるとオスプレイ様式の飛行機の用途は「戦闘」用に限定されるのではないか。

機械は複雑になればなるほど故障しやすのだから、このヘリもどき飛行機はその複雑さにおいてみても故障の確率は高いだろうと私は思う。「安全宣言」をした政府は正気かしら、原発の「安全神話」の例もあったことだし。

2012年9月22日土曜日

USBの親玉


USBの親玉

みたいな物をパソコンに付けてインターネットに繋いでいる。これが不安定でしかたがない。使える使えないのレベルを超えている。(もっともレベルの設定は私の設定なのだけれど)。無線の電話回線を使っているらしいけれど、直ぐに一杯いっぱいになって不安定に陥るのだ。その上良くないことには少し時間を置けば治ることだ。いっそ繋げないのならハッキリして欲しい。今、打っているこれだって投稿欄に載るかどうか。さてやってみるか。

2012年9月17日月曜日

「改憲賛成」65%


「改憲賛成」65

毎日新聞15日付の見出しだ。へーと驚き目が点になった。パソコンの傍らの15日付の新聞を片付けられないでいる。「毎日」が行った全国調査の結果だそうだが、2009年時点の調査より「賛成」が7ポイント増えたということだ。この変化は統計的に無視できない数字だろう。2009年から2012年、この3年の間のどこかに節目があったのだろう。それがどこであったか私には解らない。

「改憲」を言い立ててきた人々が、戦争放棄条項「9条」を目の敵にしていたことは周知の事だから、これは戦争参加(加担)への賛同なのだろう。と私は考えた。

 

この2日ほどこの事をどう解釈するか、頭の片隅で考え続けて、私はこう思った。

「われとわが身、家族を守るためには、戦争を選ばない」という価値観がこれまでの我々の思考の中に存在していた。しかし「われとわが身、家族を守るために、戦争を選ぶ」この思考が我々の大半を占めるようになった。と。

ブログの話題は、できる限り愉快なものを(為にならなくても)と、心がけてきたけれど、今回ばかりは、そうもゆかないみたいである。

2012年9月12日水曜日

おめえの案に乗っちゃらー


別にそれしか買えないわけではない。ホカホカ弁当屋さんで「マツタケご飯」の幟旗を横目にして「海苔弁当」を購入した。別にそ​れしか買えないというわけではないのだけれど、食えばその「海苔弁当」のオカカ部分にはマツタケの香がしているのだった。なんだか得したような気分?だ。それにしても、ホカ弁屋さんの厨房はどうなっているのだろう。
と、書いたのは少し前の事だが、私の愛好するホカ弁屋での見聞を書いておこう。

通っているその店は様子を構わない、一言でいうと「だらしない」。たとえば、冷蔵ショーケースの中でのこと。何かの拍子に「ミックスジェリー」が「ミカンジェリー」に傾いた(寄りかかった)らしい、圧し掛かられた「ミカンジェリー」はもう10日ほどそのままにされている。

「昭和」の食堂はこんなものだったな。私はこの雰囲気を好み、通っている。

 さて、海苔弁当の出来るのを待っていると、中学生がやってきた。手には千円札を握っている。注文もそこそこに、携帯電話を使っている。聞けば「おめえの案に乗っちゃらー」。どうやら遊び?の待ち合わせの約束をしているらしい。贔屓目に見ても模範生徒ではない彼だけれど、おじさんは感心した。「いくつかの案があって、それぞれの案を吟味し、そのひとつの案に乗る。」この手続きは大人でも出来ていないのではなかろうかと。

昨今の党首選びの過程に於いて「おめえの案に乗っちゃらー」みたいな「案」についての論議はあるのかしら。

2012年9月8日土曜日

「ぶー」のこと


「ブー」のこと

近所で見かける犬に、体重が人ほどもある犬がいる。こちらを見ては威嚇して顎を上に向けて吠える。そのくせ尻尾は振っているのだから、人懐こいやつなのだろう。セントバーナードみたいだが、あれ程大ぶりでもない。犬種はどうでもいいけれど、なんと言う名前を付けられているのか気になっていた。それが明らかになった。

今日の事だ、彼?は折良く開いていた門扉をすり抜けて「自主散歩」と洒落こんだらしい。家の周りを徘徊している彼?を門扉のところで手を腰に当てて飼い主が呼んでいる。見れば妙齢の女性だ。

「コラー!ブー。はよーかえられー(早く帰られ)」

素直に帰らない「ブー」に、彼女は一言「鉄拳食らわすぞ」。

「ブー」が鉄拳を食らったかどうかは知らない。しかし、犬の暮らしもなかなか大変なところもあるのだな。と思ったことだ。

2012年9月5日水曜日

わたしは此処でなくてもいい

『ブロガー』というのは、私が投稿に使っているブログ管理者なのだが、時々フリーズして投稿できなくなる。今書いているのは復旧したからなのだ。ことほど左様に「ヒト」のたずさわることは、不完全で不安定なのである。
「お願いしてまで投稿したいわけではない」から、投稿できなければ放っておけばいいのだ。けれど、デモなー、それができないから復旧するためにあれこれの工夫を試みた。ネットで探ると「投稿できない」という悩みは『ブロガー』でなくてもよくある事みたいだな。

さて、火事の事ばかり書くのは恐縮だけれども、表題にもどって。
焼け跡に家族の住む家を「再建」しようとして「どんな家がいいのか」とつれあいに聞いたところ、「わたしは此処でなくてもいい」と言う。これには、火事に逢ったと同じぐらいに驚いた。この地に住んで、寺の過去帳によれば13代目になるらしい私の発想には「ここ以外の何処か」は無かったのだ。
後日、つれあいと同じ年頃の女性と話をしていて、この発言に驚いたと言うと「そりゃー、そうじゃ。女のひとは、嫁ぐことを前提に考えるから、ここでなくてはダメとは思わんわー。そりゃーアンタが男じゃからじゃー」と言われて、私の困惑の原因が解った。
ヒト人類が永く母系を辿ってきたこと。このクニでも母系の痕跡があること。などなどは「本」からの知識では知っていた。(たとえば「家族・私有財産・国家の起源」)
しかし、私は、こんなに簡単に「13代目」が否定されるとは思ってもみなかったのだ。

