2014年10月3日金曜日

最近の話題

犬は吠えても、時は過ぎてゆく。スーパーのレジで支払いを済ませた。さて、これらで今日の晩飯を作ろう。袋に詰めていると。前を、買い物袋を下げて足早に立ち去る老婦人がいる。同級生の「吉田」に似ているな、イヤハヤよく似た人物は居るものだと感心した。車に乗りエンジンを掛けながらフトひらめいた、そして、確信した。「あれは吉田なんだ!」。歳60過ぎの老婦人は即ち同級生に他ならない。吉田も家族のための菜を購入し急いで帰って晩飯を作るのであろうか。よく似た爺さんが居る事よ?と彼女も思ったのであろうか。犬は吠えても、時は過ぎてゆく。彼女の作る所の晩餐が次の世代を育む菜であることを祈る。


犬は吠えても、季節はめぐる。朝は寒いくらい空気だ。部屋に電気(湯沸かし)ポットを持ち込んで急須でもって茶をいれた。日に照らされた茶碗の表面にゆっくりと湯気が舞っている。夏であれば見たくもない景色だけれど、今はなんだか好ましい。犬は吠えても、季節はめぐる。


[交差点で青信号待をしていたら、ドンと後ろからぶつかって来た。嫌がらせにしてはやり過ぎだぞ!と思った。けど、これがりっぱな「交通事故」だった。相手はクラウン。並んで止まっていた車が動き出したので自分も発進した、とクラウンおじさんは言う。どうやらこのリアリティは「嫌がらせ」ではないらしい。路肩に寄せた車の後ろを見ればナンバープレートがかわいそうな具合に曲がっている。一方、クラウンの前はと見れば「はて?何か問題でも??」みたいになんともない。クラウンおじさんの言う事には「クラウンはフレームが特別に丈夫」らしい。ぶつけた直後の興奮からかこの御仁、饒舌だ。自由に何処にでも行ける車が、必ずしも完全ではないヒトの操縦に任せられているのであるから「ぶつける・ぶつけられる」ことは日常茶飯時と思っていた方が良かろう。さて饒舌クラウンおじさん、「半年前に追突されまして、まだ首の治療に通ってます」だって。見れば首の後ろにシップみたいなものを張っている。さて、事故証明も貰い、互いの住所、保険屋を確認した後。別れ際に「お大事に」と言った私の神経の有り様はどうなっているのだろうか。次は私がぶつける番。でなければよいのだけれど。]と書いたのが831日。保険会社から今日、922日、修理に掛かった費用が知らされた。車修理30万・レンタカー代金10万。計40万。保険会社が負担するにせよ事故が「無かったこと」にするためにこれだけのお金が掛かることを高いと思うか安いと思うかそれはヒト夫々だろう。私はその金額に驚いた。3.11の原発事故を「無かったこと」にする費用はおそらくどんな豊かなクニも払うことは出来ないだろう。神ならぬ此の身、事故を起こさぬ事が肝要であろう。


夜のことだ、座机のスタンドライトを何気なく見れば、てっぺんに大ぶりのカマキリが乗っている。網戸は閉めているのに何処から入ったものだろうか。思案はソコソコにしておいて出てってもらうことにした。しかし、彼?は蟷螂の斧を振り立てて抵抗する。なんとかタオルに包んで網戸を開けて外に放った「コガネムシ投げ打つ闇の深さかな」(高浜虚子)だ。ところが話はここで終わらない、一周して舞い戻った彼はまた部屋中を飛び回る。出てって!イヤダ!出てって!いやだ!繰り返すこと数度。コレでは歴史に残るような句は出来そうもない。おまけに閉め忘れた網戸から侵入した蚊に刺されること数カ所。虚子も又蚊に刺されたのだろうか。



細い骨格が触られた。その上を覆う母そっくりの毛並みは見た目よりも硬い手触りだ。母猫より他の者が触っているを子猫は気付いて、飛び退けて少しく離れた所から私を見ている。半ノラになった(元)飼い猫が子猫を連れて(里帰り?)来た。ステンレスのボールに牛乳を注いで出すと親子で飲み始める。無防備の背中に触ってみた。「生存するために必要とするもの以外には近づかぬ。と、いう掟が猫にもあるらしい。」イノチって不思議だな。ネコをさんざん飼ってきたけれど「気のいい」(性格のいい?)ネコほど短命な運命になることを私は知っている。

