2016年6月30日木曜日

インテリ芸能人はただの物知りか

テレビを見ていると、インテリ芸能人枠というものが存在しつつあることに気づく。お馬鹿キャラ対インテリ軍団対決クイズ番組なるものが視聴率を稼いでいるみたいだ。言わずと知れた安倍総理。彼はインテリ枠には望んでも入ることは叶わななかったからおバカキャラ枠で活躍しているみたいだ。それはそれで人気はあるわけだ。いや、むしろ「芸能人なるものの本質」はお馬鹿ぶりを楽しませるところにあるのであるから彼は望んでもいなかった「おバカキャラ」を期せずして手に入れたということだろう。私は、このことの危うさを危惧している。

2016年6月29日水曜日

雨漏りにて

こう、連日雨に降られると雨漏りの無い家、サッシ窓を閉めると雨粒の入らない家、そんな家に住む事のできる巡り合わせにつくづく感謝している。その昔、屋根地に赤土を載せて平瓦と丸瓦を組み合わせた屋根はたいてい雨漏りがした。風雨強き時は雨戸を閉める(たてると言っていた)ことのほか雨粒の侵入を防ぐ術は無かった。たかが半世紀前の話だ。私の好む漱石の作品。百年ほど前に書かれた「硝子戸の中」(ガラスドノナカ)という作品は当時は珍しかったガラス戸という言葉で読者をそそったものと考えた。付け加えるとこのガラスをささえるのは木製の枠だった。この半世紀、この百年変わったのは住環境だけではないもっと変化したのは社会制度だろう。イギリスが~という選択をしたのは投票という制度の上だった。有権者一人一票、当たり前のこの概念だってそんな昔に発明されたものではない。(EU諸国はこの選択方法に異議はない)それに引き換え、今だに身近な町内会では「家、単位で一票」のこのクニもあるではないか。こうしてみれば民主主義制度そのものも変化しつつあるのではなかろうか。民主主義の危うさを躊躇(ちゅうちょ)せずこの変化、この矛盾の危うさに個人として一票を入れたい。

2016年6月25日土曜日

2016.6.25のたわむれ

    この温気(うんき)にあてられたものか、歳九十のおふくろが茶漬けしか食わなくなった。「お刺身がおいしかったって」とつれあいが言ってたな。
    さらばとて車を出しスーパーに刺し身材を買いに行った。道すがらの選挙ポスターに「この道を行く」のキャッチコピーを見る。言わずと知れた安倍(自民党党首)の絵に添えられたそれを。連想してこれを思い起こした。
    https://www.youtube.com/watch?v=VlXjwtWF2oU
    作詞・北原白秋。(大して意味のない言葉を心地よく聴かせることにかけては天才的コピーライターの元祖。)
    うろ覚えながら車中にて私も唱う。「この道はいつか来た道~ああそうだよ~桜の花が咲いてる~菊の花も植わっている~この道はそうだよ~破滅への道だよ~」
    二番「この道はいつか来た道~ああそうだよ~サクラ花は散りいそぎ~キクの花は海に沈んだまま~ああそうだよゥ~」

2016年6月4日土曜日

2016.6.4朝

    昨夜、犬の散歩、星空がきれいに見えた。あまつさえホタルをも見た。
    少し眠って朝方4時前、目が覚める。聞くとも無く耳に漁船のエンジン音が聞こえて来る。「ブーン」、ヂーゼルエンジン4気筒だなと思った。同じ時間、50年の昔の中学生だった頃、出漁する船の音は「ポンポンぽんぽん」焼玉エンジンだったな。と寝床で考えた。
    ヒトビトの暮らしの道具は変化しても漁を求めるヒトの暮らしは変わらない。