やや在って、私はこう思った「我が家系(父系)の一代目はもしかしたら『私は此処でなくてもいい』とつれあいに言われて私の焼いた家(地)に越して来たのだろうか」と。
おふくろはこの借家に越してきた後、キュウリの種を蒔いた、毎日水やりをして、そしてこれを収穫した。このたくましさは何処から来るのか。
我々が生き延びるためには、 この際「父系」を棄てて、「母系」を辿るべきなのかもしれない。

付記。
おのれの書いたことを、改めて冷静に読み返してみると、「わたしは此処でなくてもいい」という事と「わたしはアンタでなくてもいい」との間の垣根はそう高くはないのである。

2012年8月29日水曜日

地元の候補者

借家の前でステテコ姿で佇んでいると、町内会の役員らしい男性が自転車で現れた。渡されたのが岡山市の広報誌。
話はもう逸れるけど、ステテコがこんなに快適な履き物?だとは人生60余年初めて知った。下着ではないし、かといってかたくるしい外出着でもない。さすがにコンビニにはこれで行ったことないけれどそれは可能だろう。どう考えてもパンツでは不可だろう。宅配便を受け取る時パンツ姿では気が引けるがステテコならば可だろう。そんなわけで?早朝のゴミステーションへはステテコで往復している。涼しいという効用もさることながら、この微妙な中途半端さもまたいい。
話をもどして、受け取った広報誌を見れば、なんだか見たような表紙だ。家にとって返して確かめると同じものがすでに在る。二重に配られたのかと思った。けどしばらくして、在ったものは焼けた家のポストから持ってきたものだと気づいた。
こうしてみると、思わず知らずのうちに、複数の町内会に所属する事はあることなのだな、と考えていたら、その昔に聞いたことを思い出した。ホントかウソか報告してみよう。
さる有力市会議員は選挙の時、市内のどこに行っても、「ご町内のみなさま、地元の候補者〇〇〇でございます」連呼するというのだ。「何処でも地元」は誇大広告ではなかろうか。しかし、それで悠々と上位当選をする。何故なのか?事情通によれば、彼の連呼はまんざら「ウソ」ではないらしい。議員は市内のいろんなところに妾宅を持っていて、つまり「地元」がいたるところに在るのだ。というのが事情通の解説である。
選挙が近いようだ。候補者が「地元の」と連呼するかどうか、そのココロはどこにあるか、心して聞くべし。
それはそれとして、つれあいは、「犬を飼うことは、愛人の世話をするよりも『大変』なんだそうだよ」と私に言う。このフリ(振り)は続けて「あんたは、5匹じゃからなー、ハーレムじゃなー」という事を言いたいが為だ。この悲惨なハーレムについてはまた書ければ書きたい。

2012年8月27日月曜日

セーフティーネット

このあいだからわたしは保険金のことを盛んに書いている。この御仁は、わずかなそれでも、手に入れたのがよほど嬉しかったと見える。
つれあいとしみじみ話したことだ。「これは公(おおやけ)のセイフテーィネットではないけれど、でも助かるよなー」と。
思わぬ事で困窮した者には「セイフティーネット」は必要なのである。

それはそうと、何時のころからか私を尊重することを止めたつれあいは「あんたは保険の事を馬鹿にしていたくせに」と言う。挑戦的だなこういう言い方は。でも、反論の余地はほとんどない。それにしても、保険おたく?の彼女は、どうやら、家だけでなく、私の命にも保険を掛けているらしいのだ。そんなに「頼りない」かね私は。

2012年8月26日日曜日

メカ好き・乗り物好きには堪らない記事

メカ好き・乗り物好きにとって、アメリカ軍が日本に持ち込んだ輸送機「オスプレイ」は興味深い乗物だ。ところが「こいつは危ないぞ」と言われて、防衛大臣だったかアメリカまで行って早速試乗した。「危なくない」が彼の感想だった。これを聞いて、その昔、腸管出血性大腸菌、「O157」騒ぎの時、当時の大臣「管」氏がカイワレをテレビカメラの前で食べてみせた事を思い出したことだ。彼らには気の毒だけれど、事の本質はそんなところにはないのである。
飛ぶにしろ、地上に戻るにせよ、長い滑走路を「飛行機」は必要としてきた。一方、「ヘリコプター」は校庭の広さががあればどこでも着陸できるし飛び上がることができる。
そんな美女と野獣が一緒になりました。というのであるから「いったいどうなってんの?」とテレビレポターみたいに興味津々なのも解ってもらえるのではなかろうか。
さて、「しんぶん赤旗」のスクープ?記事であるが、これの詳細はリンクに譲るとして、記事の肝は「オスプレイの回転翼の大きさは、艦船上で運用する必要に規定されてヘリコプターのそれよりも小さくなっている。 オスプレイの回転翼の羽根のねじれは、ヘリモードでのホバリングと固定翼モードでのプロペラ飛行の両方を可能にするための妥協として設計された」ということだろう。
つまり、車にたとえれば、駐車場に合わせて、車体を切り取ってしまったようなものなのである。
それはそれとして。
この記事の指摘することが正しいのであれば、「オスプレイ」設計技術を安全の方向に振れば我々の夢の乗り物も可能ではなかろうかと考えた。
もっとも、わずかな火災保険金を手に「ナンダカ金持ち気分」の私ではオスプレイのタイヤすらも買えはしないだろうが。
それはそうと、オスプレイ。タイヤは付いていたっけ。

電力?あえて電気と呼ぼう

火事で、ガスも水道も失って、電線も焼いて電気を失って。どうしたか、まず懐中電灯を手に入れた。それを鴨居に吊るして数日を過ごした。まずもって電気が無ければ不自由なのは我々の「現代生活」なのだ。
体を動かす度に、焦げ臭いにおいがした数日を過ごした後、電気を回復した。「おお明かりが点いた」と感動した。
電気がなければ、不自由きわまりない。しかし、それが原発による電気でなければならぬというわけでもないのである。極私的には電気であればそれでいい。
言葉を換えれば、あり余る「電力」は必要ではない。が、しかし「電気」は必要なのである。