2014年7月7日月曜日

オーデオつづき

オーデオ装置を「感と経験」で。イヤ「経験」は無いから「感」だけで組んでみた。片方のスピーカーが鳴らない。ガリガリ音のする音量ツマミをみぎひだりひねってみると、かすかに音を拾っている、接触が良くないらしい。なだめてナダメて音を出してみた。オオ、ステレオになったぞ。バランスツマミを右に回すと左から音が出ている?そうこうしているうちに出てくる音が次第に鮮明で繊細になることに気づいた。調子の出るまでにしばらく暖機運転が必要ならしい。これは面白い。

五味康祐という作家がその昔いた。彼はオーデオマニアで「オーデオマニアは結局接触マニアだ」と看破していた。今になってみればそうだと思う。音が鳴るようになれば、今度はCDの音が飛ぶように思える、それでCDクリーナーもいるかなと思う。LPレコードを持っていなくてよかった、針だ埃落としだとこれも大変になるところだった。FM放送を聞くのが手間いらずだけれど、浪曲の後にオペラだったりする。聞きたいものを聞きたいのだ。ところで、接触マニアの辿り着くところは、たとえば「屁の音」をどれだけ臨場的に再現できるかみたいなところに行き着くのではなかろうか。五味康祐はどんな物を聞いていたのか気になるところだ。

オーデオ、承前。冷静になって?見てみればこのオーデオ装置のパイロットランプが二箇所ほど点いていないことに気づく。さてどうするか。30年前に戻りたいわけではないから、このままにして置くか。と思う。残念ながら、時は巻き戻せない。このことを同世代の安倍氏に伝えたい。私はこの時代の発する音を聞くだけでいい。彼の頭の中で鳴っている音は何か。だいたいのところ想像できるけれど、考えたくもない。

オーデオ、承前。初心者にとって「接触」はオーデオ技術の全てだと言ってもいいか。左のスピーカーの音が出たり出なかったりする、コードをいじると決まった方向でそうなることを発見する。断線を疑ったが、そうではなかった。機器側に問題があった。スピーカーからの線を受けるターミナルをある方向に押すと症状がでる。ヤッターついにハンダごての出番だー。イヤまて、冷静に「どこが切れつつあるか確かめよう」と蓋を外した。基板をためつすがめつ見るがよく分からない、しかしほんの少し基板をしわらせると切れたりつながったりしている。基板の中の断線らしい、素人にはお手上げだな、先走ってハンダごてを買いにゆかなくてよかった。しばらくして、このまま黙ったままのオーデオと向い合っていてもしょうがない。と気付く。

オーデオ、承前。パワーアンプの壊れたのを幸いに?違うオーデオシステムからアンプを移植した。鳴る。それもかなりの良い音だ。移植したアンプを見てみると、ふたつのスピーカーシステムを鳴らすことが出来るらしい。そうならばと、移植したアンプと同居していたスピーカーを運び込んだ(かなりの重さだった)。鳴らしてみた。すると腰抜けするほどへんがない。どこがどうというわけではない、「メリ・ハリ」がないのだ。蓄音機の音を大きくしただけ!と感じた。名のあるメーカー製のオーデオシステムには見向きもせずに、オーデオマニア達は資力と体力の限界までかけてオリジナルのシステムを組む。その意味が解った気がした。それにしても新しいアンプ、かなり熱くなる、アンプの上にアルミホイルを敷いて目玉焼きを作ってみようかしら。


オーデオ、承前。私のステレオ装置は1970年代から1980年代にかけて作られた物が多い。チューナーしかり、アンプしかり、スピーカーしかり。当時の価格もバカにならない、今でも躊躇する値段だ。どうして少なからぬ若者達がこぞって夢中になったのか。いや、そればかりではなく車にも夢中になっていた「ケンとメリーのスカイライン」は1970年代だ。メーカーが製品をさかんに作ったのはそれが売れたからだけれど。購買の原動力は「自由」だったと考える。ハンドルを握れば好きな時に好きな所に行ける自由。好きな音楽を好きな時に繰り返し聞くことの自由。今、車もオーデオも若者たちの興味の対象から外れつつあるけれど、「自由」を求める要求は廃れることはあるまい。