経済の発展のためには「原発」がいるのだというクニをあげての論調には、あえて「失われた10年=もう20年になる」この経済停滞は「原発がらみだったんですか」と問いたい。

海抜45m

わずかな保険金を手に入れた。現代生活に欠かせぬ?「ポータブルナビ」を手に入れた。この借家は海抜45mとナビは告げる。焼けた家は海抜0mに近かった。(高潮で家の床下まで潮が来た事はしばしばだ。)その家から河をさかのぼること10kmでこの値だ。沖積平野はこんなものかしら。

それにしても、つれあいの里の県北に行く道すがらは、河岸に深い谷を見、高い崖がそびえる。それらを満たしていた土がこの海抜45mを創ったのかと思ったことだ。

2012年8月22日水曜日

ご注文の本が

火事騒ぎですっかり忘れていたけど、公民館に頼んでいた本が来た。注文したのは火事の前だから、四つ角で不意に昔の自分に会ったような気分だ。
拾い読みしてみた。

「マチンガは、わたしがすっかり仲間になったと感じるたびに、わたしのの心をくじいた。マチンガは、口約束のみで、後に代金を支払ってもらう約束でわたしが前渡した古着を何度も持ち逃げし、しばらくするとしれっとした顔で戻ってきた。マチンガは何度も嘘をついてわたしからカネをかすめ取り、鞄に鍵をかけることをすっかり諦めさせた。」

「彼ら言葉はいっけん矛盾だらけに思えた。」

「たとえば、交渉中に何かを思いついた小売商の目がキラリと光る瞬間。すました顔で「たかり」をやり過ごしていた中間卸売商の口元がニヤリと持ち上がる瞬間。警官を発見し、荷物をひっつかんで逃げる真剣な横顔にどこか楽しげな笑みが浮かぶ瞬間。消費者に商品を売りつけて振り返った行商人の茶目っけたっぷりな顔・・・・。わたしはこのような彼らの表情や態度にみられる軽やかな生命力に、心底、魅了されてしまったのだ。」

この本は民族学の論文なんだけれど、この語り口に惹かれた。読んでみようと思っている。

簡単に選り分けて、分析して、結論を得て、解決。そんな事柄に出会ったことは少なくとも私にはない。(大阪の彼には出来るみたいだが)


一皮めくれば

先に書いておいたことだけど、片側二車線の豪華な道の傍らに住んでいる。慣れつつあるが、大型のトラックがスピードを上げて走り抜けると家はグラグラと揺れる。平らなように見える道だけれども、微(かす)かな段差やうねりがあるらしい。アスファルトの下は田圃だったんだろうから、畔(あぜ)や水路が隠れていて道が不均等沈下をしているものらしい。

今朝の事だが、歩いて300歩離れた「ゴミステーション」に生ごみを持参した。ゴミステーション脇に田圃が残っていてその上だけ、朝5時のまだ暗い空間をツバメ達が盛んに飛び交っている。田圃に生息する虫を捕獲しているものらしい。子育ての最中なんだろう。子育て中はどの親も忙しい。
また300歩の帰り道を歩いていると、後ろから、スズメの群れが石つぶてのごとくに追い越して行った。彼らは体型からしてツバメのように、「ヒラリヒラリ」とはゆかないものなんだと感心?した。稲の穂が出始めるのはまだ10日ほど先の事だから、もう少しの辛抱だ。
そういう目でみれば、傍らのガソリンスタンドの屋根ではカラスが歩哨のようにあたりを睥睨(へいげい)している。
一皮めくれば、古層の上にこの町は在るのである。

2012年8月12日日曜日

コンビニまで80歩

簡単なノートパソコンを手に入れた。それにモバイル?だったかUSBの親方みたいなものを付けて
深夜これを書いている。耳を澄ませばカエルが鳴いている。少し前まで、ここらあたりは一面の田圃だったんだろう、しかし田圃は大きな看板の下に肩身狭く残るのみだ。
転がり込んだのは、片道二車線の豪華?な車道の傍らの借家。見渡せば、いや見渡さなくてもコンビニ・ホカホカ弁当屋・ラーメン屋・食い放題焼肉・ガソリンスタンドなどが車道の両脇にひしめいている。

コンビニの駐車場で見つけた付近の案内図。どうしてなのか西が上だ

コンビニまでの歩数を数えたら80。「焼肉食いてー」と思えば200も歩けばいい。

どうもモバイルのせいなのかパソコンが安定していない、先ほどから書くのを「中止しろ」とパソコンがウルサイのでここらで止める。

さて、一日経った。モバイルのご機嫌は如何か?続けてみよう。
焼けた家はすっかり片付けた。点々と足跡の付いた跡地はまるで雪の後の畑みたいだ。ボンヤリながめていると

私に人生というものがあるならあなたと過ごしたあの夏の日々」という歌を思い出した。そういえば、この歌の入ったレコード盤も燃やしてしまった。「失うという事の意味」が本当に解ってくるのはこれからなんだろうか。

2012年8月6日月曜日

どこでもインターネット

ころがりこんだ借家から、10キロ程離れた知人の家に、日に一度訪れてメールを開けたり、インターネットを読んだりしている。
しかし、勝手な時間に押しかけて、クーラーをガンガン効かせてインターネットを読むのも気が引けてきた、これはやはり厚かましいのではなかろうか。
火災直後のこと、「K女史」から投稿を依頼された。「こんな具合だからなー」と断ると、「USBみたいなものがあって、それをパソコンに付ければどこでもインターネットができるよ。お金がいるけど」と教えてくれた。その時はピンと来なかったが、最近余裕ができたものか調べてみれば『モバイル』というものらしい。
早速申し込んでみた。すると料金の支払はクレジット決済でお願いしますだって。クレジットカードも燃やしてしまったんだな。それはなんとかするとして。「どこでもインターネット」面白そうだ。有線で繋がる時代は終わりつつあるのだろうか。

家はだいぶん片付いた
隣家に避難している犬は少しすね気味だがなんとかやっている

2012年7月15日日曜日

焼け跡生活

パソコンも本もミィーンナ燃えてしまった。6月12日未明、自宅を全焼した。これを書いているのは、家から20km離れたところだ。着の身着のまま路上に投げ出されてみれば、わが身を証明する物とて何も無く、翌日は連れ合い共々、まづ運転免許証の再交付に半日を費やした。
こうなってみると、住居を焼き払うという行為(例えば空襲)がどんな深いダメージをヒトに与えるものなのか身に染みたのである。
7月17日追記
火事の顛末を書き記す余裕は未だない。今日はこれから罹災証明書を消防署に貰いに行くところだ。
たくさんのコメントありがとうございます。「総員退避」の決断が早かったので、ヒト三名、犬五匹、ネコどもは全員無事で暮らしています。

2012年6月11日月曜日

畦(アゼ)をとる 6月9日

畦(アゼ)をとる 

6月9日の絵だ。「野良通信」を標榜している手前、報告しようと思う。
池に上がって新たに水を落とした。既に落としている水で、池の直ぐ下の田は、代かきが済んでいる田(手前)もあれば、これから代かきという田(向こう)もある。雨模様だけれど、このくらいの雨では、乾いた山肌が水分を吸って河原の水量には影響はない。対岸の西大寺は雨脚に霞んでいる。



それにしても、少し濡れた山は綺麗だ。鳥の羽ばたきののような、シダ?の薄青が目にしみる。

見上げる谷(この谷に降った雨を貯めてこの池はある)に産廃処分場が出来れば、この池も谷も失われてしまうだろう。



止水栓を抜けば、水は音を立てて吸い込まれてゆく、漏斗のように水にエクボが出来るのが面白い。小さな竜巻だな。



山を降りてみると、O氏が「畦」をとっていた。こうして田の周りを盛り上げて水漏れを防ぐ。平地の田では廃れた技術なのだろうか、棚田では畦とりは欠かせない。これを「伝統芸能」と私は口外するが誰も否定はしない。

手元に寄ってもう一枚
さて昨日、10日の日曜日でほとんどの農家は田植えをすませた。みんなもう若くはないから「クタクタ」に疲れているだろう。(稲を付けなかった私はブログを書く余裕がある)
金にならない稲作りをそこまでして続けるその訳をこのブログで伝えることが出来れば良いのであるが。

追伸
今日の事だ。恒例の水争いが始まった。アレがこうしているから、わが田には水が来ない。「とんでもねえ」事をするヤツだ。それぞれの田にとって丁度いい水加減など池水頼みの棚田では難しい。限られた水を喧嘩しながら分け合って、この百年程凌いで来たのではなかったか。我々がこの谷で棲息して来られたのは、喧嘩しながらも分けあって来たからではなかったか。と私は考えるが、争いを仕掛ける者は、コンニチの水の事で精一杯である。水路掃除ではあれほど互いに協力したのになー。
しかし、と私は考える。もっと大きな力が我らの稲作りを脅かしつつあるのではなかろうかと。

2012年6月4日月曜日

テッペンカケタカ

「テッペンカケタカ」
昨日の水利組合の溝掃除に心身ともに疲れたものか、夜、横になっても寝付かれない。
鳥は昼に啼くもの(夜は寝ているもの)と思っていたが、昨夜は、夜っぴて「テッペンカケタカ」と啼く鳥が近くの樹の枝にいた。考えてみれば、聞き様によっては、気にさわるヒトもいる啼き方だ。ヒト皆寝静まった夜更け、眠ることもままならずに、人知れず悩んでいるヒトだって居るはずだろうもの、夜っぴて啼き暮らすとは神経のないやつだ。
注意してやろうと「名前」を検索した。声の主は「ほととぎす・ホトトギス・子規・時鳥」だって。有名な鳥だった。そういえば「子規」も神経に障るような物言いもするヒトだったな。と思いはあらぬ方向に逸れてゆく。
なおも検索していると、「ホトトギス」が夜っぴて啼く時はひな鳥が「巣立った」後だという記述に出会った。そうしてみれば、昨夜のホトトギスは母鳥で、子の居なくなった心身の空虚を満たすために啼いていたものか。といらぬ擬人化もしてみるのである。

話は変わるが、大阪の市長がツイツタ-で呟き始めた。彼の呟きはホトトギスに比べても、下品で仕方ない。今回は、言い訳から入って、こんどは頑張る。と展開するパターンだ。それにしても彼の支持層は「何があってもブレない」姿勢(スーパー政治家橋下)に幻想を抱いていたのではなかったか。「時の流れ身を任せ~」、言説をコロコロ変えるおヒト。これって支持層の最も卑下する既存の政治家像ではなかったか。

2012年6月3日日曜日

水利組合

水利組合

私の生息する谷では、今年も稲が作られようとしている。(私はここ二年作るのをやめているけれど)

こんなチラシを10数枚作って配った。「手書き」にしたのは、私の好みだ。この方が良いとは思いませんか。どこまでもロマンチックなおヒトなんだな私は。
午前六時、外を見れば小雨模様だ、さてどうなるか。雨が降らなければ溜池に水は溜まらない。さりとて雨中の草刈りは億劫だ。


さて、雨はあがり。みんな集まった。今日は学区の体育大会が重なったので、三名抜けたが、十名集まった。記念に一枚。

前期高齢者、中期高齢者ばかりだが文句あるか。
草刈機を持たせれば、若者には負けない。
こんなように
こんなように刈ってゆく。谷に流れる水を貯めている田もある。
池に上がれば、四国の原発からの50万ボルト送電線は、不気味な「チッ・チッ・チッ・チッ」を云っていない。
愚かな国策のこと、なんて今は考えないで。次の池に行こうか。
愚かな国策が、頭上を50万ボルト送電線として通過しているにせよ、我々は自らの裁量で稲を作ったり(作らなかったり)する。それこそが「自治」の基本ではなかろうかと愚考した。
さて、本日の相談で、池の水を落とす日は6月6日に決定した。田に水を引き、畦(あぜ)を取り、代(しろ)かきをして、早ければ6月10日から田植えが始まる。
お望みならば、そのあたりの事を御報告してもいい。