2014年7月2日水曜日

オーデオ装置を

朝、涼しいうちに、とオーデオ装置一式を廊下の網戸を開けて運び込んだ。すると新たな発見。網戸が破られている。ここから覗いて毎朝餌をねだる猫のしわざらしい。先ほど起き出してきたおふくろに「ほら見ろ、猫をネコカワイガリするもんだからこのザマだ」と言うと「あら、ホント、猫じゃろうか?」という。後ろにばったり倒れそうになるところを、ストレスの棒でやっと支えているところだ。ところで、オーデオマニアは私より一世代前に多いような気がしている、獣臭いベニア張りの離れの小部屋(当時の子供部屋はみんなこんな感じだった)で蓄音機に毛の生えたような装置でビートルズを聞くのがその時代の若者の典型だったのではなかろうか。その世代の一部分が凝った作りのオーデオ装置を手掛ける仕事に付き、同世代がその製品を盛んに購入した時代があった。何はともあれ、御託を並べるよりも音が出るようにしてみよう。何よりもパソコンと違って「ライセンス認証」みたいな事を言わないのがこの業界の良いところだ。
追伸
「ソフト、ハード」という概念で考えてみれば、我々世代とその前の世代は共通して稚拙な「ハード」の世代だった。電気関係は真空管を使っていたし、内燃機関は白煙をあげる2サイクルの時代だった。国内産の「ソフト」は無いにひとしかった。
50年かかってこの構造は基本は変わっていないと思う。
追伸の追伸
給与一月分を叩いてまで、手に入れたかった「音」とは何か。それはすなわち、蓄音機で聞いた「ビートルズ」を代表する西洋の「ソフト」だった。彼らが「美空ひばり」や「文楽の語り」を発見するには今少し時間がかかったのではなかったか。

2014年6月27日金曜日

フェラーリのようなパソコン

パソコンが治ったので、調子にのって「ビデオカード」を付け足したりしている。でもこの道の辿り着くところは、通勤に使う車をフェラーリ仕様にする。みたいな事になるのだと気づいている。実際のところ、軽四で十分なんだ。燃費も良いし。「ビデオカード」の事だけれど、感覚としてはモニタ画面がシャープになったような気がしている。「気のせいだ」と言われればそれまでのことだけれど。ヒトの問題はある所からは、アナログの問題なんだな。凝った作りのオーディオ(1970年代制作?)を手に入れたのでCDLPでこの違いを楽しもうと思っている。

2014年6月20日金曜日

ぱそこんが治った

パソコンの不調が治った。イヤ、直したと言うべきだろう。アイコンもペラペラの紙みたいではなくなったし、パソコンを立ち上げる度に出ていた警告も出なくなった。さんざんWebを徘徊して解決策を探したが、結局は片隅の小さな記事がヒントになった。さてこの状態のパソコンをバックアップのハードディスクに仕舞っておいて次の不調に備えよう。

2014年6月18日水曜日

パソコンのこと

「セーフモード」では出ない不具合が「通常モード」では出るという。鬱陶しい現象をふたつ発見している、そのひとつ(アイコンが変)を解決した。中身は複雑だった。しかし、解ってみればなんでもない。「クズ」みたいなファイルがパソコンのソフトの構造(階層)のどの部分に在るかによってパソコンのしぐさは変わるらしい。「クズ」を捨てた(ゴミ箱からも消した)それで解決。さて、残るもうひとつ。これをどうするか。
それにしても、階層のどの部分に位置するかによって発言権に差があるなんてまるでヒトの社会の縮図みたいではないか。そういえば、マイクロソフトは家父長的で権威主義者の気配がする。
気を取り直して、どうしてこうもパソコンソフトWindowsは解りにくいのかを考えてみた。
 一つは、私の圧倒的な知識不足だろう。しかしそれだけではなく、ソフトWindowsの方にも問題があるのではなかろうか。
例えば、誤って消されないように隠してあるファイル。たしかにそうしていないと私などは壊してしまうだろう。

2014年6月15日日曜日

承前、つづき

不調パソコンの事。通信速度の遅いインターネット経由で「Office」ソフトを入れ替えてみた。(ずいぶん時間がかかった)すると大概の不具合は無くなった。残る不具合はパソコンを「セーフモード」で立ち上げると現れない。これはこれからの課題であろうと思っている。それにしても、複雑な要素で組みあがっている事だな。「それが良い」とするか、「だからダメ」だとするか。これは好みの問題だろう。今日は休みで一日家に居たつれあいは、「直った?」と聞く。「?。直ったような、直ってないような。」と答えた。この気持ちは彼女には解らないに決まっている。