2012年5月28日月曜日

鳥の啼くように

鳥の啼くように

朝4時を過ぎると、空が明らんでくる。すると鳥が「我慢出来ない・切羽詰まった」と啼きはじめた。それは、いつものこと、「お約束」事だ。でもなー。と私は思う。個々の鳥にしてみれば、そんな事関係ない。今朝の夜明けと「一期一会」の「一世一代」の会話なのである。命とはそういうものなのではなかろうか。
これを、




やっと読み終えた。音楽に喩(たと)えるならば、これは「交響曲」だろう。私は彼女(加藤陽子)の「練習曲」「習作」は興味を持ってできるだけ聞いて(読んで)きた。しかし、「練習曲・習作」を集めただけでは、「交響曲」にはならないのである。ところどころに優れた興味深い「フレーズ」が潜んでいるとはいえ聴き終えて統一した感慨は無かった。これはおそらく相異なるふたつの主題を彼女がひとつのものに「昇華」出来なかったからではなかろうか。ふたつとは、ひとつは「誠実で、愚直」な昭和天皇像と、もうひとつは天皇を「神」と信じ、自らはもとより他国民にもまた多大の犠牲を出したこのクニの国民、言い換えれば我らの父母。彼ら(彼女ら)が参加した戦争のこと、である。
ともあれ、彼女は彼女の声で啼いた。私も調子っぱずれと言われようと自分の歌を自分の声で啼く他になかろう。

追伸。
何回でも、いや何十回でも、同じ問を繰り返そう。我々はどんな論理でこの社会を「統治」されてきて、どんな論理で「自治」しようとして来たのか。と。

2012年5月24日木曜日

2012.5.24の日記

2012.5.24の日記

日付が変わってから犬どもと散歩。いつものコースを行く。今日は新月なのか?夜道が暗い。冬ほどではないが、この季節にしては星が良く見える。(宇宙は膨張している、さればとて、そのうち星無き空なるという。そうなんだろう。永遠のモノなどひとつもない。星がなくなれば、神話を星に託して民族の物語を説明することは難しくなるだろうなと考えた)。
南の夜空には「サソリ」が昇っている。この星座を見れば、また夏が巡ってきたと思う。(永遠のモノなどひとつもない。だがしかし、それだからこそ?永遠に近く毎年時を定めて、現れるモノに我々はヤットコサ支えられているのではなかろうかと考えた)。
「どうなんだ。おまえたちは?」とそこらを嗅いでいる犬どもに聞くと、「オレたちはコンニチただ今の事にしか興味はないさ、オジサン」だって。

2012年5月23日水曜日

あんたの続け文字は

あんたの続け文字は

少し東の空が明らむ朝四時を過ぎると、近くで鳥が啼きだした。「ツーピー・ツーピー」と囀りはじめている。余裕のない切羽つまった啼き方だ。体の底から湧いてきた力をこの空間に撒き散らさざるを得ぬ、それの他に我が命なしみたいに。

私の親爺は大正の半ば生まれ。(ちなみにオフクロは大正末年生まれ)。私が二十歳の頃のこと、家を離れて一人暮らしを始めたら、オヤジからハガキが来た。それが縦書きの続け文字で読みづらい(いや読めなかった)。それで「あんたの続け文字は読みづらいです」と書いてハガキを出したら、読める字で返事がきた。計算してみれば、彼はまだ五十代の始めだったんだな。あのハガキ今何処へあるのか出てこない。彼は1991年に死んだからもう20年か。
こんなやくたいもない事を書きつけるのは、この頃、折にふれて、私の好んで読むものは、大半がすでにこの世に居ないヒトビトの書いた物であることに気付いたせいだ。
それはそれとして、ブログ・ツイッター・フェイスブック。生まれて間もない、これらの表現媒体に係わるヒトビトは現存している者が大半であろう。これからこの媒体はどう変化してゆくのだろうか。紙に書かれて読み継がれて来たもののように、生死にかかわらず、そんな事関係なしに、豊かに在り続けられるのだろうか。
今は、皆、切羽詰まった様に啼く今朝の鳥のように啼いているけれども。

2012年5月21日月曜日

日蝕

日蝕

「一陣の風がドーッと吹いて、辺りが少し暗くなった。物という物の輪郭が朧(おぼろ)になり、境界は滲(にじ)んでいる。カラスが山で騒ぎだした。」宮沢賢治ならこんな書き出しで始めるだろうか。
凡才の私は、そこら辺りの紙に爪楊枝で穴を開け、カレンダーのウラに欠けた太陽を拾ってみた。



報道では直接見ると目を痛めると盛んに警告している。してみれば、毎日そこにある「太陽」さえ我々は直視することなしに暮らしているわけだ。これは比喩としては「タブー」みたいだと思ったことだ。

2012年5月19日土曜日

六名乗車。計十三名 つづき

六名乗車。計十三名 つづき


新幹線。草一本生やさぬように想定されているこの交通システムは、食料を生産することのない空間である。がしかし、皮肉なことに、ここには大量の食料が運び込まれている。弁当、酒、菓子、コーヒー。ヒトは食わずには生きてはゆけない。

さて、病院にいってみれば、あたり前のことだが、「病人」「病院関係者(職員)」「病人関係者(家族)」その三者にしか出会わない空間だった。

そんな空間にしばらく居たら、こんな、一節を思い出した。以下
『「どんな患者が来ようと、病気には三種類しかない。ほっておけば治る病気と、ほっておけば死ぬ病気と、ほっておけば治りもしない、死にもしない病気の三種類。この三種類を見分けるには、勉強は要らない。勘だけ鋭ければいい。お前たちの勘はいいことがわかっているから、その勘を使って、その三種類を見分けなさい。」そのあと、どうするんですか、と聞きますと、「この患者、ほっとけば死にそうだ」と思ったら、「世の中には偉い先生がたくさんいるんだから、できるだけ早く偉い先生のところへ送りなさい」って言うんですね。「そこで死んだからといって、おまえたちの責任ではない。偉い先生は何のためにいるのか、ただ高い給料をもらっているのではない。ほっとけば死ぬような病人を助けてやるから価値がある。この人たちに患者を送るのに何ら抵抗を感じることはないんだ。」そう言われて目が開かれたようなきがしました。パッと。
精神科をやることに決めたのも、そこではほっといて死ぬ患者が少ないからです。僕みたいな医者がやっても、害が少ない。』
「一精神科医の生活と意見」 なだいなだ 『林精神医学研究所報』1983年3月より抜書き。