2014年6月14日土曜日

承前

  1. 電気で動く身近な物を「家電」とするならば、パソコンはその扱い難さでダントツの地位を占めるだろう。「別格一番」ではあるまいか。壊れた洗濯機、掃除機、冷蔵庫、テレビ、等々の前に座って「ああではあるまいか、こうではあるまいか」と思案するヒトはまず居まい。(即座に廃棄処分!)。ところが、パソコンはそれを要求するのである。つまりこの家電は「壊れたような、壊れていないような、」領域を行き来する不思議な家電なのである。それにしてもSNSに接続する能力を失った途端にお前はゴミ箱行きになることを覚悟していたほうがいいぞ。とキーボードに打ち込んでいる私はなんなんだろう。

2014年6月13日金曜日

パソコンが動かなくなった

フェイスブックへの投稿を時系列に並べてみた、こうしてみると、ヒトというものは愚かだ。そして、否応もなく一貫している。

パソコンが動かなくなった。スイッチを入れても「動コかな、止めヨかな」みたいでモゾモゾしている。スイッチを長~押しして再起動させれば、あれこれシロと言う、あれこれしても事態は悪化するばかり。それから先はよく覚えていない。殺人と窃盗以外は何でも試してみた。しかし治らない。

 

BIOSHDDを外していても起動する事を見つけたから。pcドクターという、dvd様式のソフトが手元に有ったのでそれを動かしてみた。ドクターの診断によれば、「お宅のメモリ壊れていますで」とのことだ。

 

ドクターの言葉を信じて、付けていたメモリを抜いて、違うメモリを挿した。ドクターの診断はまたも「オタクのメモリ壊れてます」だった。どうしたものか数時間考えた。メモリを挿すスロットはまだある。そこに壊れてますのメモリを挿し直した。するとドクターは「PASSED」(問題ない)だって。ドクター。マザーボードを疑った方が~~。と考えているがどんなもんだろう。

 

パソコンはどう考えてもマザーボードが壊れている。と考え、製造元(部品を組み立てて売っただけの製造元=車だってそんなものになりつつある)に送り返した。送料3千円余。(これは「直します」という相手への期待料だと考えている)。そんなことをしていたら小説『オリガ・モリソヴナの反語法』米原万里。の一節を思い出した。これが無類に面白い。以下引用「ぼっ、ぼくの考えでは‥‥‥」「ぼっ、ぼくの考えでは‥‥‥だって。フン。七面鳥もね、考えはあったらしいんだ。でもね、結局はスープの出汁になっちまったんだよ」引用終わり。家を焼いた時、集めていた本は全部処分した。記憶の中でこれはもう一度読みたいと思う本を探しては買っている。米原万里のこの本もその一冊。

 

使っているパソコンを「修理の旅」に出したので、古いパソコン、ウインドウズXPを持ちだして動かしてみた。懐かしい画面が現れた。インターネットに繋げば、新しい修復ソフトも受け付けている。「メール」は設定をやり直す必要があるらしい。しかし、これ以上はいじらない。「XP]の画面を見て「これなに?」という世代はどれぐらいいるのだろう。

 

これは、XPで書いている。マザーボードもCPUもメモリも6年前の設えだから、「フェイスブック」を動かすにはいささか荷重みたいでモタモタ動いている。そのことを除けば、マイクロソフトのサポート無しでも後は問題ないみたいだ。

 

XPを動かして、あれこれのblogを覗いている。すると突然、脈絡も無しに優しげなお姉さんが画面に現れる。夢か現かと思えば、これは「うつつ」の事なのである。「浦島太郎」は優しげなお姉さんの画面で遊んだものだったのであろうか。

 

修理の旅に出ていたパソコンが戻ってきた。マザーボード・メモリ・CPUを変えました、と伝票に書いてあった。鍬や鎌や包丁ではないので見た目は変わらない。ところが、性格が変わったみたいで、フィードを使おうとするとイヤダという。どうやらハードが壊れた時ソフトにも傷が入ったみたいである。ソフトをすっかり入れ直して、私は、なんだかダダッ広い所にポツンと座っているという風情なのだ。

 

「回復が完了しました。ユーザーファイルを復元しますか?」とパソコンを起動する度に画面で聞かれる。まことに鬱陶しいことだ。これを画面に現れないようにしてやりたい。それでどうしたらいいか。最低動くのに必要と思われるソフト以外を捨てた。がしかし、同じ事を画面は聞く。こうなると、やはりパソコンに聞く以外にない。SNS(ソーシャルネットワークサービス)の最大の利点は、世の中には同じ悩みを抱えているヒトがとても多いと判ることだ。でも、最大の弱点もある、解決できない悩みは誰も解決できないと判ることだ。切羽詰ったような気持ちになって「ウィンドウズOS」を捨てようかと考えたが、これは玄関の扉が「ガタピシ」いうのが嫌で家を捨てるようなものなのだろう。