二十日迄。というので

二十日迄。というので

一人で、県立美術館に「ベン・シャーン」を見に行った。行くと決めて、つれあいを誘うことも考えたが、「相手の都合に合わせる」のは私の性に合わない。「自分勝手だ」という日頃の彼女の謗(そし)りを証明することになるが。これ以上評価の下がることのない者の強みだ。



私は「ベン・シャーン」のことを、「アーサー・ビナード」氏の導きによって知っていた。しかし、 『ここが家だ・ベン・シャーンの第五福竜丸』の絵本を買おうとは思わなかった。絵本なんか子供のものと思っていたからだ。どんな理由でこの本を探して買ったか思い出せない。奥付を見れば「一刷は2006年9月30日。私の持つものは八刷2011年3月14日」。こうしてみれば、福島の原発事故の衝撃が、私を変えたのだろうか。
県立美術館の感想を述べれば、その量に圧倒された。アーサー・ビナード氏が構成し文を加えた 『ここが家だ・ベン・シャーンの第五福竜丸』は「ベン・シャーン」の七十数年の生涯のほんの一年の仕事に過ぎない。そうして、残された彼の作品はどれもこれも、彼にしか出来ない彼自身の表現であった。これは優れた芸術の特性であろう。しかし、ここだけの話、彼は「絵」が下手である。サラサラと書いてそれがまるで「生きているよう」だ。みたいなことはない。それでも彼は『ナチスの残虐』を『労働者の現実』を『原子力利用の現実』を彼の知りうる限りの情報を使い書いた(それもあらゆる表現方法を使って)。このことは、ここだけの話、我々凡才を励ますことであろう。下手でも稚拙でも書いておこうと。
ここまで書いて、またこのアメリカのヒト二人によって成された絵本に戻って考えた。「ラッキードラゴン=福竜丸」の事はまさに、掛け値なしで、このクニの人命と財産を犯された事件だった。それにも関わらず、我々は彼らのような仕事をすること無しに来た。それは何故か?と問わざるをえない。
それは、「タブー」がそうさせたのではなかろうか。菊タブー、ツルタブー。~~タブー。我々の思考は、我々気付かぬうちに、それらのタブーに囚われていたのではなかろうかと考えた。そうであるならば、今現在に於いても我々はタブーに囚われているであろう。私のタブーとは何か、あなたのタブーとは何か、我々のタブーとは何か。

2012年5月17日木曜日

六名乗車 計十三名

六名乗車 計十三名

身近の者が、手術を受けるという、それも、全身麻酔でという。意識が有ろうと無かろうとそんなにレベルの変わらぬヒトだが、立ち会ってほしい。という。然らばと三重県は津市にバスと新幹線と電車を乗り継いで出かけた。私の棲息する所は。元々島であるから、バスの便は朝と夕方の離島連絡船みたいになっている。都市の周辺地域はどこも同じようなものだろう。
これがいわゆる「上り」のバス時刻。それから「下り」は下に。二日後帰宅時には18時52分着の便を利用した、我が停留所で二名下車。バスには運転手と他一名の乗客が残った。

朝九時の定期上りバスに乗った。我が停留所からは六名乗車。後ろの席から数えてみると計十三名がこのバスの乗客だった。雑巾を絞るように捻れる度に「ギシギシ」音をさせて走る。ディーゼルエンジンの振動で車体の隙間という隙間が「カタカタ」共振している。
レンズを外に向ければ、「児島湾大橋」が見える。

1983年に完成したこの橋を伝って産業廃棄物がダンプカーに乗ってやってきてからもう三十年だ。
産廃施設を抱え込んでしまった地域の住民の反応は二通りに別れるだろう。ひとつは「慣れてしまうこと。」もう一つは「そこに、この社会の矛盾と非道を見出すこと。」
バスは岡山駅を目指して「ギシギシ」「カタカタ」と走るのであった。
次の日の朝、津市の東の空にはこんな朝日がのぼった。

2012年5月9日水曜日

理屈と飯粒はどこにでも付くクニで

これをみていた。「俺の記者会見はレベルが高い」と自慢していたけど。こんなレベルだったんだ。聞かれた事の意味を理解して、相手に解るように噛み砕いて説明する。対話・会話はそういった作業を積み重ねてようやく成り立つものだけれど、彼はその能力に欠けている。私の守備範囲に球を投げなさい(打ちなさい)それ以外は投げちゃダメ(打っちゃダメ)。これでは、例えれば、野球というゲームは成り立たない。彼は世の中のことを「ゲーム」と捉える傾向があるが、こんな事では「ゲーム」すら成り立たないのである。ところでこの会見で話題になっている「君が代」のこと。
「君が代」は歌だから、覚えていないと歌えない。これからは大阪あたりでは職員採用条件に「君が代を歌えること」の項目も入れなければならないだろう。歌いたくても知らない歌は歌えないもの。「何故歌わない!」と言われて「?。この歌知らないんです」叱られるだろうな。このクニに生まれたからといって、生まれついて歌詞やメロデーがDNAに刷り込まれているわけでもなかろう。冗談じゃなくて知らない若者は増えていると思う。こんなところに橋下維新達の無理筋・ゴリ押し理由があるのかな。それはそれとして、こんな事になるのも「法律」があるからなんだろうと考えた。この法律(国旗国歌法 )はどんなものか。どのような経緯で誕生したのか。