 

パソコンの不調は増々深まり、アイコンがおかしな具合に表示されるようになった事を始めとして、検索ソフト「Chrome」が立ち上がらない事。「office2013」の本体がどこかへ消えて、ショートカットだけが残っている事。などなどをヤラカシテしている。パソコンの凄いところは、そういう不具合を何度でも再現することである。困りながらも感心している。それにしても、このパソコン、修理の旅を終えたあと。性格が変わったのではなく「壊れてしまった」のではなかろうか。

2014年5月29日木曜日

ツバメは6日で


神様は7日で世界を作ったらしいけれど、ツバメはもっと早く家を作った。足掛け6日だ。ここで子育てをするらしい。いや、それ以外にこの巣の意味はなかろう。トイレもない、風呂もない、台所もなし。むろん食卓もない。アッ、屋根はある。でもヒトん家の屋根だ。私が家を建てた時に悩んだ事柄はすべて排除してある。立派でエコな設計思想だ。我々ヒト人類だって数万年前からこうして簡単な家を建てて子育てをしては住み捨てて移動してきたに違いない。アフリカから出発して南米の果てまではびこることが出来たのはそのせいだろう。便所のない住人を見上げてフンを警戒しながら「どうして、そこまでして子育てをするのか?」と聞いてみた。千キロも二千キロもを一気に飛ぶ力のあるにしてはなで肩の相手は、遠くを見て、少し考えて、それから「なんで子育てをするのかぁ?その答え、あなた方ヒトだって、これといった理由を持っているわけじゃあるまい」と言う。言われてみればその通りだ。「軒先を貸した相手に教えられ。」


2014年5月24日土曜日

今日の仕事

朝の外壁を見れば、ツバメは巣作りに取り掛かっている。夕刻に見上げれば目に見えて進展している。よく見ればドロが乾いた所に新しい泥を付けるというやりかたらしい。これだけを見ればまるで油絵の具を使う画家のようではないかと思ったことだ。これがツバメの一日の仕事。
さて私の今日の仕事といえば、「ムスメが紹介したいという人物と会う」事だった。「タダイマ」と帰省したムスメは二年ぶりのご帰還だ。おとなしく座っているお二人を前に「それでどちらもそれでエエと思っているのか?」と裁判官みたいな聞き方をすれば互いに互いを見たりして「イイという」これではどうしょうもない。この病につける薬は古今東西有ったことがないのである。

ツバメにしてもムスメにしても新しい巣を作るのに忙しいみたいだ。

朝の絵


 
夕方の絵

2014年5月22日木曜日

カラス来たりて羽を落とす

犬どもの所に行ったらこんなものが落ちていた。どうやらカラスの来たりて犬ども餌を食っているらしい事を発見した(そういえば乱暴な羽音が聞こえていた)。記念に一枚。犬の警備が軽微であることの証拠に一枚。それにしても見事な造形である。これまでもこれからもこれを作れと言われてもヒトには出来はしないだろう。軽くて丈夫そうである、おまけに美しい。増長満のヒトは「原発」でも「戦闘」でもコントロール出来ると言い言いするけれど、これを作る事が出来てから言うべきだろう。

2014年5月21日水曜日

東風(こち)

午後、東からの風(コチ)が吹いていた。暫くすると雨。窓という窓を閉め雨音だけを聞いていると「雨漏りのしない家に住む」という幸せがじんわり滲みてくる。幸福って案外簡単なものじゃないかしら。

さて、そんな個人的感慨を別に、この雨は「慈雨」というべきであろう。野菜苗を定植して水をやり続けていたヒトは、もう水やりはしなくてもよくなった。稲を植えたヒトは水口を開ける手間が省けた。これからの田植えには田に水を貼る手間が掛からぬ。夏には木の間を過ぎてくる風が、冬には母親の懐の温もりが我々には心地よい、まことに我々の快適は単純である。

2014年5月19日月曜日

冷や飯の朝飯

冷や飯を茶椀によそおい、水を(あれば湯を)かけて、サラサラと流し込む。それが朝飯。そんなツレアイともう三十年暮らしている。昨晩の事、犬の散歩に付き合った。彼女の職場仲間は飼い犬にお金をかけるのだと言う。旦那にかけるよりも手間も暇もをかけるのだという。「?」としていると「犬は会えば嬉しげに尾を振るし、ご飯だって遅れても辛抱強く待っている。何より飼い主たる彼女を(頼り)眩しげに見る。こんな旦那はまず居ない」という。「それでも若い時は旦那に手間を掛ける喜びも有ったんじゃないのか?」と問えば。「オンナもひと年取れば、実利を優先するようになるの」だ、と言う。質実剛健、率直無碍。理屈よりも飯粒。こんな性格がさまざまなクニの「近代化」を支えてきたのだろう。と思いながら付いていったものだった。離れて行き場を見失った野良犬のように見上げれば夜の中空には月が~。

2014年5月10日土曜日

2014年5月10日朝

まだ薄暗い早朝、寝床で食い物の事を考えていた。昨日の晩飯の残り物は何か、冷蔵庫の中に何があるか、家族の体調はどうか、冷や飯は少しある、飯を炊くか、どうするか。悩みといえばそんなこと。どうやら、我家に限っても食うことには困っていなくて、食い方に悩みはあるらしい。食料不足の危機が云々されていて、飢えているヒトが数億?というこの地球で、まことにもったいなくも贅沢な悩みではある。とそこまで考えて、それからヒト人類の食料の絶対量は足りないかもしれない、けれども、分配の仕方を工夫すれば今少しはしのげるのではなかろうかと思った。総量とそれの分配。さて起きだすとするか。

2014年4月28日月曜日

将棋

毎、日曜のNHK将棋番組を録画して見ている。再生するのは、もうこれで三回目だけれど、途中で寝てしまい「どちらが勝ったか」未だに判らない。「十秒、イチ、二、サン、シ、ゴ、ロク、シチ、ハチ、ク」この秒読みが眠気を誘うらしい。

2014年4月26日土曜日

ちらし寿司を

タケノコが手元にある。これを入れたチラシ寿司を作ろうと思い立った。まず、サゴシを酢締めして。と目当てのスーパーに行くと、見当たらない。別の店にも行ってみたけれどない。じゃあサゴシなしで作ろうか。思わないところが私の良くない性癖だ。これでどんだけ人生の選択肢を狭めてきたことか。そう思いつつも私の目は陳列棚の上をさまよっている。

2014年4月24日木曜日

2014年4月24日

2014424日。いつもと変わらぬ朝がきた。飼い犬が死んだこと以外は何も変わっていない。新聞はいつも通りに配達され、鳥もヒトも同じに鳴き交している。近くの家では車のエンジンを掛ける音がする。命ってなんだろうかと身近の「死」に遭遇する度に思う。何度も問ってみたがはかばかし解が得られたことはない。問いが間違っているのだろうか。

2014年4月22日火曜日

筍を掘った

数日ぶりにタケノコを掘った。タケノコを掘るのはそれが食用になるせいもあるが、竹の繁殖防止でもある。イノシシの跋扈する地域ではイノシシがタケノコを食っちまうらしい。タケノコを食うか、タケノコを食ったイノシシを食うか。思案していたらタケノコの穂先がイノシシの牙に見えてきた。

2014年4月17日木曜日

夜半

夜半、三時頃だったか。救急車のサイレンが聞こえているようで浅い眠りを醒ました。耳を澄ましてみると車からの音ではなく犬の声だ。すると近所中の犬が一斉に吠え始めた。よくもまあこんなに犬どもがいるものだ、と思うくらいあちこちで吠え立てている。おそらく家の中で飼われている犬も吠えているのだろう。こうなれば窓を開けて「コラ~!!」っと人声するのも多勢に無勢だ、と端から吠える気力も失せる。眠れぬ寝床のなかで「フェイスブックもツイッターもブログも同じようなものだな」と考えた。「ヒト」って自らを矜持しているほどに冷静なものなのだろうか。

2014年4月15日火曜日

お久しぶりのブログ

ブログを始めよう(再開しよう)と考えた。写真(絵)の為のカメラも手に入れた。絵文字の使い方も憶えた。

筍を見に行ったらあったぞ。こんなモゾモゾのクセをして地表面の埃っぽくない所を探せば見つけやすい。ピカピカの一年生。新入社員。ってなところか。こんな初々しさをもぎ取って、湯掻いて、切り刻んで食う。私の成仏は難しいだろう。