さて、「国旗国歌法」をウィキペディアで調べてみた。以下抜粋
『当時首相であった小渕恵三は、1999年6月29日の衆議院本会議において、日本共産党の志位和夫氏の質問に答えて
「学校におきまして、学習指導要領に基づき、国旗・国歌について児童生徒を指導すべき責務を負っており、学校におけるこのような国旗・国歌の指導は、国民として必要な基礎的、基本的な内容を身につけることを目的として行われておるものでありまして、子供たちの良心の自由を制約しようというものでないと考えております。」
「国旗及び国歌の強制についてお尋ねがありましたが、政府といたしましては、国旗・国歌の法制化に当たり、国旗の掲揚に関し義務づけなどを行うことは考えておりません。したがって、現行の運用に変更が生ずることにはならないと考えております。」』

『国旗・国歌法の制定時に官房長官を務めていた野中広務は「起立せなんだら処罰するなんてやり方は権力者のおごり。教職員を処分してまで従わせようというのは、国旗・国歌法の制定に尽力した者として残念です」と述べている』
以上

2012.5.13の追記
ツイッターでの橋下氏。今日の一言『僕は膨大な時間を使ってメディアとやり取りをしている。それが有権者のためになると考えているからだ。だからメディアもそれを踏まえての議論としてもらいたい。「私が質問している。私の質問に答えよ。しかし私は答える必要はない。」こんな記者とは議論にもならない。MBS、しっかり頼むよ!』
と余裕を見せている。その前は質問をした記者に逆質問を連発したのは「やりすぎた」と言っていたのに、彼は「このザマ」だ。

論理を外れて感情的やり取りをしてしまったと自覚しているのならば、元に戻って「冷静な」やり取りをしましょう。「やり直しましょう」だろう。この程度の軽口しか述べられぬ彼を私は「このザマ」と言っている。彼の使う論理は常々往々にして怪しいが、これはそれ以前の問題だろう。
彼は「論理」原理主義者を自認しているみたいだが。こんな展開を「ご都合主義」というのではなかったか。「まあまあ、それはそれとしてよろしく頼むよ」みたいな、そこにどんな論理が潜んでいるのか。

2012年5月6日日曜日

近くのスーパーマーケットにて

近くのスーパーマーケットにて

犬猫の「フード」を買ったついでに、ヒトの食い物を買いに近くのスーパーマーケット訪れた。ツルツルのリノリュウム様式の床を買い物カゴを下げてヨタヨタ物色していると、若い娘の二人連れが前を歩いている。聞き耳を立てれば、何やら品物購入の是非について話をしている。その言葉が私には解らない。どうやら中国語らしい。
こうして此処に記している「日本語」なんて、この地球上で使われる「言葉」の百分の一ぐらいのものだから。こうした私には理解不能の言葉があるのは当然であろうと考えた。どの言葉をとってみても、「解らない」と恐れる事はない、ヒトはひとつの種でしかないから、どの言葉も想定している範囲はそちらもこちらも変わりはないのである。
問題は、それが私の棲息範囲であるということだろう。世界の主要都市に「チャイナタウン」を作ってきた彼女たちの祖先の血がまた此処に流れているのだろう。
「グローバル」は。新自由主義の者どもが想定(己の保身のために)するよりも深くこの社会を変えつつあるのではなかろうか。
『クニ』とはなんだろうか。同じ民族の集まり。同じ言語を使う者達の集まり。同じ『法』の下で統治されることを認めた人びとの集まり。

2012年5月3日木曜日

何が書かれていないか

やっと、ひと通り読んだ。理解したとは言い難い。わたしは、少々むずかしいモノでも読むことにしている。そうすれば、「何が書いてあるか」は解らなくても、「何が書かれていないか(それしか書いていない)」ことは解るからだ。


ここまで書いて、日付の変わる頃犬どもと散歩に出かけた。何気なく東の夜空を見れば「サソリ座」が登りつつあるところだった。尻尾はまだ山陰に隠れている。毎年のように時を定めて星座は現れる。数万年(数億年?)変わらずに星座の運行はそうであると天文学者は教える。星屑のコドモであるヒト人類の激動のこの数百年などは、一瞬の流れ星のようなものであろうか。と犬どもに聞くが、「ナニ言ってんだ。おじさん。ロマンチックもエエ加減にしてよ」だそうだ。

2012年5月2日水曜日

政治家の卑怯がもたらすもの


隣の庭で啼くウグイスはずいぶん唄が上手くなった。小雨の中、節回しも鮮やかに啼いている。リフレインにも工夫があるみたいで聴き応えがある。さて私の唄はいつもながらさえない。以下。
政治家がどこでどんな判断をしようと「勝手」と言えば勝手だ。時間を経ることで政策判断が変化してゆく事も当然のことだろう。次の選挙で支持しないだけである。しかし、重大な政治課題について曖昧な態度を取る事はそれ以前の問題ではなかろうか。
今朝の毎日新聞二面(上)を見ていたら、手元に送られてきた民主党系市議会議員のレポート(下)を思い出した。


この議員はどう見ても「消費税増」に反対なのである。試しに彼の民主系同僚議員はどうなのかと探ってみた。驚くべきことに、と言うべきかやはりと言うべきか「消費税」に言及している議員はいなかった。つまりこれは「ダンマリをきめこんでいる」と言うしかなかろう。【言うも憚られるが彼ら(彼女ら)は消費税増の悲惨な市民の救済相談にその議席営業の発展を目論んでいるのではなかろうか】。三十四万といわれる「民主党員」のどれぐらいが「消費税増」に心底賛成しているのか「小沢問題」に矮小化している場合ではなかろう。
「民主党」は「民主」の看板を詐称している。政党を自認するならば、議員を総動員して「消費税増」がもたらすこのクニの輝かしい未来を語らせるのが「まともな政党」の今やるべきことだろう。

2012年5月1日火曜日

時には咎めを つづき

時には咎めを つづき

新聞の「コラム」は短くて読みやすいので、ついつい目を通してしまう。その影響はかなりのものだろう。しかし、中には「自慢」や「脅し」目的で書かれているものがある。うっかり「へーそうなんだ」と批判なしに頭の片隅に仕舞っていると、それがボデーブローのように効いてくる。
以前「TPP」のことで咎めを入れた。今回は「原発再稼働」で。


要するに「電力の安定的かつ低コストでの供給」が失われれば「日本は空洞化しかねない」との脅しである。
「モノづくりと違い、IT産業は目に見えないが、エネルギー消費量は膨大である。」へーそうなんだ。うっかりしていたな、言われてみれば私の35WのCPUを使ったパソコンはどの位電気を食っているんだろう。わからないけど夏場にはかなり熱くなるのは確かで、それだけ「エネルギー」を使っているのは確かなことだ。ココからは「自慢」になるが、こんなCPUクーラーを取り付けた。これでこの夏を乗り切るつもりだ。


箱を読めば、「Made in China」だって。こうしてみればパソコンの場合「電力」以外はすべて外国産なのだろう。つまり外国の電力を使って製造された物を国産の電力で動かしているということになるだろう。コラム氏はうわ言のように「空洞化」の危機を言い立てるけれども、ここは原発なしの限られた電力で我々は何が出来るのか(作れるのか)。それを追求した方が「現実的」なのではなかろうか。
付け加えれば、この前パソコン先生に自慢した「ニコン」のデジカメも「Made in China」だった。

2012年4月30日月曜日

書見台

書見台
書見台を手に入れて使ってみた。なかなか具合がよろしい。

百姓が体力の衰えを鍬や鎌を始めとする「道具」の工夫でごまかすようなものだと考えた。老眼が進めば決まったところに本を固定してくれる物がありがたい。もっとも道具の工夫はそれだけの事である。私の能力は以前のママであることには変わりがない。これも玩物喪志の一つなのである。

2012年4月27日金曜日

号外

号外

待ち構えていた警察官に捕まった。道路交通法違反。「俺の車は違反したかもしれない。がぁ、運転していたぁ。俺は違反とは認識していなかった」と言ったら「無罪放免」になった。そんなあり得ぬ光景を思いうかべた。我ながらひねくれているな。
夜半、階下に茶を汲みに降りたら「号外」が食卓に置いてあった。夜遅く帰ったつれあいが街で貰ったものらしい。

政界は無罪か有罪かで騒いでいる。しかし、こと「政治とカネ」の事件には(日頃の恨みもあって?)関心の高い庶民が今回「どっちゃでもええ」と思っていると考えた。そうでなければこの不気味な無関心は説明できないだろう。
彼の有罪無罪は「始まっている民主党の終わり」の形にいくらか影響するだけなのだろう。白けて無関心はそのあたりの事情を織り込んでの事なのかもしれない。それよりも自覚していないものの、「民主党無き後」の政治の形が見えてこないことに庶民は心の底では苛立っているのではないか。  

2012年4月24日火曜日

ツイッター風に つづき

4月23日夜、犬どもと散歩。暑くもなく寒くもなく丁度良い季節だ。と思っていると。背中を丸めて犬が糞をする。綱を持つ手が風下にいたので匂う。気付かぬ程の風でも、風上か風下かでこうも違うものだと、思いは原発事故の放射線汚染地域の事に逢着するのである。


4月24日、ツイッターより、橋下氏今日の御言葉。「原発問題の核心的問題は安全性ではない。使用済み核燃料の最終処分問題だ。安全性については色々議論があるにしても、使用済み核燃料の最終処分については誰もが責任ある答えを出せない。日本国中が、使用済み核燃料の最終処分問題を頬っかむりしている。これこそ将来への最悪のツケ回しだ。」注意深く読んで欲しい。彼はまず論議のルールを「安全か否か」から切り離す。そうすることで「再稼働」問題を論点から外す。彼の手法は例外なく「ココ」にある。彼の偽さ加減はここに集約して在る。「原発問題の核心的問題は安全性では」ない。と言った途端、かれは現在の大阪辺りの政治家から、ただの御用評論家に立ち位置を変えているのである。

タケノコノコノコの事

タケノコのこのこの事

いちどイイ思いをしたら、「もう一度同じ思いを」とノコノコ出かけるのがヒト人類の弱点でもあり、可愛いところでもあるだろう。そうでなければ、パチンコ業界、いや「東京証券取引所」もまた存続できない。私はと言えば、もう一度タケノコを獲りに出かけた。場所は前回と同じ古い家の庭。今回は買ったばかりの新しい「カメラ」も持参した。

それで撮った絵を載せよう
向こうの竹藪がお目当ての所だ。石垣の上から竹の根が降りてきている。

中に踏み込んでも目が慣れるまで、タケノコは見えてこない。この絵の真中付近にタケノコはある。
こんな感じで、タケノコはある。目が慣れてくれば
こんな所にも
こんなものも、見えてくる。「ヒト」の目は、いや「命は」と言い換えてもいいか、「保守的」であるから、「新しい芽」はなかなか見極めることが出来ないのだ。見ようと目を凝らす「ヒト」にしか見えないものがある。

買い物カゴに溢れたので獲ることをやめた。半分は糠を使わずに湯で、湯掻いて自家用に喰うことにした。半分は「パソコン先生」に持参しようか。先生は「何時でもおいで」と言ってくれているがその言の意味は「何か持っておいで」とも言っているのだ。持参ついでに「新しいカメラを自慢する」チャンスもあるぞ。

湯掻いたタケノコで、木の芽和えを作ってみた。烏賊と白味噌とタケノコを和えた。食ってみれば、もう少しタケノコに歯応えがあった方がいい。つれあいの感想もそうみたいである。「どんなんなら」「こんなもんじゃない?」。さて、うまい「木の芽和え」を目指していま少しタケノコを探すか。
ココだけの話。料理に関して、言葉(批評)はあまり当てにならない。料理を作る者は、食うヒトの、箸使い、食器の立てる音、歯とスプーンの当たる音、息荒く食うスピード、等々でその料理が成功したかどうかが判る。私は、ずいぶん長く家で料理を供しているが、「オオ、心より欲して食っている」と感じたのは数回しかない。それでいいのだ。旨かった記憶は生涯残るのだから。